第24話 変わらぬ日常

 ジリリリリリ——。

 けたたましく鳴り響く目覚ましの音で起こされた僕は、叩きつけるようにスイッチを切って、もう一度寝直そうと目を閉じる。


 心地よく夢の世界へ意識を飛ばす。

 うとうとし始めて、体感時間で二、三分程経過した頃だろうか。

 僕は、はっと我に返った。

 

 ——そうだった。今、この家にいるのは、僕ひとり。

 紫草先輩は不在だった!


 慌てて時計を見直す。

 時刻は七時八分。

 まずい。早く準備しないと遅刻だ!

 

 急ぎ身支度を整え外に出ると、空には雲ひとつない青空が広がっていた。

 そして、それとは対照的に焼失した家屋や、ぽっきりと折れた電柱が、昨日の非日常の出来事は確かに現実のものだと訴えてくる。


 それでも駅に急ぎ、復旧した電車の中で人混みに揉まれていると、いつもの日常が戻ってきた。そこかしこから聞こえてくる大蛇についての会話も、大蛇という非日常が、ただ同じ時代、同じ場所にいる人間たちを結び付けている——そんな妙な一体感すらある。そんな雰囲気に感化された僕は、いつもより少しだけ気を引き締める。


 天地に昨夜の続きを聞き出さないと……!


 昨夜の天地の話を全て信用したわけではない。悪夢のことがなかったとしても、昨日一日を通して敵対的な言動をとっていた奴だ。信用以前に嫌悪感しかない。

 元の世界で僕を陥れたあいつ。すべてが妄言で、それどころか僕を意味なく貶める計画の可能性だってある。心の警鐘は鳴りやまない。


 それでも、昨夜の天地は異様なまでに迫力があった。

 そこに一片の真実が含まれているからではないのか?


 ——ぐちゃぐちゃと思いめぐらせているうちに、とにかく白黒を付けたいという気持ちになったのだ。


 しかし気負って出勤したにも関わらず、東京都第七衛所所属の防人たちが招集された場所に、天地は姿を現さなかった。


 翌日も、その翌日も、天地が姿を現すことはなかった。


 そして同様に、大蛇に街が襲われることも、今のところない。

 建物と道路も少しずつ補修がなされ、人々は少しずつ活気を取り戻しつつある。

 危難を共有して団結意識が高まっているのか、あちこちで人々が集まって交流を深めている様子を見る機会も増えた。


 防人としての仕事を終わらせると、今日も僕は紫草先輩の病室に見舞いに行く。

 順調に回復しつつある先輩は、病室で僕と軽口が叩けるくらいに回復していた。


「ありがとう。お陰で、毎日新しいパジャマが着られるよ」


 僕が引き寄せておいた昇降テーブルからティーカップをとると、紫草先輩は優雅に微笑んだ。


「いつも家事をやってもらっているんだから、これくらい当たり前ですよ。……というか、頼めば誰かやってくれそうな雰囲気じゃないですか?」


 先輩の病室に入ってから三十分も経たないが、いろいろな女性たちが入れ替わり立ち代わりやってくる。看護師さん、薬剤師さん、栄養士さん、患者の女性までいる。もう状態は落ち着いているはずなのだが、病院とはこういうものなのだろうか。


「借りだけを作るというのは、あまり好きじゃないんだ」


 小さなため息を吐いて、先輩が髪をかきあげる。

 同時にドアから悲鳴とも叫び声ともつかない女性の声が聞こえ、そっと外から閉じられた。


「そんなものですかね。頼んであげた方が、喜びそうな感じですけれど」


 モテる人間の考えることは良くわからない。


「それで、仕事の方は……」


 話している途中で、突然ガラッとドアが開いて、白衣の女性が入ってきた。


「あの、お手伝いできることがあれば言ってください! 借りなんかじゃありません! 私がやりたくてやるんです!」


 化粧気はないが、目鼻立ちの整った綺麗な人だ。


「ありがとうございます。ただ僕は、『大切な人』には何かをしてもらうよりも、何かをしたいと思う方なんです。だから僕の怪我が治ったら、あなたにできることを教えてください。その方が嬉しいです」


