51.リーダーの条件


 待ち合わせ場所は、バス停だった。


 時刻は二十時。外灯の淡い光に照らされて、リディアが裏門からゆっくりと歩いてくるのを、キーファはまぶしげに目を細めて見つめた。

 ヒールはやめてフラットシューズを履く足首はパンツの裾で隠れているが、わずかに庇う歩き方で、様子がおかしいと目を引く。 

 

 キーファはさり気なく歩み寄り、リディアに手を差し出す。


「コリンズ、ありがとう。でもいいよ」

「誰もいません」


 リディアは困ったように首を振る。


「そんな歩き方で、手助けしないほうがおかしいです」

「でも」

「誰かが通りかかれば、すぐに手を離します」

 

 リディアは迷いながら、キーファの腕に手を載せた。


「かなり助かる。ありがとう」

「気にしないでください。男として当然のことです」


 それでもリディアの顔は晴れない。人に頼るのを苦手とする性格もあるだろう、だが、やはり男子生徒と何かあると誤解をされたくないのだとわかる。


(わかっているけれど……)


 キーファは、今日は譲る気になれなかった。意固地になる自分の感情が、どこからくるものかは、わからなかった。ただ今回はリディアの遠慮を無視しても押し切る、そう決めて、実際リディアは躊躇いながらもキーファの提案を受け入れているから、ついそれを強要してしまう。

 

 ひょこ、ひょこと頭を揺らし歩くリディア。キーファは歩幅とリディアの背の高さにあわせて、腕を低く保つ。

 リディアはいつもハイヒールだが、今はフラットなヒールのない靴を履いている。

 それだけで、背がいっそう低く感じて、彼女の有りように頼りなさを覚える。

 変質者がいたら、それだけで狙われそうだ。

 

 キーファは、誰も並んでいないバス停の標識の横にリディアを誘導して、固く口を引き結ぶ。付き添ってよかったと思う。


「コリンズ」


 わずかな沈黙に、リディアが口を開く。


「足首を固定してくれてありがとう。さっきより歩ける」

「病院には行かないのですか?」

「明日の午前は授業も会議もないから、受診してから大学に行くことにした」


 「そうですか」とキーファがわずかに安堵を滲ませると、リディアが頼りない笑みを見せる。生徒に心配をかけたと、気にしている顔だ。


 そんな顔をさせたいわけじゃないのに。キーファの胸の奥で、そんな声が囁く。


「俺、ケイと、話してみますよ」

「みんなの間でも浮いていない?」

「あまり交じろうとしてこないから。前の大学の話もしないので、何があってここに来たかもわかりません。――院生とは親しいみたいですが」

「院生と?」


 リディアがなぜ? と首をかしげている。「接点ないよね」と。


「私もまた機会を見つけて話してみる」

「二人きりは止めて下さい」

「でも、そういう場も必要だから。誰かがいると本音って出せないでしょ?」


 リディアの言いきる顔は、キーファのその意見に耳を貸さないという意思を宿している。キーファは口を開いて、どう聡そうかとわずかに考える。

 

 その間に、後方から光が差し込んでバスが真横に止まる。

 リディアは、キーファの手を離して手すりにつかまりながら、左足を庇いながらゆっくりとステップをあがる。

 

 バスの中は、十代前半ぐらいの音楽を聴いている男子と、仕事帰りらしいスーツ姿の若い女性で、二人ともキーファとは面識がない者達だった。


「あちらに」 

 

