第4話

 巨大な赤鬼の姿へと変わった男に向かって、一也は刀の切っ先を構えると、狐鈴に尋ねる。


「狐鈴。この空間の保存は終わってるな?」

「うむ、すでに完了しておる。もうどれだけ暴れても大丈夫だぞ、主様」

「なら……こいつは拳で行く。止めは任せるぞ、狐鈴。奴には志穂に手を出した事を後悔させながら、なぶってやるぜ……」


 一也は鞘に刀を収めると、それを狐鈴へと渡した。

 その後。不気味に笑うと数回指を鳴らし。赤鬼の前へと立ちはだかった。

 それを見た志穂が慌てて叫ぶ。


「危ないよ、一也。そんな化物の前に行ったら殺されちゃう!!」

 そう言って顔を青ざめさせている志穂に、狐鈴が呟く。

「大丈夫じゃ、妾の主様はそんじょそこらの鬼斬共とは訳が違う……よう見ておれ、娘」

「――鬼斬? ち、違うって?」


  志穂が混乱しながら質問を投げ掛けると、それを無視して狐鈴は「見ておれば分かる」とだけ告げて口を噤む。

 一也は拳を固めると赤鬼に話し掛ける。


「どうした? まだ意識はあるんだろ。鬼になった感想は無いのかよ」 

「ああ……良い気分だ……これが力か……頭の中が沸騰しそうだ……」

「――こりゃダメだな。もう精神への侵食も相当進んでやがる……やっぱりお前は人にはもう戻れそうに無いな……来いよ。最後に拳で遊べりゃ男としては本望だろ?」


 一也は指で相手を誘うような仕草をすると、赤鬼と化した男がまるで獣のような雄叫びを上げて突っ込んできた。


「左のストレート、右足を踏み込み時に膝が深く折れる……」


 一也はぼそっと呟きながら、その攻撃を紙一重でかわすと、今度は自分の右の拳を相手に向かって放つ。


 だが、その攻撃が当たるよりも早く。カウンターで出した右手が一也の頬を掠める――っがその攻撃も一也は難無くかわす。

 そんな事を数回続けていると、一也は口元に笑みを浮かべ、軽く地面を蹴って赤鬼から一旦距離を取った。


「……なるほどな。お前の癖は全部覚えたわ……」


 一也はそう呟き再び拳を固めると、一気に距離を詰めて右手を突き出す。

 その拳は赤鬼の腹部に直撃し、その巨体を軽々と吹き飛ばした。


 飛ばされた赤鬼の体は公園のジャングルジムに体がめり込んで止まった。

 素早く赤鬼の目の前に移動した一也が問い掛ける。


「どうだ? 少しは目が冷めたか?」

「……この……ガキが!」


 赤鬼は目の前に腕を組んで立っている一也に向かって手を伸ばすが、一也はすっとその手をかわす。

 そして次の瞬間、素早く腹部と両頬を殴ると勢い良く右足でジャングルジムごと蹴り飛ばした。


 ――グオオオオオオオオオッ!!


