237.not to sense the name of emotion

 転移してきたリディアを見た時のディアンの形相はすさまじかった。

 怒鳴りかけて息を吸う、けれどそれ以上の余力はないのだろう。声は出さずに、睨みつけただけ。


 壁になんとか身体を預けて、防御幕を展開させつつ一体一体を魔弾で正面から潰している。

 奥では片目、片手を失ったシリルがライフルを構え、わずかながらに地上を這うロボットを狙い撃ちにしている。ディックはすでに倒れていてピクリともしない。


「時間がありません。作戦コード、『ファントム』開始します」

「――了解」


 共に転移してきたパートナーのバニティに返事をし、リディアは素早くディアンの傷を検分する。


「なに、しにきた」


 喘鳴とともに問う声はかすれ、それでもまだ力強い。意地なのだろう。

 全身に矢を受けて死してもなお立位のままだった英雄の話などを聞くが、あれと同様の死に方をするかもしれない。


 ちなみにあの現象は、戦場という激戦地で筋肉に疲労物質が溜まりまくった状態で即死すると、死後硬直が即座に急速に進むという生体反応だ。

 伝説になるような、その人物の立派な意地などとは全く関係ない。


 そんなどうでもいいことがよぎり、頭から追いやる。


「黙って」


 戦闘服から胸元を開く必要はなかった。彼のボディスーツは、切れ端と化している。右半分近く脇腹はえぐれ、残る左肩はむき出しで、腕から先はない。


 よく生きている。なぜ喋れる?


 ――リディアともう一人の同行者、第三師団の実力者バニティが魔法を展開させる。


「私が防御をひきうけます」


 彼が魔法を発動させる気配を感じる。彼は請願詞を唱えるなど、無駄な時間はかけない。


『――ソードの皆さんは、馬鹿正直に魔力全開で正面からぶつかるでしょう。今回のAIはその魔力に反応しているのです。瀕死の状態にあっても彼らの魔力は絶大。ですから、その強大な魔力と同じくらいの大きなものを別の場所に転移させます。そうですね、うちの団長ワレリーの魔力をコピーした仮想魔法師にしましょう。その間に、こちら側の魔力を完全遮断フルシャットできる魔法師が必要です。丁度タイミングよく、一名、それができるものが空いてます』


 どこか人を喰ったように笑いながら告げたハイディーの説明を、ディアンに簡略化して伝える。


完全遮断フルシャット、展開しました」


 ここに転移したのは、リディアを含めわずか二名だ。

 極小のスペースにはそれが限界。だが最小の人数でも、ハイディーの立てた作戦ではそれが最有効とされた。


「先輩、これ飲んで」


 リディアは魔力増強薬をディアンに差し出す。

 メディカルルームには、魔力増強薬の保管庫がある。ただ使用には団長の許可が必要。持ち出し許可を取らずに、無断拝借してきたのだ、処分は覚悟の上。


 ディアンの口元がわずかに動く。だがそれ以上手が動かない。

 先程から右手の指先をかろじて上げて、魔弾を打っているのだ。


 ――動かせない、のだろう。迷いはなかった。


「使用許可は、今ここで先輩が出して」


 リディアはピンを指で弾いて遮光性の茶色い瓶を開け、口に含んだ。甘味と苦味、栄養ドリンクみたいな味だなと思いながらも、彼の頬に手を添えて口に触れる。


 驚きで目を見開いた顔が、至近距離になる。

 その漆黒の瞳を覗きこむ、リディアの意図を伝えるために目は閉じなかった。

 

 “飲め”、それだけを込めて、わずかに開いた口に液体を流し込む。口端から液体が溢れる、もったいない、と思う。


 それでも、彼の口内に少しずつ流し込めているのがわかる。


 彼の口内は温かい。わずかに触れ合った舌先にほんの少し動揺したが、彼はまだ生きている、と同時に実感する。


 先程より開いた唇に、自分の口内に残るほろ苦い液体を流し込んで、口を離す。もう一本と手にしたところで、彼がそれを取り上げる。


 舌打ちしながら根性でディアンが片手でピンをあけて、自分で口にする。

 

 二度目はごめんだ、という彼の意地を感じて、リディアは自分の分も開封する。


 服用限度量は人体への影響を考えて、一度に二本まで。だがディアンはためらいなく更にもう一本も口にする。


 リディアはわずかに後ろに目をやる。


 ――動かないディック。瀕死のシリル。どちらも甦生魔法が必要。部位の喪失、または心停止状態には、早期の甦生処置が必要。時間がたてばたつほど、部位の再現も甦生率も下がる。


