第47話 ネロ それは、待ちわびた。勇者からの連絡。

 随分と夜も更けた。

 ネロは地面のぬかるみから水分を吸い上げ、空でほんのりと光る水の中に吸収させた。

「これでよしと。マーガレット、そのたい松を下ろして、勇者のことを詳しく聞かせてくれよ」

 マーガレットは空を見上げている。ネロの声は届いていないようだ。

「おーい……、たい松、ほら」

「え、あ、はい!」

 ネロはマーガレットの手から火のついた棒を取った。

 どうして魔法で乾かさなかったのだろう。そう思ったが、聞かないことにした。よく考えたら、マーガレットは細かい魔法が苦手だったと思い出したからだ。

 たい松を薪にくべて、座った。座るときに腰や背中が軋んだ気がする。

 頑張り過ぎたかな、とネロは遠くを見つめた。

 マーガレットもそれに続いて向かい側に座ったが、その表情は冴えなかった。

「……」

 なんだか空気が重い。

「……。あーあ、せっかくマーガレットが作ってくれた夕飯も、これじゃ食べられないな。美味しかったのに、もったいない」

 ネロは鍋を覗き込んで言った。わざとらしかっただろうか。けれど本音でもある。細かな木の枝やほこりなどが入り込んでいるだろう。

 これじゃ食べれない。もったいない。悲しい。

 おなかすいた。疲れた。

 すると、どこからともなくスルリと小さな黒い蛇が出てきて、ネロの手首に絡みついた。

「お前どこに行ってたんだ?」

 当然返事はないが、蛇はくりっとした目をネロに向けて、素早く瞬きのようなものをして見せた。

 まるで言葉が通じているかのようだ。

 蛇はスルスルと手首から離れ、鍋の淵に乗った。そしてついばむようにして夕飯の残りを食べ始めた。

「……妖精だけじゃ腹が膨れないか……」

 ネロにはもう妖精も精霊も見えていない。視ようとしなければ視えないし、常に視たいとは思えない。

「……ネロさん、あの水の塊はどうするんですか……」

「ん?」

 マーガレットの問いに、ネロは空を見上げた。

「んー、……。どうするか、か。……あの中にはでっかい蛇がいるんだ」

「でっかい蛇、ですか」

「ああ。……リヒャルって分かるか?」

「分かんないです」

「首都出身なら、城だとか橋とかのレリーフに蛇の彫刻を見たりしていないか?」

「あ! そういえばありますね」

「それだ」

「……へえ……」

 マーガレットがあらためて空を仰いだ。

 光る水の中に蛇がいる、そういわれて目を凝らしているようだった。

「と言っても、紛い物の蛇だ」

「紛い物?」

「どっかの魔術師か誰かが、伝説の蛇を真似て作り出したんだろう」

「……、ネロさん、魔法で飛んでいった先に、……誰かいたんですか?」

「魔人だ」

 マーガレットは素早くネロの顔を見たが、ネロはあえて顔を向けなかった。

「他国の魔人だ。この国の魔人じゃない」

「じゃあ……、じゃあ、この国は他国に攻め込まれている……? ネロさんはそれを確かめに……?」

「……、詳しくは国に判断してもらうしかないなぁ」

 ネロは頭をかいた。

「俺は下っ端なんでね、上の言う通りに動くだけさ。上司も、どんな目的があって派遣したかは詳しく言ってくれないしな」

「……他国じゃなくて、……あの、魔王軍とか……じゃないですよね? 極秘任務って、それを調べてるんですか?」

「……」

 極秘任務なので答えられない。けれどネロは、元々その答えを持っていない。

 色々な予想はしていた。

 隣国はもちろん、この星の至る場所で多くの魔物たちが魔王であると名乗りを上げているのだ。人間との争いは絶えず、歴史とは魔物との戦争の記録でもある。

 先日の衝撃波の原因として、真っ先に魔王軍からの攻撃であるという考えが上がったし、専門家も素人も、一瞬はその考えがよぎるだろう。

 魔王が攻めてきたのか、どうか。

 ネロは思う。自分はそれを調べに来ているのだろうか。

 否である。即答だ。否。

 何かを調べるための材料を集めに来たに過ぎない。

 上が判断を下すための材料をだ。

 沈黙が長すぎた。

 長い沈黙は問いに対して、その通りだ、という答えに等しい。

「その魔人、倒したんですか?」

「……まあな」

 マーガレットの頭の中には、魔王軍が攻めてきたという意識が深く刻まれたことだろう。

「……、……、結界がおかしくなったっていうのも、その魔人のせいですか?」

「さあ? ……、でも……」

 空をもう一度仰ぐ。

「あの中の蛇を作り出したのは、あの魔人だな」

「……」

 水がきらめいている。

 術者が捕らえられたため、弱く小さなリヒャルたちは儚く消えて、今頃は粉雪のように森に降り注いでいるだろう。

 その粉は時を経て新たな妖精の素になったり、今いる妖精たちの餌となる。

 そして力を持ったリヒャルたちは、ネロの集めた水に取り込まれ、その形をとどめたまま、生まれ変わる。

 新たな魔物の誕生だ。

