177.怨嗟

*暴力描写があります。苦手な方はお閉じください。



 集合時間に遅れてきた生徒達が揃う、全部で五人だった。たしか七名と聞いていたが、無断欠席とみなすことにした。


 中心人物と見られる男は、なるほど体格がいい。太い腕に、厚い胸板。半袖の黒いレザーシャツは皮膚をピタリと覆い、発達した筋肉を際立てている。

 身長は二メートルあるだろう。左右に刈り上げた黒髪、前髪だけが長い。見える皮膚すべてに刺青がされていて、手首には、スパイクのついた飾り、そして舌と耳には銀色に光るピアス。

 どこからどうみても、やばい奴だ。溜まり場で仲間と薬をやっていそうなのに、よくもまあ実習にきたものだ。


(というか、問題児を押し付けられたのね)


ほかのやつらも似たような格好だ。なんでこんなのが、大学にいるのか。そもそも魔法師になりたいの?


「へえ? 新しい女がいるぜ」

「子猫ちゃん、なんて名だよ?」

「へー、いい女じゃん」


 教師ではなく獲物としてみられている。リディアは身を固くした。

 ウィルもマーレンも可愛く見える。こんな問題児がいたのか。

 

 リディアは、彼らの前にハイヒールを踏みならしてグイグイと近づいて、目を眇めて上から下まで睨め付けた。


「服装、言葉遣い、学習意欲、学ぶ姿勢。すべてにおいて実習をするのに、ふさわしくないと判断します」


 ヘイに振り返り、リディアは告げる。


「ヘイ魔法師には、ご足労いただきまして誠に恐縮ですが。実習するにふさわしくない態度とみなしまして、実習中止とさせていただきます。学内で指導をいたしまして、後日報告とお詫びをさせていただきますので、ご容赦いただけないでしょうか」

「――なあちょっと待てよ」


ぐいと腕を掴まれて、引き寄せてきたのは黒レザーの男。リーダー格のようだが、キイキイヒステリーを起こすわけでもなく落ち着いていて、厄介だと思う。


 獣のような匂いがする、汗とマリファナとタバコの匂い。


「俺ら、これが補講実習なわけ。勝手にやめにされたら困んだよな」

「だったら、それらしい態度をとるべきだったわよね」


リディアは、太い腕をねじり上げるが、全く動じないでそのまま薄ら笑いを浮かべている顔。


(喧嘩慣れしている)


「――困りますね。教員と生徒のほうで意思の疎通ができていないのは」

「申し訳ありません」


 ヘイの言葉は平坦で、感情が見えない。だが相手は実習を受けてくれる施設だ。リディアが頭を下げるしかない。

 たとえ、この生徒たちがリディアの受け持ち領域でもなく、初対面だったとしても、所属する大学の引率教員がリディアなのだから。


「こんな不良を押し付けてくるとは、失礼な話です。けれどリディア殿。あなたのような人にはふさわしい処遇なのでしょう」

「え?」

 

