228.グレイスランドの魔法

「夕食までまだ時間があるから案内をするよ」


 毛足の長い赤い絨毯、壁にかかる歴代当主や家族の肖像画、実は結構な家柄のようだ。

 どうしよう、成人してから正餐の経験はほとんどない。八歳で軍隊もどきの師団に入ったのだ、一時期家に戻ったときの恐怖が甦る。

 シルビスのドレスのようにコルセットはつけていないのに、胸が締め付けられるようだ。


「リディア、どうしたの」

「ごめんなさい。私、マナー忘れているわ」

「大丈夫だよ。皆半分は寝ぼけているから」


 彼らの一族の大半は寝て過ごすらしい。だが夕刻から活動開始だという。

 それでもマナーに不安が残る。リディアは躊躇しながら、彼にリードをされて館を歩く。


「ここが図書室だよ」


 大きな家は大抵が図書室を持っている。リディアの家にもあったが、娘であるリディアは立ち入り禁止だった。立派な館にふさわしい規模の蔵書率だ。床下から天井まで届く本棚、そこに並ぶ立派な装丁の本の数々。リディアは目を輝かせる。


「素敵ね、素敵!!」


 大学にも図書館はあるが、コンクリートとガラス張りの近代的な作りで、しかも棚はスチールで味気ない。


「リディアは本が好き?」

「ええ大好きよ!! 休みの日は必ず図書館に行くもの!」

「じゃあ好きなだけここに来たらいいよ」


 リディアは苦笑した。船でここまで来るのは大変だ。

 そう伝えれば彼は笑う。


「通学は転移陣があるから」

「そうなのね」


 確かに毎回、船での通学は大変だろう。けれど家に転移陣があるって結構すごいことだ、高価なのに。


「リディアは、図書館都市に行ってみたい?」

「ええ!! なんでわかるの?」


 図書館都市。

 南東の砂漠を超えたヒラール国にある大陸中の図書を集めた図書館都市だ。古今東西のあらゆる書物、資料、ポスターまでも含め、原本だけでなく写本や希少本を集めているという。

 その棟は数百とも千をも超えるという。黄金期以前からあるという美しい街並みは、歴史的建造物としての価値も高い。


 しかしそこへ入都するには、とても敷居が高い。必要性を説いた申請書、身分証明書、そして推薦状。大学教員でも教授クラスの地位が求められるし、価値の高い論文をいくつか持っていないとは入れない。


「入ってみたい。それが夢よ」

「僕のおじいさまは、若いころ行ったことがあると聞いたよ」

「すごいのね」

「館内は火気厳禁だからね。窓から差し込む自然光のもとで読むから日が暮れるまで必死だったって。それに日が暮れても我慢して読んだせいで目が悪くなったって」

「それでも読みたい気持ちはわかるわ」

「今でも電気設備がないらしいよ。歴史的な建造物だから、工事ができないらしい。電子書籍化もしていないようだよ」

 

 それはすごい……。


「前に専門家にきいたことがあるけれど、未だに紙に勝る記録媒体はないそうね。数千年も前の物語が紙では残ってるでしょ。メモリースティックでは数年が限度、熱にも水にも弱いし。それに媒体するものがないと情報が見られない。一度電子(SNS)上に乗ってしまった情報は消えないって言われるけど、案外膨大な情報に埋もれてすぐに消えていくんじゃないかしら。有名人の呟きなんてすぐに埋もれていくでしょ? 反対に昔の芸術家が書いたラブレターや日記や借用書なんて美術館に展示されてしまって、いつまでも残っているのを見ると、そちらのほうが消えないんじゃないかって思うの」


 現代は個人情報を守れと騒いでいるけれど、当時の著名人が家族に宛てた愚痴や悪口やラブレターが後世に展示されることを望んでいたとは思えない。いくら遺族が許可をしているとしても。

 本人にとっては消したい黒歴史ではないだろうか。


 数百年前の物価や生活様式を記した雑記帳によって、今は当時の生活を知ることができる。けれど今の役所が現代の記録をすべて電子化することによって、数百年後は現在の情報を得ることができないのじゃないかと思う。

 大学での情報管理のずさんさというか、適当さにリディアはそう思う。


「装飾文字の美しさも芸術よね。『紙の本なんて失くして、すべて電子化すればいい』って言った男性とケンカしたことがあるわ」

「デート?」

「……」

「リディアはわかりやすいね」


 いつもは笑うだけのバーナビーなのに、今日はいつもよりちょっと追及が厳しい。


 『紙の本なんて今や無駄で無用の存在だよな』と言った男性を、論破できなかったのが悔しい。

 『美しい』とか『歴史的な価値がある』と言うリディアを鼻で笑った男性を思い出して、不愉快になる。自分を打ち負かすことだけを楽しまれたようだ。


「……会話がかみ合わなくて。二度目の誘いはなかったもの」

「かの図書館は独自の魔法で書庫を守っているらしいね」


 バーナビーが話題を変えてくれてホッとした。


「彼ら独自の術で都市の運営、防衛をしているみたいね。黄金期以前の建造物で、建物自体に力があるみたい。『図書館都市は生きている』と漏らした学者がいたわね。資料を盗もうとした侵入者を吐き出したとか」

