第18話 大蛇の行方

 大蛇は、確かに存在した。

 消えるところを見ていない僕は、あれほどの巨体が一瞬で姿を消すことができるとは、とても思えない。侘しい電飾掲示板しかないこの場所では、視界が悪くて見通せないだけなのではないか。現実的に考えれば、それしかない。

 しかしビルの周囲を「クウ」でざっと飛び回っても、大蛇の姿を見つけることはできなかった。


 今の今だ。ビルの背後からどこかに逃げ出したというのであれば、あれほどの大きさだ。今見まわった時に、その気配を逃すはずはない。

 ……とすれば、残る可能性は1つ。


(地面にうずくまって、とぐろでも巻いて反撃の機会を伺っているのか?)


 ビルの下層階を見下ろすと、黒々とした闇で視界を遮られる。

 下層階は店舗にテナントとして貸し出しているのか、看板らしき輪郭は見えるが、すべて真っ暗で光はない。街灯も破壊されたのか、大蛇の攻撃から身を守るためにあえて消灯しているのか、地上は漆黒に包まれている。もし大蛇が地面に蹲って待ち構えているのだとすれば、敵ながらよい作戦だ。


(…………)


 ライトがないので、下へ降りても大蛇を探す術がない。地上を見つめながら、次の一手を考えあぐねていると、反対側から回り込んできた女神と鉢合わせになった。


「あの、大蛇が……」


 僕が言いかけると、皆まで言うなとばかりに、女神は言葉を重ねた。


「わかっている。私も辺りを索敵した。考えられるとすれば、もう下しかない」


 眼下に広がる漆黒の闇には、大蛇が潜んでいるようにしか思えない。

 今日一日で垣間見た大蛇の戦闘力は、油断したら命取りになる。 


「罠かもしれません」


「まだあの方を奪還してはいない。それまで私も貴様らも帰還するわけにはいかぬ」


 女神は威厳に満ちた声で断言すると、落ち着き払った態度で下降していく。神ゆえなのか、燐光に包まれているその身体は、ほのかに辺りを照らしている。女神についていけば少しは周囲を索敵できるだろうが、正直ちょっと頼りない。下の暗闇と女神の燐光を見比べて、ついていくのに躊躇する。

 

「クウには、照明装置がついている。右足の先にあるボタンを足で押してみよ」


 心の裡を読まれているとしか思えないタイミングで、振り向きもせずに女神が指示をする。


(右足の先……と)


「痛いっ」

 

 指示された通りに足を動かそうとして、間違えて永山先輩の頭を蹴ってしまった。


「すみません……って、起きていたんですか?」

 

「たった今、貴様に起こされたのだ……あれ? ここは?」


 起きた先輩への説明が面倒だったので、僕はボタンを押すことを優先した。


「あ、あった! このボタンですね!」

 

 これは二人と人柱の命がかかっているのだから、最優先事項といっていいだろう。

 足でボタンを踏んだ途端、「クウ」の下部から光が照射され、建物二階分ほどを一気に照らしだした。 


 「クウ」はバイクの形状をした足元からジェット噴射することにより飛んでいるようなのだが、その噴射口の周囲の円形部に小さなライトがついており、そこから明かりが照射されているようだ。


「おい、これは一体……? 大蛇は? いやそれよりも、あの方は?」


 いつの間にか下から僕の左腕をしっかり握って、永山先輩が疑問を矢継ぎ早に投げかけてくる。いや、ちょっと空気読んでくださいよ……。

 本来なら先輩の回復に喜ぶべきところだが、この不慮の事態の最中では手間が増えたことにげんなりする。どこから説明しようか……。フル回転で今までの経緯を思い出しているときに、助け舟を出していれたのは女神だった。


「口を閉じよ。大蛇はこのすぐ下に潜んでいるやもしれぬ」

 

 女神の凛とした声の命令と、恐怖の対象が迫っていると告げられた複合作用で、先輩は素直に黙った。よし。これでクウの操縦に集中できる。


 「両方のレバーの真ん中に光の方向を指示する操縦桿がついている。それで前後左右にも光を当てることができる。真ん中に戻すとデフォルトで下を照らす。やってみよ」


 先輩の動向を気にかけることなく、女神は言葉を続ける。

 夕闇で気が付かなかったが、確かに女神の言う細い操縦桿があり、操作すると前後左右に光の照射角度を変更することができた。「クウ」の下部にはデフォルトで下部を照らす噴射口周辺のライトとは別に、前後左右に大きなライトが取り付けられており、各方向に自由に照射できるようだ。試しに、前方をライトで照らすことにする。慎重に細い操縦棹を前へ倒す。


「……っ、眩しい!」


 途端に前方一面のビルの壁が明るくなり、女神に言われた通り僕の足元で大人しくしていた先輩が思わず叫んだ。はっと慌てて片手で口を押えた先輩は、両目を固く瞑りながら、必死で「クウ」にしがみ付く。一言ことわれば良かったかもしれない。


「大丈夫ですか? 落ちないでくださいよ!」


 小声で言うと、先輩は一瞬きっとこちらを睨みつつも、黙って頷いてくれた。


「これよりは下だけでなく、周囲にも気を配りながら進む。警戒を怠るな」

 

 僕と先輩のやりとりを見守っていた女神は、ここが潮時だと、割って入った。


「了解しました」


 女神の指示通り、周囲を最大限に警戒しながら、少しずつ下降していく。

 これまで女神と先輩とあらかた騒いでいたのに、全く大蛇の動きはない。

 動きがないこと自体が故意のようで怪しい。警戒するに越したことはない。

  

 約0.5メートルほど下がっては、前後左右を確認する。

 焦れったいが、安全を確保するためにはやむをえない。

 

 煤けてしまった壁に、破られたガラス窓。

 人気のないオフィスの床に乱雑に放置されている机にパソコン。

 何もかもが大蛇の痕跡を示すものなのに、肝心の大蛇の姿はやはり見当たらない。


 ――その時。


「おいっ、何か動いたぞ! 一番右側の窓だ」


 先輩が異変を察知した場所に光を照射すると、真っ暗なオフィスの中で小さな二つの光が見えた。ぼんやりと小さな輪郭も見える。


「何か生き物でしょうか?……てまさか?」


 窓側に置かれたデスクの上だ。何か小さな生き物がいる。

 大蛇……ではない……と思いたい。

 ゆっくりとクウを窓際に移動させつつ、いつでも抜けるよう刀に手を置いておく。


「なんだ、猫か……」


 先輩の言う通り、小さな猫が窓越しにこちらを見ていた。

 僕が照らした光に目を細めつつも、人に慣れているのか、猫はこちらをじっと見つめ続けている。


「飼い猫かな? 首輪をしている」


 だが猫は接近していくクウにおびえたのか、ふいに後ろを振り向くとそのまま逃げていった。


「大蛇ではなかったようだな。先を急ぐ。捨て置け」


 女神は臨戦態勢をとりつつ、僕たちを見守っていたが内心は焦っていたようだ。

 敵ではなかった以上、時間を無駄にはしたくないことはわかる。

 クウを操縦し、壁から離れ、再び下降していく。

 既に地上五メートルまで来た。


 上空から見る地上は、もう滅茶苦茶だった。

 信号機も電柱もなぎ倒されて、人の気配はまるでない。

 死の街と化していた。人の死体が見当たらないのが、せめてもの救いだ。


「あ、あそこ! あそこにいらっしゃるのは……!」


 永山先輩がふいに大声を上げる。

 瓦礫の山と山の間に、人形のように人が倒れていた。

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