173.ヤツとの対決
「――センセ。高くつくぜ」
「貸しは十分にあるわ、そろそろ返せ。十割増しで返せ」
「ていうか、魔法で殺せばいいじゃん」
「――火玉投げるより、殺虫剤が一番効くと思う」
「まあな」
チャスと並んで歩くと、一歩遅れてキーファとウィルがついてくる。バーナビーは寝ていたからおいてきた。
ウィルは、リディアに単独で話しかけてこない。そしてリディアのウィルに対する態度は、今までどおり。生徒が授業などで、質問するのをためらうようになってはいけない。いつもどおり何事もなかったような態度は必要。門は開いておくのだ。
そしてキーファは、驚くぐらい今までと同じ態度だった。最初は緊張気味に挨拶をしたリディアに爽やかに笑って「普通でいいですよ」と、誰もいない時にそっと告げただけ。それ以降も、教師と生徒の距離感と話し方だ。
ウィルの時もそうだったけど、ドキドキさせられたし、どう返事をしようかと、ここ最近眠れなかったのだ。BBQは、気もそぞろになってしまった。
(……なんか、私、ずるい)
自分が一番楽な道を取っているみたいで、許せないような落ち着かなさ。でも「それでいいです」と言われてしまうと、どうしていいのかわからなくなる。
ウィルとキーファは二人で並んで歩いている。それぞれの告白は嘘だったのじゃないかと、自分だけが意識しているような気分になってきて、どうしていいのかわからない。
ことさら背中の向こうを意識しないようにして、リディアはチャスとの会話に集中する。
「――センセ。二人のこと気にしてる?」
「え、え!?」
と、チャスが目をくりくりさせて不意に顔を近づけて、笑いかけてくる。
「朝はふたりとも変な緊張があったけど。バーナビーがそれを指摘してさ。そしたら、今はいつも通り」
「……そう」
「まあ、どういう取り決めをしたかは、しんないけど。ほっといてもいいんじゃん?」
生徒を引き連れて自分の研究室に戻ると、サイーダと用務員がいた。
「ああ、ハーネスト先生。ゴ○ブリって、どの辺りにいましたか?」
「あの本棚の下に入っていきました」
スプレー式殺虫剤手にする用務員にリディアは説明する。その後ろにいる生徒に、サイーダが目を向ける。
「あら、ウィル。元気?」
「ちーす」
ウィルは軽い口調でサイーダと話している。
「サイーダセンセ。いつも美人すね」
「チャス。ほんとのこと、ありがと」
チャスのセリフは結構本気が入っている。ていうか、そういうこと言える男子だったのかと驚く。
男性が好みの女性に見せる態度の違いって面白い。彼は絶対にリディアにはそんなことを言わない。サイーダが好みなのだろう。
「――ブライアン先生。こんにちは」
「キーファも元気そうね」
キーファは、教師に接する見本のような礼儀正しさ。最初の頃のリディアに対する態度と同じようにも見えるが、やっぱり気安さはある。
サイーダは、二年生の必修授業の基礎火系魔法論も教えていて、その頃からの付き合いらしい。
「――っ、やあああっ!」
と、黒い影が床の端を横断してリディアの方に来るから、叫んで思わずキーファの後ろに逃げ込んでしまった。
「来た、来たよっ!!」
「先生。あちらに行きましたよ」
「まだいる!!?? まだ死んでいない!?」
キーファの背中越しにそっちを覗き見ると、用務員さんはスプレーを構えているのにへっぴり腰だ。
え、苦手なの!?
そのままヤツはコピー機補充用のA4用紙を詰めたダンボールの下に潜り込む。
「――リディア。部屋から出てればいーじゃん」
ウィルに呆れたように言われる。
「いても役にたたねーし」
「う……」
何も言えない。
「私会議だから。あとよろしく」
サイーダが迷うリディアを残して、MPと大量の資料を片手に部屋を出ていく。
あ、ちょっと待って。自分が部屋をでたら、部屋の住民がいなくなってしまう。
「サイーダ先生。それ俺、持ってあげてもいーよ」
チャスがサイーダを追いかけるように出ていってしまう。うん、チャスのそんな親切初めてみたぞ。
若干逃げたんじゃないかと疑うが、こんなに人数はいらないかもしれない。
ウィルがリディアの後ろから前に進み出て、スプレーを用務員から受け取りヤツのいるダンボールに吹きかける。
「見なきゃだめ? 見なくてもいい!?」
「見なくていいですよ」
キーファの声に甘えて顔をそむけていると、何かパシって言う音がして「殺した」とウィルの一言。
「え。殺したの? 死んだの?」
「ティシュある?」
「好きなだけ貰って」
どうぞどうぞ、とボックスティシュを差し出すと、ウィルの手には雑誌を丸めたもの。
「ねえ。まさか……」
「これで叩いた」
「……こ、来ないで!」
ウィルのしかめた顔に、リディアは顔をそむけながら謝る。
「ごめん、でも無理!! 殺してくれてありがとう。でも、その雑誌どうするの!!」
「捨ててくる」
慌ててリディアはコンビニの袋を彼の背中越しに差し出す。ヤツは見ない。
ウィルはティシュで掴んで、ビニールに入れて、雑誌も片手に部屋を出ていく。
なんて手際の良さ。なんて男らしい。
用務員とウィルが一緒に出ていった部屋に、リディアとキーファは二人きりで残された。
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