 キーファの促しで、空いていた一人席にリディアが座り、その後方にキーファも座る。

 キーファは話しかけないつもりだったが、リディアがいきなり振り返る。


「あのね、コリンズ。あなたも高度魔力測定受けてみない?」


 バスのエンジン音で、キーファ以外には届かない声が訴える。


 彼女は、いつも緊張していながらも真っ直ぐにキーファを見つめてくる。

 提案を断られそう、言い募る言葉を鼻であしらわれそう、そんな不安を覚えているのではないか。それを恐れていながらも、必死で言葉を探しキーファにぶつかってくる。


 だから、こちらも言葉を聞いてもいいと思わされる。聞かなきゃいけないと思わされる。


 けれど、今回の内容は――。


「も?」

「え? あ、あ。ダーリングも受けたのは聞いたと思うけれど? 聞いてない?」

「ええ。魔力測定をしたとか」


 そのことに関しては、微妙な感情が渦を巻いていて、キーファもあまり考えたくないことだった。

 ウィルとリディアの補習内容については、チャスが詳しく聞きたがったが、珍しくウィルは口数が少なく、「別に」としか言わなかった。


 それが――気にならないと言えば嘘だ。


「勿論、実習室の使用許可とあなたの時間外授業の申請書は出すし、他の先生にも言っておく。えーともしあなたがいいなら第三者も立ち会わせるし」

「――第三者?」

「ええ。だから私が襲うとかはないから、安心して。もちろん二人きりでもよ」


 魔法が使えないキーファに腫れ物を扱うように接してくる教師は多い。

 リディアも気を遣うのだろう。でも彼女が言葉を選んで探しながら、一生懸命に接してくるのは嫌ではなかった。

 

 ――けれど、この内容はなんだ?


「当たり前じゃないですか」


 リディアは目を見開いて、それから、そうよね、と自嘲混じりに苦笑した。


「変なこと言ってごめんなさい」

「――ウィルと何かあったのですか?」

「ない。なにもない!」


 強い否定。強すぎると、自分で気がついたのだろう。「ないよ、本当に」と彼女は更に重ねる。

 キーファはキーファで自分の訊き方に舌打ちをしたい思いだ。もう少し違う聞き方をすべきだった。


「あなたの魔力値、とても高いから、高度測定装置で測ったほうがいいと思う。それに魔石の反応も気になるし。ただ、私の能力では不安だから第三者にも立ち会いを頼もうかと思って」

「誰ですか?」

「まだ頼んではいないの。けれど、ディアン・マクウェル、グレイスランド王国魔法師団の第一師団の団長」

「……エリートですね」


 有名人だ、何かと噂のある。しかも、まだ若い。二十五歳で団長を勤め上げている。

 どういう関係ですか、と口にしそうになるのを、こらえる。


「そうだけど。たぶん、つなぎを作っておくことは、今後のあなたの有利になると思う。急がなくていいから、実習で会うから少し考えてみて」


 そしてリディアは瞳を揺らし、僅かな沈黙の後口を開いた。


「今度の実習、あなたにリーダーになってもらう予定よ」

「俺が?」


 正直、理解ができなかった。自分は魔法が使えない。課題の作戦案は提出した。だが自分は補佐に回るように立案した、指揮をとるべきではない。


「ええ。あなたが適任だと思うから」

「魔法が使えない俺が? 誰も納得しませんよ」


 リディアは、その意見には納得がいかないとでもいうように、首を傾げる。


「あなたはこれまでも学内での委員会の委員長や、サークルの会長、様々な場所でリーダーシップをとってきたわよね」

「それは魔法とは関係のない場だからです。これまで演習や学年末の団体戦でも僕は支援に回っていました」

「――これまで対魔獣の演習は、檻に入った魔獣を各自が攻撃して倒すことだったわね。そして学内の模擬戦もチーム編成しているけれど、実際の内容は個人プレーがほとんど。だからチーム戦は今回が初めてよ」

「だからといって、俺が指揮を取るのは――」

「私が見た限りでは、あなたは人の上に立つことができる、纏めることができる。そして今回に必要なのは、状況を見極めて人を動かすことができる、ということ」


 キーファはしばし黙り、それから椅子に座りなおす。少し考えて自分が推された理由を考えてみる。


「今回の実習目標は、魔獣を倒しつつ目的地に到着すること。目的は、魔法を用いてチームワークを展開させるということ――」

「そう。協力しないと達成できない。個人プレーに秀でた突撃王が何人も好き勝手にしたらどうなる?」

「――」


「個性が強くて難しい仲間もいるけど、あなたは彼等に信頼されている。誰にでも公平な態度で、常に冷静。あなたは自分を信じていいのよ」


 彼女はいつも穏やかで、優しい笑みを浮かべる。大人びているけれど、作った笑みだ。本当は年下で、多分もっと違う笑い方をするのだろう、とふと思う。


「先生は――」


 ん、と目を瞬く瞬間、彼女は一瞬幼い顔になる。先生と言われることに戸惑いがあるような顔。


 キーファはそれを見るたびに、何か不思議な感情が宿るのを、そのまま無視して続ける。


 まだこの感情はわからない。


「人を従わせる時、どうしたらいいと思っていますか?」

「それは、あなたのほうが得意だと思うけれど。もう自分でやっているでしょ?」

「先生の意見をきかせて下さい」


 リディアはキーファの本気を悟り、突然真剣に考え始める。


「私見だけど。――相手を尊重することだと思う」


 リディアは、見事なエメラルド色の瞳で真っ直ぐに見つめてくる。そうすると、向き合っているのに、まるで遠くから言葉を聞いているようで、碧い海に吸い込まれるような感覚になる。


