第5話 防人 

 防人は、簡単に言うと、この世界を守るために存在する職業だ。

 僕が学生の頃から、志願していた仕事でもある。清浄な空気に満たされたこの愛すべき世界を守りたい―純粋にそう思って志願した。ちなみに紫草先輩は外界の脅威から「妹を」守りたいという、ある意味これ以上ないほど純粋な動機で、僕より2年先に着任した。


 では何からこの世界を守るのか-内なる脅威からである。

 仮想敵すらないこの世界では、外界からの脅威は考えられない。

 だから存在する可能性すら怪しい外界からの脅威よりも、内なる脅威―人々の倫理・道徳観が低下したり、なくなることの方がリスクが高い。そう神々は考えている。


 夢の中の世界では、道徳律を守るか否かは個人が選択するものであり、強制されることも、やらないからと言って罰を与えられることも、特別な法令がない限りなかった。だから他人の道徳律違反で被害を受けることがあっても、法令に触れない限り、やられっぱなしの自己責任になってしまう。あの悪夢の一番嫌悪すべき要素であり、夢の中の僕が惨憺たる人生を歩む直接の原因でもあった。


 この世界では、事情が異なる。


 あらゆるコミュニティは神々によって統率されているため、倫理・道徳に反する行為は神々によって厳しく律することになっている。それでも倫理・道徳に反する行為というのはゼロにはならない。神々の導きがあってもなお、同じ人間同士の間では、自然発生的に違反が起こってしまう。僕たち防人は神々からの報告をまとめ、悪質な違反者へ罰を科し、神々の導きを補助するのが仕事である。自然、神々との距離が密になる。それ故に数多の他の仕事以上にステータスがあると評価する人も多い。 


 防人が「特別な地位」を持つもう一つの理由は、防人のもつイメージだ。僕たちの詰所である帝冠様式の東京都第七衛所。和洋折衷の外観が、歴史と趣を醸し出している。この洒落た建物に出入りすることに憧れを持っている人は多く、一種のステータスになっている。


 そして制服。

 古代日本の衣褲(きぬはかま)姿を上半身にまとう一方で、下半身はナイロンズボンを着用している。その上にマントを着用し、長刀を腰に差すと正装の完成だ。機能性よりも伝統と権威を重視した服装は、僕たちの仕事を特別にする分かりやすい「アイコン」となっている。


 この世界を内から破壊する「内なる脅威」に備え、職業柄神々と近しい関係の僕らは「特別な存在」であり続ける。


 周囲の視線を意識しながら、守衛に敬礼をすると、更衣室へ急ぐ。憧れていた制服も毎日袖を通していると感慨は薄れているが、それでも鏡をみると安心する。


 特別な存在だと己惚れているわけではない―虐げられていないだけで十分だ。

 夢とは違う。

 それを噛み締めるだけで、十分すぎる程だ。

 

 磨き抜かれた床を踏みしめ、急ぎ集会所へ向かう。

 朝礼のための隊列を組まなければならない。一日の予定を言い渡されるこの朝礼で、初めて僕たち防人の一日が始まる。言葉少なに隊列を整え終えると、すぐに防人長が第一声を発した。


「今日は、新人を紹介する」


紹介された若者は、不自然に強張り、明らかに緊張している。

年齢は僕と同じくらいだろう。


「あの、今日から防人に就任しました、天地常和(あまちときわ)です! 至らない点もあると思いますが、始原の神のご意思に報いるよう一生懸命やるので、宜しくお願いします!」


 整髪料で黒髪を遊ばせ、つんつんした髪がバンドルからはみ出ている。少し釣り目の大きな目が印象的な青年は、緊張で頬を赤らめながらも、 元気に必要最小限の自己紹介をした。一礼をすると同時に皆一斉に拍手をする。


「なかなか好印象の新人だね」

紫草先輩が僕に耳打ちする。

だが僕は彼から視線を外せない。

だって彼は―。


 僕の動揺とは無関係に、朝礼は進んでいく。

 新人に応えるように、次の人物がマイクの前に立った。


「こちらこそ宜しく頼む」


 にこりと微笑む長い黒髪の女性-彼女が僕たちの上司にあたる。

 女性防人の制服よりも色味が多い服を身に纏った彼女の背後には透き通った羽が陽光に煌めいている。


 彼女は神だ。


 この職場だけではない。

 神々はあらゆる職場において、僕たち人間を導いてくれる。

 僕らに人としての在り方を教えてくれる。

 そして僕たちは、神の導きを知らしめる者。


 だから、大丈夫だ。

 胸の高まりよ、早く静まれ。

 もう彼は、あの時の彼ではない……はずなのだから。

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