 赤鬼は叫び声を上げながら、木を薙ぎ倒して近くの住宅へと突っ込んだ。

 その衝撃で住宅が音を立てて倒壊する。

 一也は大きくため息をついた。


「はぁ~。いくら壊しても良いレプリカとはいえ。飛ぶ場所くらいは選べよ……」


 冷めた声でそう呟くとゆっくりと赤鬼の元へと近づいて行く。

 その直後、土煙を上げている住宅からコンクリート片が一也目掛けて飛んできた。


「――フッ……」


 一也はそれをまるで予期していたように拳で粉砕すると、止まることなく歩みを進める。


 その後も休む事なく飛んでくる瓦礫を粉砕する。

 一也は無言のまま赤鬼の前で止まると低い声で呟く。


「おい……どうだよ。一方的にやられる気分は……」

「……ば、ばけものか……」

 恐怖に怯えたようにそう言った赤鬼に向かって、一也は怒りに満ちた鋭い眼光を向ける。

「――俺のほしい答えと違うな……俺はどうだって聞いたんだよ!!」


 叫んだ一也は赤鬼を殴り倒すと、その上に乗り殴り始める。


「どうだ! 一方的に痛めつけられる気分は! 怖いだろ? 苦しいだろ? どうなんだよ。クソ野郎があああああああッ!!」


 赤鬼も時折反撃の意思を見せるが、その攻撃を一也は拳で軽々と弾き返すと、一方的に赤鬼を殴り続けた。


 咆哮を上げながら拳を振るう姿は、まるで自分の母親を助けられなかった自分を戒めるようにも見えた。

 その光景を見ていた狐鈴は得意気に志穂に言い放つ。


「ほれ。妾の言った通りであろう? 主様の記憶力と危機回避能力は他の者のそれを凌駕しておる。数回打ち合えば誰も敵わん」


 そう言った狐鈴は満足気に頷く。

 目の前で殆ど無抵抗の赤鬼を殴り続けている一也を見て、志穂は悲しそうに呟いた。


「……うん。知ってる……昔から一也は教科書を丸暗記してるの。だからテストでも赤点ギリギリの点数しか取らないなんて事が出来るんだよ。それに目も耳も良いの……だから、人のちょっとした仕草や悪口に敏感で優しくて……小学生の時は一也の周りには人が集まってたのに、でも中学生では1人孤立してた……」

 志穂は更に表情を曇らせながら話を続ける。 「でも、それは皆が悪いの……。一也は優秀でスポーツも勉強も出来るし。顔だって悪くない……。皆が困っていればそれとなく手助けしてくれるし。いつでも自分は汚れ役を勝手でる。一也は誰よりも優しいから、皆はそれに甘えて……でも、一也はそれでも良いって……俺の存在に意味があるならって……でも、でも、今の一也は凄く怖い……あんなの本当の一也じゃない! もう良い……もう止めてぇー!!」


 志穂のその声に一也の手が止まった。

 その直後、赤鬼の拳が初めて一也を捉えた。


 一也はまるで撃ち出された砲弾のように宙を舞うと、住宅地に突っ込んで3件程、倒壊させて止まる。


 ――グオオオオオオオオオオオオオオオッ!!


 次の瞬間。赤鬼がけたたましい咆哮を上げると、今度は志穂達の方へと襲い掛かる。


 自分へと突進してくる赤鬼の姿を見て、志穂は全身から血の気が退くのを感じた。

 すると、目の前に立ちはだかっていた狐鈴が、バリアのような物を張って攻撃を防ぐと志穂に向かって怒鳴った。


「――ばか者! 戦闘中に話し掛ける奴があるか! だからお前みたいな半端な者を妾の結界内に入れたくなかったのじゃ!!」

「……ご、ごめんなさい」

「――くっ! こやつ……なかなか重い……攻撃を……」


 狐鈴はバリアを何度も連続して拳を打ち付けてくる赤鬼に辛そうな表情に変わる。

 その直後、2人の脇を一也が通り過ぎると、次の刹那――目の前の赤鬼の腹部にぽっかりと風穴が開く。


「……志穂。分かったか? こいつはもう人間じゃない……悪鬼なんだ……。狐鈴! 終いだ!」

「うむ! 了解じゃ!」


 狐鈴は素早く刀を鞘から抜くと、それで赤鬼の首を両断する。

 赤鬼は地面に落ち胴体からは真っ黒な血を盛大に噴き出すとその場に倒れた。


「ふぅー。肝を冷やしたぞ主様!」

「ああ、悪かったって!」


 そう言って頬をプクッと膨らませている狐鈴の頭を軽く撫でた一也は、徐ろに志穂の前まで向かうとすっと手を差し出す。


「――ほら、立てるか?」  

「う、うん。多分……」


 志穂は一也の手を取ると、右足に力を込める。


「……いたっ!」


 その瞬間、激痛が走り志穂はその場に座り込んでしまう。


 一也はそんな志穂の前に背を向けて屈むと「ほら、乗れよ」っと呟く。

 志穂は恥ずかしそうに頷くと、一也の肩に手を回した。


「……ごめんね。迷惑ばかりかけて」

「いや、いつも俺が色々と面倒見てもらってるからな。これぐらいなんてこと無いさ! それじゃ、家まで送って――」 

「――今日は家に帰りたくない……」


 一也の耳元で震えた声でそう告げる志穂。

 まあ、あんな事があれば当然だろう……。


 志穂は震える手で一也の体にしがみつくと小さく呟く。


「今日……家に誰も居ないから……」

「……そうか、分かった。なら俺の家に泊まれば良い。丁度部屋には空きがあるしな」

「……うん。ありがとう」 


 2人はその短い会話を終えると、お互いに黙り込んだまま歩き始める。

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