 背後の生徒たちの視線が絡みつく。ヘイの失礼な物言いは彼らの興味を引いたようだ。


「あなたたちのことは、私も聞いていますよ。大学側からも優遇してくれと言われていますし。あなたたちにとっても悪い実習ではないでしょう。――ついてきなさい」

「――待ってください、ヘイ魔法師!」


「この実習の主導権は、私にあります。リディア殿、おわかりですね」



 背を向けるヘイの翻る魔法師の法衣。冷ややかでいながら、愉悦を含んだ声音。


「――子猫ちゃん。あいつと何かあるのか?」

「子猫じゃない。リディア・ハーネストよ、次にそれを言ったら、舌ピアスを引っこ抜いてやるからね。ゴードン・ヒル」


 お尻を撫でてきた右手を掴んで脇に固め、そのまま背負い投げをしようとしたら、その手がリディアの胸を鷲掴みにし、思わず小さく声をあげてしまう。


 そして、頬に伸ばされる舌がリディアを舐め上げた


「――子猫ちゃん? なんだって」


 突き飛ばすようにして離れたリディアの後ろで、さざ波のように含み笑いが広がる。リディアは顔を真っ赤に染めて、彼らを睨んでそれからヘイを追いかける。


 鳴らされる口笛と、卑猥な掛け声。


 実習とは思えないほどふざけた態度の彼らを振り向くことなく足を進めるヘイの魔法衣に、リディアも困惑し嫌な予感に拳を握りしめた。







 森の奥深くに進むにつれて、日照量が減り木々に覆われた陰気な様相になる。絡まる蔦、ぬかるんだ地面、変形した枝が何かを求めているかのように絡み合う。


 広がって歩けるような空間はない、皆が密集してわずかな足場を確かめながら、ゆっくり進む。


 最初は雑談をしていた生徒の彼らも次第に苛立ち、途中誰かが木々を蹴り飛ばす音が響いた。


「おい、オッサン。いい加減にしろよ」


(おっさん……)


リディアもヘイは好きではないが、こんな失礼な態度を見過ごすことはできない。振り向き叱責しようとした時、ヘイは立ち止まる。


「ここですよ」


 不思議で――不気味な場所だった。


 平たく伸ばしたような岩が、横たわっている。まるで舞台のようだ。その頭上は葉のない木々の枝だけが伸び絡み合い、まるで枝の円蓋を作っているかのようだった。


その中央には、首輪をされた生き物が一体。


 灰色のまるで髪の毛と間違えそうなほどの長い毛並みは、ところどころこびりついた血が固まっている。

 毛の間に見え隠れする一ツ目、一ツ口。首輪から下は、まるで人の幼児のように両手両足で四つ這いとなりミーミーミーと憐れに鳴いている。


 さらに奥の壁には、掘り抜かれた洞窟のような空間があり、まるで牢屋のように石状の棒が並んでいる。覗くのは同じ生き物。数匹どころじゃない、何十と詰め込まれていた。


「これは、どういうことですか……ヘイ魔法師!?」


 リディアが詰め寄ると、ヘイはそれを一瞥もせず、リディアにだけ仄暗い瞳を向ける。


「どういう、とは?」

「なぜこんな酷い扱いをなさっているのですか!? これではまるで――」


 虐待です、そう言いかけてリディアは言葉を飲んだ。


「まるで? 魔獣ですよ」

「森の子ども! 害のない妖獣です!!」

「初級から中級の魔獣を用意してくれとおっしゃったのはそちらです。もっと見た目が凶悪の方がよろしいとかそういう我儘を言われても困りますよ。こちらも、そうそうそちらの希望通りに都合のいい魔獣が捕まえられる訳ではないと最初にお断りしているはずです」


「ですが――」

「なあ? いい加減にしてくんない? 子猫ちゃん?」


声をかけてきたのは、ゴードンではなかった。欠けた歯が見え隠れする。口の中で葉を噛んでいる。カートと呼ばれる向精神作用のある葉だ。


「あちらさんとこっちで、合意ができてんだろ? 騒いでるのはアンタだけ」

「さっさとおわらせよーぜ」

「可愛く啼くのは、別の時にしてくれよな」


 腰に伸びてきた手をリディアが払いのけると、ひひっと笑う声。


 リディアが口を引き結ぶと、一人が繋がれた妖獣を蹴り上げる。


「――やめなさい!」

「なんで?」

「ああ、魔法だっけ?」

「たりーな」


 キャンという犬のような鳴き声が響く。

 一人が出現させた氷の氷柱が一つ目を貫く。森の子どもは、鎖に繋がれて、目を貫かれて、足が砕かれて絶命していた。


「なあこれ、何匹やんの?」

「一人三匹です。そうですね、リディア殿」


(――こいつ!)