 ハイディーから出された条件、その声が蘇る。


『AIを引き付けておけるのは五分。やつらも馬鹿じゃない。そして五分であなたを強制帰還させる限定転移です。リディアさん、あなたは五分でマクウェル団長をフル回復させられますか?』

『やる』


 ――即答した。


 AIからの攻撃はやんでいた。

 彼らは戸惑うように動きを止めたあと、仮想魔法師の放つ魔力の方へと方向転換をしていた。


 ――あれもこれもと手を出したら、どれも中途半端になる。


 シリルもディックも大切な仲間だ。

 でも。自分のやるべきこと、一番確率が高いこと。


 ディアンに向き合う。彼の瞳はなおも力強い。魔力だけは少々回復しているようだが、身体の損傷は甚大。彼だけに集中しても、数時間かかる。通常なら、完全回復には数週間かけて治癒を行う。


 ここで彼が動けるようにする、それだけでも五分は足りなすぎる。


 ディアンがかすかに顎をあげる。焦げた髪先、黒い血がこびりつく側頭部、動かすことのできない身体。

 それでも、彼はまだ諦めていない。リディアにやれ、と言っている。


「――触るけど。我慢して」


 リディアは彼の身体をだきしめる。痛みからか、わずかにうめき声が聞こえた。なるべく傷に触れないように配慮して、それでも彼の胸に自分の胸を当て、彼の背に手を回す。


(白木蓮――私のすべての魔力をもっていって)


“――愛しい子。それは――無茶だ”


(構わない。今すぐ全部)


 上位魔法に必要なのは、魔法師の魔力のみ。

 もともと彼らと契約できるほどの甚大な魔力はリディアは持ち合わせていない。そしてディアンの回復には、リディアの全魔力を捧げても足りない。


 ――急激な脱力感に襲われる。魔力を失う感覚に、リディアは片手でピンをはじき、もう一本魔力増強薬を飲み干した。


 ディアンの傷は全身に及ぶ。一つずつ丁寧に直している場合ではない。どこを優先すべきか。


 ――循環血液量を増やして、組織の活性化を促して腕と脇腹と失った部位の組成を同時に行う。

 無茶だ、それでもやるしかない。


 リディアは抱きしめるディアンの目を見つめ返す。彼の瞳にはリディアが写っていた。

 寄せられた眉間、立ち上る闘志、彼は生還することを諦めていない。


 できる限り身体を密着させたのは、蘇生魔法をリディアの身体を媒介に有効活用させるため。通常ならば、手を握るか、手をかざす。でも密着が強いほうがより強く効果を発現できる。


 どちらからか、はわからない。でもたぶん、リディアからだった。

 彼の血糊で固まった唇に、己のそれを重ねる。


 先程の驚愕は彼の瞳にはなかった、わずかな戸惑いと、それ以上に込められた強い瞳の力。

 リディアの魔力が高まる、蘇生魔法がフルスピードで彼の全身を満たし始める。


 触れた身体、触れた唇から彼の魔力を奪い、リディアの蘇生魔法に回す。そしてまたリディアの魔力を、彼の身体に回す。

 リディアの魔力では、白木蓮を満たせない。せっかく回復させたディアンの魔力を奪うのは本末転倒でもあったかもしれない。


 こんなことが、できるとは思っていなかった。

 感応系魔法師、その意味を実感したのは初めてだ。


 彼の魔力を感じ、奪い、そしてリディアの魔法に還元する。そして彼の身体に返す。


 触れた唇は、乾き、血の味がした。微かに掠めるように離れたリディアの唇に、彼の吐息が触れる。冷たかった彼の唇に熱が宿る。


 熱が戻ってきている――回復してきている。

 ディアンが目を閉じる、リディアも目を閉じて、唇を深く重ねた。


 彼が今、何を感じているかはわからない。ただディアンの力なく落とされていた指先が何かを探すように動く気配があり、リディアの左手を握った。


 絡み合う指先、彼の指に力がこもった。 


 時間の感覚はわからなかった。


「リディアさん、時間です」


 フルシャットを行っていた魔法師のバニティに声を掛けられて、リディアは目を開けた。

 

 自分の姿が揺らぎ始める、強制帰還の転移魔法が起動している。


 ディアンから身体を離す。彼の瞳には力が戻っていた。体液量は足りていない、組織の回復も不十分だ。だが、えぐられた脇腹と腕は戻っていた。


「――行け」


 ディアンがリディアの肩を押し、戦いに戻るべく身体を起こした。




*not to sense the name of emotion

(その感情につける名を知らない)

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