158.キーファの過去

 リディアは暗闇の中に立っていた。何もない。けれど、自分の姿は明瞭に見ることができるのだから不思議だ。


「先生」


 振り返ると、キーファが困惑した表情で立ちつくしていた。彼の姿も見ることができる、そして予想通り彼は落ち着いていた。


「ここは、先生の心の中ですか?」

「そうね、心の中。ここでは、キーファと呼ぶわね。心の中では、自我を失いやすいから。あなたも、私をリディアと呼んで。互いに名を呼んで意識しあうの。それから手をつないで、はぐれたら困るから」

「え、あの!?」

「さあ行くわよ。奥まで進むの」


 キーファの手首を、袖越しに掴んで先を急ぐ。意識しない、リディアが意識をしたらキーファも困るだろう。


「リディア……先生、こんなことをしていてチャスは平気なのでしょうか?」


 キーファのリディアに対するためらいがちな呼称。いきなり名を呼べと言われても、彼も困るだろう。色々困らせていることに、リディアは反省する。

 けれど、彼のギリギリの譲歩かもしれないし、気づかないふりをする。


「心の中では、時間の経過がないの。だから戻っても一秒も経っていない」


 そう説明をするとキーファはほっとしたのか、少し気配が穏やかになる。

 こんな境遇に置かれた自分のことよりも、チャスのことを考えられる性格なのだ。彼の優しさや、面倒見の良さを意識する。魔法が使えなくても、彼は自身の力でポジションを築いている。


「さきほど……チャスのことを、膝枕したのはどうしてですか? 何か理由があるのでしょうか」


 キーファが聞いてくる。リディアは少し迷ったが、キーファならば話してもいいだろうと口を開く。


「さっきは、時間の経過がないといったけど、もし迷ったら抜け出せなくなる。そうすると永遠にこのままになるの」


 キーファの表情は変わらない。動揺は見られないから続ける。


「勿論そのつもりはないけれど。一応ローの状態も気になるから、ローの拍動には指を当てているの、戻れなくなっても、ローの変動があればすぐに戻れるように仕掛けてきたの」

「リスク回避ですね」

「あと、彼の体温低下も気になるから、密着していたほうがいいでしょう。少しでも温かくなるようにね」

「そうですか、少し妬けます」

「え」

「怪我人なので、仕方がないとは思いますが」


 そういう事を言うタイプではないと思っていたけれど、自嘲気味に苦笑する顔に、リディアは何も言えない。キーファはそこで話を終わらせて、続ける。


「心の中に入るというのは、文献でしか見たことがありませんでした。魔法を理解するための方法のひとつだと。この方法は一般的なのですか?」


 大学では教えない方法なので、リディアも言わなかったけれど、と前置きする。


「私は八歳の時に、魔法師団所属の魔法学校初等科に入ったの。大学では、魔法の術式と詠唱を教えられて暗記するでしょう? けれど、幼い子はその前段階として魔力のある場所、出し入れを学ぶの」

「出し入れ?」

「ええ。通常、魔法を発現させるには、魔法の術式を展開させるでしょう? その術式を脳裏に描くことにより、自分の中から必要な魔力を放出させる。そして請願詞の詠唱は、自然界にある属性への命令。この二つを組み合わせることで、魔法の現象を起こさせる。だから大学では、この魔法術式と請願詞の文言を覚えさせる」


 キーファには、大学教育とは違うアプローチがあることを告げるには躊躇いがあるが、秘密でもないし、今告げておくべきだろう。


「人の魔力が、どこで作られるかわかっていないのは、知っているわよね」

「はい」


 人の中にある、魔力のありかはわかっていない。今の主流の考え方では魔力は、血液に含まれていると言われている。魔力のある人間の血液からは、微量だが魔力素というものが、検出できるからだ。だが、構成場所が解明されていない。

 最近の見解では、血液中の魔力素は血液に流れこんでいるだけで、本当の分泌は、別の場所だといわれ始めている。それは、ハート――心臓であり心だという哲学者と、心――つまり脳から作られるという脳科学者の見解に別れている。


