Scene19 サザンオールスターズのシルエット
❶
やっとのことで鎌倉駅までたどり着いた。
明子は会話が出来るまでに回復したものの、憔悴しきった感じであることには違いなく、透は、いつまた変調をきたすかもしれないと心の準備をしていた。
「本当に病院に行かなくても大丈夫かい?」
「大丈夫。さっき寿福寺で横たわってから、だいぶ楽になったみたい。なんだか、憑き物が取れたような気がする」
パワーグラスのない目元からは生気が感じられる。
鎌倉は北と南で全然違う。
明子が言ったとおりに街を鳥瞰するとき、この鎌倉駅は鎌倉の真ん中ということになる。
駅前を起点に伸びる商店街「小町通り」には人があふれかえっている。夕陽に照らされる夏祭りさながらの様相だ。
萩の花火大会を思い出す。高校2年生の時、初めて付き合ったトモミという女の子と2人で花火を見た。
リンゴ飴を食べながら菊ヶ浜に打ち上がる花火に照らし出される彼女の横顔を間近に見るだけで、胸の奥から喜びのマグマが噴き出した。
トモミとは大学を卒業するまで付き合った。
だが彼女は卒業と同時に米国に渡った。ジャズシンガーを目指していたのだ。そのまま向こうで結婚したという噂は耳にしたことがあるが、今頃何をしているのかは分からない。フェイスブックの更新も長いこと錆び付いている。
トモミのことをふと考えた今、隣に明子がいることがピラミッドの頂上に立っているかのような、ありえない出来事のように思える。
「晩ご飯でも食べようか。なんだか、お腹すいてきたわ」
夕陽にさらされた明子は、再びパワーグラスをかける。
「先にホテルに戻った方が良いんじゃないのか?」
明子は小町通りに名残惜しそうな視線を向けて、しばらく考える。
「鎌倉の街を歩きたいけど、またあなたに迷惑をかけるかもしれないから、ホテルに戻るのがいいかもね。ごめんなさいね」
結局2人は、オレンジに包まれた真夏の鎌倉駅の前からタクシーを拾った。
❷
タクシーの後部座席に乗って若宮通りを南下している最中に、再び明子は変調をきたした。
「ごめんなさい、死んで償うから、どうか、お願いだから、許してほしいの!」
彼女は半狂乱で頭を抱えた。
「大丈夫ですか、ちょっと停めましょうか」
タクシーの運転手はかごの中に捕獲された狸のように狼狽した。
「いえ、大丈夫です。さっきから同じ症状を繰り返しているから、おそらく収まると思います」
「いや、こりゃ相当ですよ。まあ、とにかく、少し急ぎましょうね」
運転手はそう言い、アクセルを踏んだ。
ところがこの時間帯の若宮通りは車がひしめき合っていて、そう簡単には進んでくれない。ジリジリしていると、道路にとてつもなく大きな鳥居が現れ、車はその下をゆっくりと通り抜けていく。明子は、若宮通りのど真ん中にそびえ立つ大鳥居を見上げ、さらに嗚咽する。
「どうしたんだい、大丈夫かい?」
「全部私が悪いの。私の弱さなの。それなのに、私は性懲りもなく生きている。私は死ななければならない。分かってるの。ごめんなさい」
明子は頭を抱えてうずくまる。
「ほんとに大丈夫ですかね? てんかんか何かをお持ちなのでは?」
運転手は横目で後部座席を気にしつつ、青信号のアクセルを踏む。
「いや、身体的な症状じゃないんです。彼女の場合は少しばかりメンタルな問題があるんです」
「何かが取り憑いてらっしゃるとか? それなら、鎌倉で有名な除霊師を知ってますんで、そこに連れて行くこともできますよ」
「除霊師、ですか・・・・・・」
その時、フロントガラス越しには美しいジグソーパズルの完成画のような海が現れた。タクシーは減速し、海を見ながら右側に曲がった。
「なんていう海ですか?」
「あ、これね、由比ヶ浜です」
「聞いたことがありますね」
「毎年花火大会があります。今年はもう終わりましたけど。サザンオールスターズの歌にも出てきますね」
運転手の言葉を聞いた明子は、また新たなスイッチが入ったように痙攣し、その反動で意識を失った。
「ちょっと、ヤバいかもしれません」
透は思わずそう言い、帽子を脱がせ、パワーグラスを外し、シャツの襟元を緩めた。
「停めましょうか?」
「いや、呼吸はしています。ホテルまでどれくらいかかりますか?」
「あの2つめの信号の先ですね。見えますか?」
運転手が指さした先には、由比ヶ浜に対面して立つ瀟洒なアイボリーの建物が見える。そこには「NAGISA」と記されている。
「見えますよ。あと少しですね。とにかくホテルにお願いします」
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