234.call my name from your heart

 

――どうして、お前は肝心なことをいつも言わない!


 声が、聞える。

 ああ、まただ。


(また、怒られちゃうかな)

 

 彼がリディアを見る時は、いつも怒気を募らせている。


 また……怒ってくれたらいいのに。


 リディアは、胸元に手をやる。もうそこに翠の輝石はない。ここは、シルビスだ。


 ――もう、戻れない。


 だって、伝え方がわからない。伝えればいつも間違う。


 ――なんで! お前はあの時、名前を言わなかったんだ?


 溢れてくる涙を腕で押さえる。

 こみ上げてくるものをこらえる。腕の下から頬に雫が伝い落ちる。


 ……言えるわけがない。


 初めて、名前を、誰かから尋ねられた。


 初めてだったのだ、誰かが関心をもってくれたのは。


 それは、一度はリディアを否定したひとで。

 だからわけがわからなかった。


 だっていつも、自分はいないものとされていてのに。


 きっと勘違いだ。うぬぼれちゃいけない。そう言い聞かせて。

 自分の胸にそう言い聞かせて、でも嬉しがる心が抑えきれない。


 振り返る彼の目は苛立たし気で。そのことを訊いたことを後悔しているようだった。


 言えなかった。

 

 嬉しがる心に、影が差す。悔しい。悲しい。


 きっと伝えても、それは気まぐれだ。本当に知りたいわけじゃない。


 彼がそう聞いたのは、ただの成り行きだ。本当に知りたかったわけじゃない。


 そうわかるのに、うれしくて答えてしまったら、すべてが終わってしまう。


 また、最初に戻ってしまう。


 誰もリディアを見ない。誰もがいないものとする。道具でしかない。


 期待して応えてしまったら、もう戻れない。


 ――だから言えなかった。




*call my name from your heart

(こころから、私の名前を呼んで)

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