 乗客が二人おりて、運転手以外は誰もいなくなる。

 

 二人だけの世界で、彼女の言葉がバスの振動も気にならないくらい染み込んでくる。

 自分の居場所がわからなくなりそうで、キーファは視線を外したいのにできない。海の中で、その声を聞いているような気分だ。


「相手をよく見て、得手不得手を知り、どこに配置して何をやらせるのが適切か考える。相手の経験と能力から、それを指示した理由を自分の中に据えて、敬意を持って伝える。勿論納得してくれないこともあるけれど――」

「経験の浅い学生には、得意なものが見当たらないものもいます」

「そんなの現場の人間だってそうよ。明らかにこの場に向いてません、という相手でも、そこに配置しなきゃいけない時も少なくない。さっきの言葉と矛盾しているけど」


 でも――、と彼女は続けた。


「偉そうに言って、自分がそうできていたのかは――難しいかな。後悔ばかり」


 リディアの寂しげな口調に改めて彼女を見返したキーファの目に、何か遠くを見つめるように目を逸した彼女。


 その視線を合わすことができない。ふと思う、彼女はここに来る前に、過去に何かがあったのだろうかと。


「勿論、軍では命令に従うことだけを教える。まだ若いうちは、そこでの常識、考え方を刷り込ませたほうがいいから、敬意を持って新兵に伝えるなんてないし。だから、どの方法を取るかは場と相手によるけど」


 そして、と続ける。


「でもね、指示を出す時に、敬意をもっているか、認めている上で出しているのかって、相手には伝わるからね。敬意も無く考えもなければ、指示を与えたのではない。――ただ仕事を押し付けているだけ」


 最後の部分には妙に力が入っていた。キーファの顔を見て、リディアは気まずそうに笑った。


 それに、と不意に口調が変わる。


「上に立つ時に求められるのは、いざという時に絶対に助けるという覚悟かな。相手に指示を与えて送り出したら、その結果もすべて自分が引き受けないとね。見捨てないって覚悟でいないと。でもこれは――それを叶える実力がないと難しいわね」


 強い瞳。

 据わっているのとも違う、任務に赴く前の冷静で覚悟を決めたような眼差しだ。


「――俺ならば実力がないのに、大言壮語する人間は信用できませんが」


 リディアは、そうね、と淡々と頷いて、ポツリと呟いた。


「その覚悟が、その繰り返しが――責任を取るという覚悟が、その実力を作っていくのかもね」


 常に覚悟を決めているって、きっと、すごく大変。

 それは誰かを思っているかのよう。キーファは胸がチクリと痛み、わずかな不快感で何も言えなくなる。


「――参考になりました。ありがとうございます」


 リディアは、少し笑う。今度は、作り笑いではなく、自分を覗き込む悪戯げな苦笑だった。


「こちらこそ。気を遣わせてごめんなさい」

「は?」

「その返答を学生から聞くとね、『気を遣わせたな』っていつも思う。話を終わりに締めくくってくれたんだなって」

「別にそういうつもりじゃ――」


 キーファはいいかける。けれど思い直す、これは――


「だったら本音で話していいですか?」


 リディアは戸惑うように、ええと返事をする。


「ならば、これからは本音をぶつけますよ。だから先生も本音で話してください、お願いします」


 キーファは今自分が優等生の笑みを浮かべているのだろうと思う。

 けれど、意見を通す時の押しの強さを、わざと全面に出しているのも気がついていた。

 

 リディアは、押しの強さに僅かに警戒したように眉を顰め、けれどキーファの優等生の笑みに不安げに瞳を揺らして、最後は戸惑ったように頷いていた。

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