 確かに、先輩の最も大切な人である「妹」には、何かをしてあげたいと常々言っている。嘘ではない。後半部分はリップサービスだ。だが女性は真に受けて顔を真っ赤にして、喜んでいる。不憫な……。


「わかりました!」


 上機嫌で答える女性に、紫草先輩は畳みかけるようにお願いする。


「それで、こちらの後輩と内密の仕事の話をしたいので、しばらく二人きりにしてもらえるよう他の方にもお話していただけますか?」


 一瞬、女性はキッと僕を睨んだ。


「……平凡受け」


「はい?」


 彼女が小声で言った言葉の意味が分からず、思わず聞き返してしまった。


「顔的に平凡受け。この借りはBL妄想で返してもらうわ」


 先輩へ向ける笑顔とは対照的な無表情で、そう僕に宣告すると、女性は部屋から出て行った。彼女の呪文のような言葉の意味が分からず、先輩に聞くと困ったように笑い、気にするなとだけ言われた。良くわからないが、一般的に傷つくことを言われたようだ。 

  

「で、僕に聞いて欲しいことがあるんだろう? 人払いは済んだ。言ってごらん」


 彼女が出て行ったのを見計らって、紫草先輩が優しく促してくれる。


「どうして分かったんですか?」


 言い当てられた僕は、言い出そうかどうか迷っていたので、思わず聞き返してしまった。


「さっきからソワソワしているからね。すぐに分かったよ。言い辛いことみたいだから、無理にとは言わないさ。僕が退院するまで待てることならね」


 先輩からの促しの言葉に、僕は食い気味に反応した。


「天地が! 天地常和が姿を消したんです!」


 きょとんとした顔をする先輩に、コトの重要性が伝わっていないと感じた僕は、続けざまに言葉を並べた。


「あの大蛇が現れた日に着任した新人の天地です! 覚えていますよね? その天地が姿を消したのに、誰も問題どころか話題にもしないんです。しかも皆、そんな人間は存在しなかったって……」


 天地が姿を消して、もう一週間近く経過した。

 それなのに誰も問題にしない。

 新人が無断で姿を消したというのに、誰も話題にもしない。

 気になって尋ねてみれば、同僚の防人の誰も、天地なる人物を知らないと言う。


『そんな、やっぱり俺だけが……おかしくなってしまったのか……?』


 あの晩の天地の言葉がよみがえる。

 あの日の天地のことは、おかしくなった僕の妄想だったのか?

 不安だ。堪らないこの気持ちをかき消せるよう、祈るように先輩の反応をうかがう。


「天地……?」


 残酷な反応に、背筋が凍る。


「……まさか、先輩まで天地のことを忘れたなんて言わないですよね?」


「……ごめん。その天地という人物のことを、僕は知らない」


 嘘だろ? 信じられない。

 天地が僕に失礼な言動をしたときに、止めてくれたのは先輩だった。

 成り行きとはいえ、天地と一緒に戦ったこともあったはずだ。

 それなのに、どうして?


「すまない。力になれなくて」


 僕の反応に驚いた先輩が、謝ってくれた。

 でもたぶん僕の衝撃は伝わっていない。何を信じていいのか分からない。この世界ですら疑わしい。そんな気持ちは、決して理解できないだろう。


「……君も疲れているんだよ」


 慰めになりようもない言葉をかけられたが、僕は黙って受け入れるしかなかった。



 この日以降も、日々は平穏にゆっくりと過ぎていった。

 天地の存在以外は、前と全く変わらない日常。

 

 そのうちに僕は日常に降伏した。

 生きていくしかないのだ。

 それなら、もう今ここにあるものを信じればいいじゃないか。


 危機は去った。これで終わったのだ。


 ——結論から言うと、これは次なる危難までの小休止に過ぎなかったのだが、その時の僕は、心底そう信じ、そう信じると決めていた。

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荒神の勾玉 結城 凛香 @lunaplena168

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