 

 かの都市には『呼ばれたモノしか入れない』とも言われている。


「この北部・中央国連盟で発展している魔法とも相性が悪いみたい。だからかしら、魔法の導入もしぶっているらしいわね。どこかに頼れば、どこかからの機関から圧力がかかるもの。情報の独立性が失われるわ。でもそれだけの蔵書率ならば、黄金期の魔法の資料が絶対にあるはずなのに」

 

 魔法師にとっては垂涎の的、となりそうだが。彼らは魔法師に対して敵愾心が強い。いや、”生きている都市”が、魔法師を嫌うのだろうか。

 それに魔法に関する資料は閲覧さえも許可がされていない。表向きは「ない」とされている。


「一方では、グレイスランドによる魔法術式の秘匿・独占傾向は、ここ最近連盟からも非難の的になっているのにね」

「他の国でも魔法を学べるけれど、グレイスランドが一番進んでいるからね。僕は地下とはいえ、この国の住民だから選択に迷いはなかったけど」


 リディアに魔法教育を施すことに賛成ではなかった父が、なぜ最先端のグレイスランドの魔法学校を選択したのか。見栄のためと思っていたけれど、今頃になって違和感を覚える。

 なぜ、グレイスランドなのか。


 リディアは本棚の羅列を眺める。

 グレイスランド国教の聖典に手を伸ばして、隣にある見慣れない黒い革張りの金の箔押しの本に首を傾げた。聖典は大抵が緑色の装丁だ。


「これも聖書?」

「うん。地上世界では連盟国が概ね光の主を信仰しているよね。でも僕たち魔族では闇の王を信仰しているんだ」

「そう、たしかに、そうよね」


 そもそも光の主を唯一神として、四獣を聖獣として従わせる教えを国教とするのはグレイスランド特有だ。確かシルビスでは、少し違っていた気がする。


(なにが、どう違っていただろう)


 リディアは記憶を辿りかけて、そこで晩餐の準備が整ったという知らせに入口を振り向き、バーナビーに伴われてそちらに出向いた。


***


 晩餐は、そこまで堅苦しくないものだった。バーナビーの祖父は自室で休んでおり、当主の妻も早逝したということで、同席したのはバーナビーの父と彼の祖母、そして彼の弟。

 親戚中が集まったらどうしようと思っていたが、家族だけの慎ましい晩餐だった。


 当主が選んだ赤ワインを断るのは気が引けたが、リディアの魔法特性を話すと納得してもらえたし、彼は話題の振り方が上手だった。


 地下世界の彼らのインフラは、魔法でありその魔力の源泉は闇の力であり、光の主の系統の魔法ではないことが興味深かった。


「人は光の力によって魔力を生成するが、我々は闇の力によって魔力が生成される。だから地下世界では、魔力欠乏症上は起きないのだよ」

「そう、だったんですね」


 人体の魔力組成に関して新たな知見だ。でもそれを公表して研究に利用したいとは彼らは考えないようだ。リディアもそこまでは踏み込まなかった。


(バーナビーは、どうして自分の系統とは違う魔法とわかっていて、この大学にきたの?)


 そう思いながらも、次々に提示される興味深い話題。


 特に、彼らの魔法に関して興味を示すリディアにアルノーは更に詳しく説明し、ほとんど不自由がないことや、電気系統を使わず、環境破壊もせず慎ましく生きていることを説明した。


「我々は魔族の血を引いているが、地下に生きているだけで、他の魔族とは一線をひいている。先生のようなお若い方には退屈かもしれないが」


 彼のような紳士に先生と呼ばれるのは気が引ける。

 リディアと呼んでくださいと断ってから、リディアは答えを探す。


「いいえ。本当の心の豊かさって便利で物が溢れているだけのものじゃないって感じます。心穏やかに家族を大事にして生きていく、それだけで十分だと思います」


 彼は意外だと言うように整えられた口髭で隠れた口元を、かるくあげた。


「リディア殿は心の安寧を求めているのかな?」

「いえ、あの……そうかも、しれません」


 戸惑いながらも最後は首肯した。

 頑張るよりも心穏やかに余生を過ごしたい。もうそんな気分だ。


 それからは、彼らの生活や彼らの予知夢の神秘性に関しての話題にすっかりリディアは魅了されてしまい、しまいにはこちらの世界で暮らしてみないかとまで提案され、バーナビーに父親は窘められていた。


 途中、彼の弟のミシェルが就寝の時間だからと席を立ち、リディアに挨拶をするから屈んだら、頬にかわいらしくキスをされて少し驚いた。


「おやすみなさい、美しいオーロラのお姉さま。明日になったら僕ももう少し大きくなっているから、少しは意識をしてくださいね」


 バーナビーも魅力的だが、この弟の魅力も天性のものだろう。

 しかし、子どもだ。


 リディアは動揺をしながらも、彼の頬に唇を軽く寄せておやすみの挨拶をした。


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