102.教育的指導
マーレンを連れて、作戦指令室の天幕に戻ったリディアは、ディアンと団員たちと落ち合う。
目の前にはモニターを含む機器類がある。
「へえ。こんなとこで覗き見してたのかよ」
マーレンは、口も態度もすべてがデカイ! リディアが叱りつけようとすると、ディックがマーレンの肩をガシッと掴んで顔を覗き込む。
「ああ。坊やにはまだ刺激が強えからな、見んじゃねえよ。ところで、ちょいと顔かせよ」
「んだよ、ガキ扱いすんじゃねえよ、お前も年はおんなじくらいだろうが!」
マーレンが振り払い、ディックを振り仰ぐ。
ディックは細長いが、身長百九十三もあるから、よけいにひょろりとして見える。でもその手足は筋肉の塊だ。無駄な贅肉が一切ない。
短髪の干し草色の髪、額に巻いた布、やんちゃな笑みを浮かべているが、目の奥は冷たい光を宿し、実は結構曲者だ。
リディアより三歳年上だが、リディアが十歳の時に
「なあガキ? 俺は男のケツを掘る趣味はねえけどな、靴を舐めさせることはできんだぜ?」
「はあ? 俺を誰だと思ってんだよ、俺は――」
ディックが最後まで言わせずにマーレンの頭を掴む、容赦のない力と目に宿る色は本気だ。
地面へと頭を押し付ける。
その瞬間、ディアンが端末から目を上げた。
「マーレン・ハーイェク・バルディア。随分お前の周辺が騒がしいな」
「――っ」
マーレンが地面に頬を着いたまま唸る。ディアンが離してやれ、と告げると、ディックが彼の頭髪を掴んで持ち上げるように立たせる。
「いってえ、ハゲるだろ」
「坊やだから、これから生えるさ。ああ、下の毛もこれからか?」
「うるせえ、俺様には立派な――」
「――いい加減にして。この会話聞きたくない」
リディアはため息をついた。下品だ。
ディアンは完全無視しているから、まだ安心だ。彼の我慢を超えると、こっちもとばっちりを食うことになる。
「一人は病死、こいつは長らく病床にあった二番目。他は趣味の乗馬中に落馬して頭蓋骨陥没、もう一人は蜂に刺されてアナフィラキシーショックか。名前は非公開、国葬もしない。王族のくせに随分な扱いだな」
リディアは息を呑む。ディアンは多くは語らないが、マーレンの家に不幸があったということだろうか。しかも、三名。兄弟だろうか。
「王太子以外は、非公開。いや、王太子に決まるまでは、存在すら認めない、か」
彼の国については明かされていないことが多い。
ただ他民族国家で、王妃は各部族の血を引く貴族から集められて、その子達の中で王位継承に勝ち残ったものだけが王太子になり、名前を公表される。
それだけを聞いたことがある。
それまでは何番目の王子か王女、それだけしか周知されていない。
「……勝ち取れば認められる。その力がなけりゃ存在なんて、知られねえでいい」
「帰りたいなら送ってやる、お前の取り巻きもな。っても、うちの国の王都までだが」
マーレンは頬に土をつけたまま黙ってしまう。
普通の家であれば、兄弟が亡くなったら授業も実習もすっぽかして、直ぐに帰宅するだろう。
「別に。兄弟が死ぬのは日常だ」
「母親に帰国を促されてるだろう」
「今更だよ! アイツは何をしたって満足しない。俺が国にいようがいまいが、どっちでも同じだ、ここで遊んでてもな!」
「遊んでる、か」
淡々とディアンが繰り返すと、マーレンは流石にぎょっとしたのか、慌てて言い直す。
「じゃなくて。遅れを取るっていうけどな!――けど、俺は」
「――お前の事情は、俺達には関係ない。戻るか残るか、それを決めろ、今」
「……俺の成績はどうなんだよ」
ぽつりと全く場に不釣り合いな事を言うが、現実的な事を言うのは、考えたくないという防衛反応だろうか。
リディアは、彼の前に立ち頬の土をハンカチで拭ってやる。
ディックの行動は、学生相手にはちょっと問題になるかも。
「どっちみち私が介入した時点で、あなたは実習を棄権。でも出席したから及第点。詳しくは学内会議で決めるけど」
「リディアはどう思うんだよ」
「私?」
というか、何でコイツはここでも呼び捨て?
自分で決めなさいと突き放してもいいだろう、成人しているのだから。
でも彼の今回の暴走は、この情報を聞いたせいかもしれない。
「アンタの意見が聞きたい」
「お家のことはわからない。ただ……物騒ね。帰すのは心配だけど……」
「マジ? 俺のこと心配!?」
「ガキ。うるせえぞ」
「リディア、なら俺と一緒に国に来ねえ?」
「――黙れ」
先程のは、ディック。けど今の冷え冷えとした声は、ディアンだ。
低い端的な声。
ヤバイ、これ以上待たせると地獄の悪魔を呼び出しかねない。
「お家に問題がないなら帰りなさい。ここのほうが安全ならここにいなさい」
「仕方ねぇな、お前が残れっていうなら」
「ただし! 今すぐに検査を受けてもらうから。生体検査と魔力変動について」
なんでだ? とマーレンが顔をしかめて、不意にもじもじと耳をいじる。
「痛い? ちょっと引っ張りすぎたのかも」
さきほど、リディアが引っ張った側だ。
ちぎれてしまえ、と思ったが結構頑丈でちぎれなかった。
まあ、リディアもそこまで鬼にはなれなかったし。
リディアが立ち上がり、彼の耳に対して視診と触診をしようとすると、マーレンは座ったまま飛び退る。
どうしたのか、顔が赤い。
「どうしたの?」
「いや、その……」
ディアンのもとに、団員が駆け寄り耳打ちする。ディアンがディックに視線を向けると、彼はそれだけで了承したと立ち上がる。
「――リディ、俺らは行くぞ」
ディアンも外套を翻し戦闘モードだ。
ようやく部族長とスルタンとの三者での会合が実現となるらしい。
リディアは今行くと頷く。そろそろ自分も学生たちのもとに帰らないといけない。
「なあ……ちょっと、待てよ」
掴んでくるマーレンの腕。
リディアはその腕を見下ろし、先程のことを思い出す。
“――俺を捨てるんだろ”
リディアに流れ込んできた、彼の感情。
魔力を同調したからだが、感情が流れてきたのは、リディアにも引きずられやすい理由があったから。
(“捨てないで”と、叫んだのは――私も同じ)
今、彼には何が必要?
彼の手は、いまリディアを掴んでいるのだ。
「――マーレン。あなたのことは、見捨てないから。――安心して」
リディアは座るマーレンの前にかがむ。
目線をあわせて囁くと、マーレンはハッとリディアの腕を離して、距離を取る。
リディアはにっこり笑って「ちょっと待っててね」と背を向けた。
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