第22話 悪夢からの招待

 「記憶があるから、俺が怖いんだろう?」


 ——あの悪夢の中で、確かに天地常和は、僕に対して嫌がらせの限りを尽くした。

 しかしそれは、あの悪夢の中でのこと。所詮夢の中での話だ。


 今日一日を通して、天地の言動は、悪夢の世界における彼の人となりに近しいものだったから、身体が反射的にすくんでしまったのは事実だ。それは認める。鮮明に過ぎる悪夢の恐怖が蘇り、天地という存在を身体が拒否する。自分の意思ではどうしようもなかった。

 それでも我ながら夢と現実を同一視してしまうなんて、愚かなことだと自覚はしている。夢は「記憶」ではない。現実世界で起きたことではないのだ。


 だったら、今天地が言っている「記憶」とは、一体何を指しているんだ?


「……お前は、何を言っているんだ? 意味が分からない」


 僕が、夢の内容を話したのは紫草先輩だけ。先輩経由で知っているのも先輩の妹さんくらい……のはずだ。今日まで防人に着任することすら知らなかった天地が関与する余地など、僕が知りうる限り、ありえない。


「……だから! 俺が、お前をいじ……イジッていた記憶があるんだろ?」


「そんな記憶はない」


 務めて平静に言い切ると、天地の顔を真正面から見返した。

 大丈夫。声は震えていないはずだ。

 

「嘘を吐くな! 今日のお前の反応は、明らかに以前から俺を知っていたとしか思えないものだった!」


 確かに夢の中では知り合いだよ。印象最悪だけどな。

 それ以前に、職場では一応僕の方が先輩だ。その言動は失礼すぎるだろう!


 ……いや。ここは冷静に対処しなければ。

 夢と同じような人となりであれば、激高しやすい性格の持ち主のはず。この世界では平穏無事の人生を歩んでいる僕の人生には、無縁だった人間だ。扱いは慎重を期すにこしたことはない。


「嘘じゃない。僕の人生にお前が関与したのは、本当に今日が初めてだ。今まで何の接点もない。……僕は愛想が良い方ではない。それをお前は曲解しているようだが、そういうことだ」


 意図的にゆっくりと、言い聞かせるように僕は伝えた。

 天地は自分の言動に余程自信があったのか、僕の言葉に愕然とした表情を返してきた。


 今だ!

 この機を逃さず、僕は力の弱まった天地の手を振り払った。

 家の扉を素早く開けると、天地の脇をすり抜けるように中に入ろうとした。


「そんな、やっぱり俺だけが……おかしくなってしまったのか……?」


 僕ではないどこか遠くを見つめながら、天地が呟いている。

 視界の端でそれを確認しつつ、僕はドアを閉め、そっと鍵を閉めた。


 カチャリ。


 慎重に施錠したが、それでも小さな金属音が鳴ってしまった。

 すると今まで呆けていた天地が、弾かれたようにドアノブを動かし始めた。


 ちょっ、もう勘弁してくれないかな。

 完全にホラー映画の一場面になっている。

 ……窓の戸締りを確認した後で、布団を頭まで被って眠ることにしよう。

 物理的にドアを壊されてしまえば終わりだが、さすがに天地に殺されることはあるまい……そう信じたい。


 足音を極限まで抑え、部屋の奥に向かって歩き始める。

 五歩ほど進んだところで、ふいにドアノブをガチャガチャとさせる音が止んだ。

 急な静けさが、一層恐怖心をあおる。

 ……まさか、物理攻撃を?


 ドアが破壊される衝撃から身を守るために身構える。

 だが僕に投げかけられたのは物理攻撃などではなく、芝居のようによく通る天地の言葉だった。 

 

「後一年でこの世界は終わる。それまでに良き隣人になりなさい」


 それは悪夢の中で、神々が我々人類に終焉を告げる言葉だった。


「……どうしてその言葉を」


 驚きのあまり思わず放った言葉に、口に出した自分自身が一番驚いた。

 意図せずに予想外に大きな音を伴った僕の呟きは、運悪くドアの外にいる天地にもはっきり届いてしまった。


「やっぱり記憶があるんじゃないか! お願いだ、ここを開けてくれ!」


 再びドアノブをガチャガチャと激しく動かす音がする。

 連動して大きく振動するドアに向かって、僕は叫んだ。


「記憶じゃない! 夢の話だ! 昔見た映画かドラマか……今は思い出せないけれど、たぶんそれが夢に出てきただけだ! もう夜も遅い。今日はもう帰ってくれ」

 

 僕も天地に負けないくらいに近所迷惑だったとは思うが、それは棚に置いた。

 とにかく今日はもう帰ってほしい。

 天地のおかげで肉体的疲労に、精神的疲労が新たに加わり、疲労困憊なのだ。

 意味の分からない与太話に付き合う余裕はない。


 それでも天地は諦めない。

 僕の言葉は届いているはずなのに、「開けてくれ」と繰り返すばかりだ。

 だんだん気味が悪くなってきた。


「いい加減にしてくれ! 話なら明日でも……」


 僕が言い終わる前に、天地が遮る。


「あれは夢じゃない! 実際にあったことなんだ!」


 そんなわけがない。

 だって、あれが本当にあったことなら、この世界はあと一年で無くなってしまうことになる。

 ……そんなわけ、ありえない。


 黙っている僕に、天地が畳みかけるように叫ぶ。

 静かな夜に怒号のごとく響いた天地の声は、撃たれた獣の今際の叫びのように悲しげな余韻を含み、僕の心に突き刺さった。


「俺だけじゃない! 皆が本当は知っているのに、知らない振りをしているんだ!」


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