246.さよならは言わない
銃の照準を定められていると知りつつ、駆けながら風魔法を操る。
首に流された電流が皮膚を焼き、呼吸と動きを止めそうになる。
「あ、……っく」
(負けるもんか!)
“風の乙女よ、彼の身体を包み、生い茂る命の木々よ、彼の身体を受け止めて”
ざああと風が吹き、木々が木の葉をまき散らす、小さな竜巻が彼の周囲を取り囲んだ、それだけ。
地面に落ちたマーレンのもとにたどり着く。
石畳だが、金属系属性に守られたのか、彼は生きていた。
縛られたままのマーレンに近づき、リディアは呼吸と脈を確かめる。全身打撲が酷く、動くことはできず呻いているだけ。
頭部からの出血がある、あの高さから落ちて頭が潰れていないのは風と木々が守ってくれたからだろう。だが、手はあらぬ方向に折れている。
“――我が主、白木蓮よ”
迷いはない。
迷わずに主に願いを届けると、今度は首から腕へと熱した鉄串を押し付けられたかのような痛みが走った。身体を貫くような痛みに、悲鳴をこらえる。
……彼を殺させない。頭部は恐らく脳挫傷。何らかの後遺症がでるかもしれないが、組織の組成と血液の循環を回す。
彼の心臓の拍動が止まる。彼の鼻をつまみ、口に唇を重ね、呼気を送る。
両手を重ねて心臓を定期的に圧迫する。骨が折れているが、心臓を動かす方が先だ。
首だけではなく腕も、耐えがたいほどの痛みと熱さが襲ってくる。
拍動する痛み、ずきんずきんと波打つように熱さと刺さる痛みで、身体が何度も跳ねそうになる。
――呪いが、進んでいる。感じる、わかってしまう。
(甦生魔法の反応が――全然ない)
甦生が進まない、呪いのせいなのか。
それとも白木蓮のほうにも、害が及んでいるからか。もう彼に力はないのか。
“――もう持たぬ――”
キーファの主、かの存在の言葉。
(白木蓮、ごめんなさい、でも彼を助けて!!)
白木蓮の命をいま、自分はなくそうとしているのかもしれない。
「おま……」
マーレンが意識を戻す。力なく落ちくぼんだ目で、乾いて土気入りの唇で、リディアに声を発する。
「しゃべらないで」
よかった、そうよかった。
最後に、彼を救うことができた。
リディアは何も言わないでほしいと首をふり、自分は唇をかみしめた。
(――マーレン、逃げて)
無言で長上衣の裏ポケットからキーファからのネックレスを取り出し、マーレンの手の中に握り込めた。
「――別れは済みましたか」
金属音がして、チャ、と周囲で銃が展開する鈍い音がした。
「せめてもの慈悲として、最後のひと時を与えました。これでもう未練はないでしょう」
「き、さ……ま……」
「彼女には『求婚者の王子に、王位を狙うよう先王弑逆をそそのかしたが、痴情のもつれから求婚を取り下げられて逆上。王子を棟から突き落とした後、同じように身を投げて心中』という陳腐なシナリオを用意していますが、いかがですか」
「地獄に、落ちろ……」
マーレンがもがくのを、リディアは抑え込む。
兄のアレクシスが優雅な足取りで近づいてくる。王者のように存在感を放ち、彼が背後に立つと、ヤンの方が従者にみえる。
「――重度の障害を負わせるのは、いい薬になるが、子が産めない身体にされては困る」
「なるほど」
ヤンは、頷いて短銃をリディアのこめかみにつきつける。
「――あなたはまだ利用価値があるそうです。お国に戻りなさい、リディア嬢」
この場を主導するのはヤンだ。だが、本当に支配権があるのは、――兄だ。
「さあ立ちなさい」
兄とリディアはシルビスへ。マーレンはヤンに処刑される。
兄は一応、まだヤンに場を任せているというスタンスをとっている。今しかない。
震える足で、よろめきながら立とうとして、リディアはわざと倒れ掛かる。
警戒するようにヤンが短銃のトリガーに指をかける、その瞬前にリディアの足はヤンに足払いをかける。
銃弾がリディアの眼前をかすめる。
リディアはしゃがみこみ、マーレンの手を握り締め、身体中から集めた魔力をネックレスに伝える。
身体に走る痛みなんて、もうどうでもいい。
「……逃げて」
マーレンの手の平から光りが漏れる。
そこから弾けるように青い光が立体的に円を描き、彼の身体を包み込む。転移陣の発動だ。
マーレンの唇がおののくように震え、リディアに目を見開いて訴えかけるように見てくる。
「――逃がせば、もう二度とバルディアに戻ることは叶いませんよ」
転移陣は発動すればもう阻むことはできない。
ヤンが銃弾を一発放ったが、むなしく陣はそれをはねのけた。
「生きていれば、いくらでもチャンスはある」
だから、生きて。
彼の姿が青い光に包まれて霞んでいく。
嫌だ、という声なき声に、リディアは口端をあげて、笑みを見せる。
転移先は不明だが、キーファが埋め込んだのであれば、行先はグレイスランドだ。
マーレンが進むのは、亡命という苦難な道。でも死ぬよりはいい。
彼の姿が消え、転移陣も消える。
――そのはずだった。
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