「初学者には、心の中に魔力をしまう場所を作らせ、各六属性の魔力を出し入れする方法を覚えさせるの。その方法で覚えると、魔法術式を展開しなくても、自分の中から、その魔法にちょうどいい魔力を構成して、放出することができるようになるの――、一瞬で」


 キーファは少しだけ黙って、返事をする。


「大学でそれを教えないのはどうしてですか?」

「――魔力の源泉である“心”の存在を、大人は“わかる”ことができない。魔力を呼吸と同じように出し入れできるのは、幼少期にしか習得しかできない、と言われているの。ただ、魔力のありかのエビデンスはないし、実際大学で教える請願詞と魔法術式で、魔法は発現できるから魔力の存在を習得しなくても問題ないのよ」

「俺も――それを覚えることはできないのでしょうか。俺がそれを覚えることで、魔法の発現ができるようになるということは――」


 キーファはいいかけて、黙る。


「すみません。少し、気が焦りました」


 リディアは振り返り、キーファと向き合う。


「いいえ、私もそれを思っていたの。あなたはここに来ることができた。違うアプローチになるかもしれないけれど――」


 ただ、原因がわかっていないのだ。魔力のある場所をわかっても、魔法が使えるようになるとは思えない。


「俺は、伝えてないことがあります」


 キーファは珍しく、感情をこらえているよう。リディアは、彼の腕を離す。


「俺は――六歳の時にバスの事故にあいました。俺と弟は外に放り出されて、妹だけがバスに残っていたのです。弟は俺に「火を消せ」と言いました。以前、少しは魔法が使えたから。でも、俺はできなかった。何も、できなかった」


 リディアは、彼の方に手を伸ばしかけて迷いながら、彼の顔を見つめる。


「すぐに、魔法師団が到着して、彼らの助けで火は消されて妹は助けられました。ですが、――俺は、そのことで自分を――憎みました」


 キーファが、魔法が使えなくてもいい、研究者になる。そう言っていたのは彼なりの、自我を守る対処行動だったのだろうか。


「キーファ。事故はあなたの責任ではないし、妹さんの怪我もあなたには責任はない」

「……」


 彼はそう言われ続けて来たのだろう。今更リディアが同じ言葉を伝えて、何になるのだろう。


「キーファ。あなたは――諦めたくないのでしょう?」


 キーファは沈んだ声でポツリと言葉を紡ぐ。


「……妹は、母が違うのです。俺の母と離婚して、父が再婚した後に生まれた妹です。俺は意図して魔法を使わなかった――そう思っています。使えなくなったのは、罰なのだと――思います」


 リディアは、キーファの肩に触れて手を置く。自分がもっと年がいっていればよかった。彼の母親ぐらいの年齢であれば、経験も豊かで包容力もあって、きっともっと安心させられるのに。


 彼はリディアが触れると緊張したように肩を強張らせる。リディアは気がつかないふりをした、こういうのは意識したらいけない。リディアから近づいて、彼の瞳を覗き込んで、穏やかに笑いかける。


「妹さんは、可愛い?」

「え、あ――はい。大事です」


 リディアは自然に笑みを深めた。


「でしょうね。あなたの目は、妹さんを大事だって言ってる。それに、大事じゃなきゃ今でも気にするなんてない。そしてね、嫌いでも、どんな感情でも魔法は使えるわ。複雑な感情だから発現しないとかもないし、罰とかもない」

「ですが――」


「私も、嫌いな相手の治癒をすることもあった。でも案外、そういうときって自分の感情抜きに助けてしまうの。そんなことどうでもよくなるのよ。あなたもそうだと思うわ」

「……」

「自分を罰しなくていいのよ。あなたが許せなくても、あなたが自分を責めていて、妹さんを大事に思っていることが、私はわかるから。だから私が断言する、あなたは悪くない。あなたが魔法を使えないのは、そのせいじゃない」

「先生――」

「これでもそこそこの経験があるの。私を信じて」


 偉そうでも、ここははったりというか、自信を見せつけるところ。

 リディアがキーファの目を覗き込んで悪戯げに笑うと、キーファは黙ったまま顔を赤くした。


「キーファ」

「……いえ、あの、ありがとう、ございます」


 キーファは顔を俯けて、小さく礼をいう。いつもの彼らしくないけれど、打ち明けたことが恥ずかしいのかもしれない。


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