152.ささやかな企み


「実習室の清掃は十五時からですね、ウィルに聞きました。よろしくお願いします」

「ごめんなさい、手伝わせて。でも助かる。ありがとう」


 掃除は本来、生徒の仕事じゃない。けれど一人で片付けているリディアを見て、以前にウィルがみんなに呼びかけてくれたのだ。その時約束していた時間をキーファが確認してくる。


 ウィルは何も言ってこなかった。でも、ちゃんと段取りをしてくれるところが、やっぱりできる生徒だと思う。


(ウィルは、話すきっかけに困っているだけかも)


 ずっとリディアに接触してこないウィル。

 リディアの方から彼に話しかけるしかないだろう。

 あのやり取リには、全く触れないようにしよう。授業とは関係ないのだ、そうしよう。


(でも……ウィルは意図的にその話を避けるとか、嫌いそう)


 結局、あの話題を蒸し返してきそうだ。


「――先生?」

「あ、ごめんなさい。みてもいい?」


 今はキーファのことに集中しよう。

 キーファから受け取った魔法師団での高度測定値にリディアは目を走らせる。


「すごい……」

「魔法はやっぱり使えませんが――」


 そう自嘲するけれど、キーファの瞳には自信が見え隠れしている。

 聖剣を発動させた、今はそれだけだ。まだキーファには潜在的にどのような力があるのかはわからない。それでも彼は調べることに希望が見えて、うれしそうだ。


 ――聖樹からの力の提供。恐らくキーファは、属性から好かれやすいのだろう。六属性からの多大な魔力の贈与を受け、増幅して魔法を発現する。


 けれど、それがキーファの能力だろうか。

 恐らく、もっと強大な何かがある。

 それに、キーファが魔法を発現できない理由がまだわからない。


「団長から聞いたと思うけど、負荷テストはどうする? 学生だし、能力値を正確に出しておく必要はないと思うから、私はあまり勧めないけれど」

「VRとは違うんですよね」

「ええ、脳を睡眠状態に持っていきながら特定の刺激を与えて実体験のように思わせるの。あなたの一番負荷となりやすい記憶や弱点を呼び起こすから、その時はかなりストレスになると思う。ただ後で夢として処理させるから、後遺症はないわ」


「俺が一番触れてほしくないもの、ですね」

「そうかもしれない」

「多分、俺が一番恐れているのは――」


 キーファはそう言って目線を落として、口元を抑えて黙る。


「……なんでもありません」

「コリンズ。無理しないでね」


 いいえと、キーファは首を振る。


「……そういう意味じゃないんですが」

「もし受けたいなら、受けていいのよ。私も付き添うから」

「……」


 ディアンに指摘されたとおりだ。キーファはリディアが付きそうことを望んでいない。

 テスト中は、血圧や心電図波形などのバイタルサインをモニターしながらの計測になる。寝ている間に、苦悶様表情を見られたり、呻き声を聞かれるなんて嫌だろう。


「……嫌、よね」

「そうですね。あなたに情けないところは見せたくありません」


 はっきりと言うキーファにリディアは頷く。ここは、完全に他人である師団の技師に任せたほうがいいのかもしれない。


「気が変わったらいつでも言ってね。力になりたいから」


 キーファはリディアを見返す。その顔は苦笑を浮かべているが、眼差しは優しい。


「……ありがとうございます」


 その眼差しに含まれた意味を考える前に、キーファが口を開く。


「――ところで、ケイのことですが」

「ええ」


 キーファによるとケイはSNSでのアイドル活動ができなくて、不貞腐れているらしい。家で大人しくしていてくれればいいけれど、なにか騒ぎを起こしそうで嫌な予感がする。

 そして、本当はリディアも訊きたいことがあるのだ。

 あの匂い――、あれは。


「実は、ケイの“魅了チャーム”について――彼と話したんです」


 リディアは促すように、キーファに頷く。


「先生に聞いて、“魅了チャーム”の魔法の論文検索をしたのですが、信頼性の高い論文はありませんでした」

「ええ。そうよね」


 魅了は魔法ではない。それがわかっているため、研究さえもされていない。


「ですが、シルビス語での論文が二つほどありました。あまり信頼性は高くなく、あくまでもレビュー程度ですが」

「シルビス語の?」


 それは珍しい。というか、キーファはシルビス語を読めるの?


「それによると、魅了チャームという能力を使えると自称する者――それは、思春期に多く、年齢と相関があるそうです。つまり、『若くて容姿に自信がある者ほど魅了チャームがあると信じている』と」


 リディアは無言で頷いて、話を促す。


魅了チャームの能力を失くしたと感じる者は、年齢を重ねるほど増える傾向にあったようです。考察では、『年齢を重ねたことにより、容姿による魅力的な効果を他者に与えることができなくなったのを、本人は魅了チャームの能力がなくなった、そう思い込んでいるのではないか』と」

「うーん」


「ですからケイに言いました。『魅了の力は容姿と関係がある』って」

「確かに論文からは、そう言えるけど……」

「はい。ケイは『魅了チャームの力を使うと容姿が衰える』と、そう捉えてくれました」


 リディアは口を閉ざして、驚きの眼差しでキーファを見る。

 キーファは、言い回しで「魅了チャームを使うと容姿が衰える」とケイに勘違いさせたのだ。


「これでケイは魅了を使わなくなる、と期待しています。容姿の衰えは、彼が最も恐れることですから」

「――うまいわね。本当は……いけないけど」


 本来論文が述べていることとは違う説明をケイにしたのだ。キーファは、論文を理解した上でそれをしている。勿論、いけないと知っていて。


「コリンズ。あなたはちゃんと論文を読みとる力があるから、もうしないでね」


 他者の論文を引用する際に、自分の都合のいいように抜粋してしまう研究者もいる。無意識なのか意図的なのか。最初は罪悪感があったとしても、続けていくうちに慣れてしまうのかもしれない。


 リディアは、キーファの目をまっすぐ見つめ返す。


「でも私のため、よね。それから彼が他の女の子を傷つけないように抑止するためでしょう? ありがとう。私が対応しなきゃいけなかったのに」


 キーファの眼鏡の奥の瞳は、初夏の湖のようにきれいな青をしていた。彼は、まばたきもせずリディアをじっと見る。


「いいえ、前も言いましたがケイと二人になるのは危険です。ですから俺が彼にしたことは気にしないでください。……ですが。先生は、ケイのことをまだ気にしていますね?」


 リディアは驚く、本当によく見ている。


「何か、悩んでいるなら話してくれませんか?」

「コリンズ……」


「何回も言いますが、一人で行動しないでください。力になれると思います」

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