191.さりげない存在感
「リディア。そろそろ帰る? 送るけど」
ウィルの言葉にリディアは頷いて、服を見下ろす。たぶんメディカルルームから検査着を借りてくれたのだろうが、誰が着せてくれたのだろう。少し気になる。ディックではないだろう。女性の団員に頼んでくれたのか。
「この服、誰が?」
「えっと」
詰まるウィルをリディアが見つめ返すと、彼は言いづらそうに口を開く。
「――俺は知らないけど、ディックが医務室で頼んでた。着ていた服はディックが預かるって」
「気を使ってくれたのね」
あまり見たくないし、ディックなら証拠として保管してくれるだろう。
「帰る前にシャワー浴びていっていい?」
ロッカーに魔法衣が残されていたはず。それを取ってこよう、そう思い出していると、ノックの音。
返事の前に、ドアが開いて顔を覗かせたのは、リディアの親友だった。
「リディ。彼氏第一候補、入れるぞ」
「え!?」
意味をのみ込む前に、シリルの背後からキーファが顔を覗かせる。表情は変わっていないけど、聞こえていたよね。
リディアは慌てて立ち上がろうとして、けれどその前にウィルがすばやく前に出る。
「ちょっと待てよ!! 俺はっっ?」
ドアに寄り掛かり楽し気に様子観察をしようとしたシリルに、ウィルが突っかかる。
「キーファがリディアの彼氏第一候補なら俺は?」
「ランク外」
「はあ!? なんで!?」
「はっきり言ってほしいのか?」
「ああ、聞きたいね」
シリルがあしらうように鼻を鳴らし、目をすがめたからリディアは慌ててその前に口を開く。
「――ふたりともやめて。コリンズもごめんなさい、シリルが変なこと言って」
「いいえ。光栄です」
どうしよう、サラッと言われた。更に彼が口を開く。
「リディア、急に押しかけてすみません。車を取ってきました、送ります」
キーファが続ける。二人を無視して、リディアに目を向ける。そしてベッドへと促す。
「まだ座っていてください」
今、名前呼んだよね。ここ二人きりじゃないけど! キーファの“リディア”呼びに一瞬だけ気を取られるけど、気にすべきはそこじゃない。
どうしてキーファがここを知っていて、車を取ってきたのか。
というか、そもそもウィルがリディアを追いかけてここに至った経緯も知らない。
「ふーん」
ウィルが思わせぶりになにかを含んだように呟く。リディアはそれをまるっと無視した。
そして息を吸う、声を出すのに少し勇気がいる。
「――キーファ、車ありがとう。ウィルも、色々ありがとう」
二人が黙る。勇気を出して呼んだ名前、でもその後を考えていない。
どうしよう、と思った瞬間だった。ウィルが顔を崩すように嬉しげに笑って、キーファも目を柔らかく細めて笑う。
「どーいたしまして」
「大したことじゃありませんから」
リディアの顔が熱くなる。そんなふうに笑いかけられるとは思わなかった。
「シリルもありがとう」
「そりゃ、愛するリディアの為ならば」
シリルがニヤッと笑ってリディアの首に手を回し、抱きしめてくる。
「ところで、これ。ボスから」
「ディアン先輩?」
渡してきたのは、黒い外装のシックでしっかりした作りの紙袋だ。『マダム エレナ』のお店。リディアが初めて下着を買った海外ブランドのセレクトショップ。トータルコーディネイトをしてくれるが、良い品しか扱わないし、それなりのお値段になるので、友人の結婚式や、レセプションなど正装が必要な時に、コーディネートを頼むぐらいだ。
その彼女のお店の袋を覗き込んでリディアは息を呑む。
「!!」
「店から届いたぞ」
どうすればいいの。取り出してみて、息を呑む。裾は花をテーマにした透かしのレースの黒のロングワンピース。カーディガンは、ベージュの綿素材。ざっくりと編んだ肩にかけるタイプ。胸元で留める大きめの木製のボタンが可愛らしく、そのへんの安物じゃない。
不織布に包まれて透けて見えるのは、下着だよね。リディアが持っていない深紫色はマダムセレクト。きっと年齢に合わせてワンステップ上の大人の女性になりなさいというメッセージだろう。
サイズは……しばらく買っていないけど、マダムが知っていただろうか。
「ディアン先輩、いるの?」
「この時期忙しいだろ。今朝出たよ」
この時期は、師団の上層部の入れ替わりで騒がしい。
部屋に来た黒い影は……、
「マダムに下着のサイズ訊かれてボスがつまってたから、私が教えといた」
「……う」
「なんで知らねーんだろうな」
知ってたら、嫌だ。
リディアは紙袋を見下ろす。
「知られて困るもんでもないだろ」
知らなくてもいいことだよね……。ディアン先輩だって別に知りたくないだろうし。
「つーか、俺もサイズ知らねーけど」
「サイズ知るより現物のほうがいいだろ」
「そりゃ」
この会話やめてくれない?
「――リディア、着替えるのならば席を外します。ウィル、出よう」
リディアがいい加減制止しようとする前に紳士のキーファが話題を変えてくれる。
キーファからの冷たい視線をウィルは流して、それどころか雰囲気さえも切り替えてシリルを見据える。
「――いや。キーファは残ってリディアを見ててよ。それから、シリル。話があんだけど」
……何、とリディアは問いかけてやめる。シリルはウィルにちらりと視線を向けただけで内容も訊かないどころか、返事もしない。
みんなで通じる何かがあるのだろうか。けれど、訊いても答えてはくれなさそうだ。
二人が無言でドアの外に出ようとしたとき、ふとシリルが振り向く。
「――そうだ、リディ。ボスが
「え? あ!」
実習の時に、電源を切ったままだった。
またやった。実は先輩に以前も怒られた。
それ以前に、教授から仕事メッセージがひっきりなしに来るので、腹が立って夜は電源を切って寝てしまう。学内でしかメッセージを見ませんと最近は公言しているのに、相変わらず教授はおかまいなしだ。
リディアが端末の電源を入れるのを見届けて、シリルとウィルは出て行った。
そして、残されたキーファをリディアは見上げた。
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