 頭の中が白くなる。ヘイの目が見開かれ、同時に顔が横に向いたのは、リディアがヘイの頬を引っ叩いたからだ。


 パンっという音と、ヘイの頬に赤みがさす。

 唇に滲んだ血を彼が拭う。


「いい加減にしてください。虐待行為も、それを生徒に見せることも」

「困りますね、暴力行為は」


 ヘイがリディアの腕を掴み、強い握力で握りしめたまま宙に吊り上げる。


「生徒はそちらの掲げた目標をこなし、私もその手伝いをしただけ。あなたは、その場を乱し、乱暴を働いたというわけです」


「大学に苦情を訴えるならば、そうしてください。どちらが正しいかは、この場で決めるべきではないようですから」


「ですが、私もこのままではいい笑い者です」


 ヘイが言って、リディアの腕を背中に回して捻りあげる。リディアの喉から、苦痛の声が漏れた。


(力では敵わない)


「現場での問題を、そうそう大事おおごとにすべきではないでしょう。その場で収めるよう私も指導を任された身ですから」


 彼はリディアを腕の力だけで引きずり、石舞台へと登る。そこには、憐れな妖獣の死骸が血の中に沈んでいた。



 学生達も、異様な雰囲気に顔を見合わせて、数歩下がる。まるでヘイの独壇場だ。


「離して!」


 リディアが、腕に力を込めるとヘイは唐突に腕を離して突き飛ばす。リディアは石の上に手をついて、彼を見上げた。

 それから横たわる妖獣を見下ろし、ジャケットを脱いで、裸体を隠すように、その上にかける。


「どういうおつもりですか?」

「どうって、実習の続きですよ」


  彼の瞳は、片方は何も映さず、もう片方も白目が赤く充血しており不安を呼び起こす容貌だ。けれどその目は確かに今は正常を外れた、狂気を帯びている。


(――彼を、押さえたほうがいい?)


 もはや実習は継続不可能だろう。

 彼はリディアへの怨嗟に取り憑かれている。


「あなたが捕らえた魔獣を殺すのが反対ならば、別の対象にしましょう」

「別の?」


 リディアには、予想できていた。

 ぼやぼやしていられない、立ち上がり、構える。


「さすが、理解が早い」

「まさかとは思いましたが」

「そうです。先生を倒してみせたら、魔獣三匹のかわりとして目標件数の達成と認めましょう」


 生徒は顔を見合わせている。


「面白そうだけどな」

「それって、五対一?」

「そんなことより、もっと楽しいことしようぜ?」


「――楽しいこと? これは、十分あなた達にとって有益ですよ」


 ヘイはくすくすと笑いだす。

 リディアは、足元を見下ろして靴の先で地面をこする。


(やられた)


「おや、気づきましたか?」

「――いくらなんでも。気でも違いましたか?」


「まさか。特級魔法師グランマスターであるあなたと、中級魔獣を同等扱いにはできないでしょう。五対一とはいえね、ハンデですよ、生徒への」


「これは試合でもないし、実習でもないです。暴力で、リンチです」

「おや。もともと捉えた弱い魔獣を、鎖でつなぐ。それを集中攻撃で倒させることが暴力でしょう?」


 リディアは黙る。


 そのような実習のあり方は、リディアも疑問視していた。というかはっきり言って反対だ。


 でも自分に関係ないからと黙っていた。


 そうしたら――このザマだ。

 自分がそれに加担することになるなんて。


「皆さん、安心なさい。リディア殿は特級魔法師グランマスターですが、ハンデを与えて全く魔法は使いませんよ。どうぞ、存分に楽しみなさい、実習は楽しむものです」


 リディアの下。

 白い石英で描かれていたのは、魔法封じの魔法陣だった。白い台座で隠されていたが、入念に準備をされたそれは、かなり高度な魔法術式が描かれている。


 一人分の小さな陣。けれど蜘蛛の巣のように、一度入った獲物を絡んで離さない。そこから離れようとしても、足が出られない。


 ヘイがリディアに屈んで、耳打ちする。


「言い忘れましたが、私は視力をなくして上級魔法師マスターの資格を失ったのです。そして今、学生指導などというつまらない閑職に追いやられている。ですから、楽しみを与えてもらってもいいですよね」

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