 繁殖能力はあるかは分からないが、水の体を持つ新種のリヒャルとして新たに生まれ直すのだ。

 《フーイ》の、新たなる仲間。

「今の部署に来る前に、魔物を研究する部署にちょっとだけ腰かけてたんだ。……そこでは新しい魔物を作り出す研究もしてて、……少し憧れていたんだよなぁ」

 笑いをこらえようにも、唇の端にどうしても浮かんでしまう。

「……ネロさん?」

「いや、なんでもない。朝になったらあの水は消えている。安心しろ、蛇が降ってきたりしないからな。それより、勇者って?」

 ネロは小さな蛇が食事をしている鍋を避け、代わりに水をたっぷりいれたポットを置いた。

 疲れの取れるお茶を淹れるためだ。

 チョコレートの入った滋養茶は、若い女の子ならきっと好きだろう。

 ネロは甘めに調合して、気休め程度の回復のおまじないをかけてからマーガレットに渡した。




 マーガレットは話しはじめた。ふーふーとカップに息を吹きかけている。

「ネロさんの魔法で、返事が来たんです。ほんの少ししか話しはできませんでしたけど、ピクスリア、爆炎の勇者で間違いありません。皆は東の水門近くの建物にいるみたいです」

「東の水門近く」

 ネロは地図を広げた。

 正門でもらってきたものだ。

 より詳細な地図を持ってはいるのだが、それには機密情報も載っているためマーガレットには見せられない。

 であるので簡易的な真新しい地図に、ネロは今いる場所を書き込んだ。

「俺たちがいるのは、この緑の点から少し離れた、……ここだ。この緑の点は遺跡を表している。旧時代の祠。古い時代の結界の跡っていわれているやつだな」

「観光客向けの地図ですね」

「確かにそうだな。けど侮るな。魔導をやっている人間にとっては、この情報は重要だぞ。……、いや、首都出身のマーガレットにはあまりなじみがないかもしれないけれど。……、この祠の周りには、今俺たちがいるような、自然にできた結界場みたいなのが多いんだ。とうぜん、祠自体もそんな場所だだったりする。精霊使いなんかは祠を拠点に移動するんだ。この瑪瑙岩は穴場だが……、ほら、この付近には緑の点が多い」

「じゃあこの辺りは魔力回復がしやすいとか?」

「うーん、そんな便利な機能があるかは分からないけど、魔力や法力を持った人間にとっては、何かを感じる場所であるだろうな」

「……私、なにも感じないですけど……」

「俺も感じない」

「あ、じゃあ、……良かった」

 なにが良いのかネロにはピンと来なかった。

 若い子の言葉のニュアンスが、だんだん分からなくなっているのかもしれない。

「ま、……強力なものではないし。研究者たちが何かしらの装置で調べたら、ちょっと変わった数値が出るぞってくらいだろ。けど、妖精だとかには重要な場所だな。だから妖精の加護があったりもする」

「妖精の加護があるってことは、その縄張り以外の妖精の影響を受けないってことですか」

「ざっくり言うならその通りだ」

「あ、じゃあ、水の精が縄張りの場所では、火の魔法が弱まったり?」

「するかもな。水が嫌がるくらいの強い火だと」

「そっか! 学校では習いましたけど、今改めて実感してます! へー! そーゆーことなんですね!」

「んで、勇者が言っている東の水門近くとなると……」

 ネロは地図上の川を指で辿ってゆく。

 正門の柵を破壊して中に入り、東に向かった。そして確か、巨大な鹿に荷馬車をひかせている。そうなると狭い獣道を通ったり崖を越えるような道は難しいだろう。鹿はともかく、荷馬車が問題だ。

「んー……、ここかな」

 ネロはリテリアの森の東側にある水門の一つを指さした。

「どうしてそこって分かるんですか?」

 水門はたくさんある。

「なんか変じゃないですか? そこだと」

「どうしてそう思う?」

「だって、勇者はハルリアに向かうんですよ? そこだとかなり遠回りです」

「なんでハルリアに向かうと思ったんだ?」

「え? ……だって」

「……」

「だって……、そうでしょう? 私たちはハルリアの依頼を受けていましたし、爆発を受けたハルリアが心配じゃないですか」

「けど、勇者たちはハルリアから逃げてきたんだろう?」

「……そうですけど、……けど、……けど勇者はきっとハルリアに向かいます! だから、そこじゃないと思います」

「しかし荷馬車があるんだろう? だったら荷馬車の通れる大きな橋がある道でないと通れない。吊り橋を含め、荷馬車が通れるくらい頑丈で大きな橋はこの二重線で書かれた橋だ。そして東側にあり、水門の近くで……、うん。該当するとしたらここだ」

「けどけど、ほら、こっちにもありますよ、水門の近くの建物!」

 マーガレットがさしたのは東側ではあるが、かなり南寄りである。地図上、森の正門は西側だ。正確には北西に位置する。

 マーガレットの指さした場所は、正門から一直線の場所だ。ほぼ一直線に、ハルリアに向かっている。

「……分かった。んじゃそこを目指そう」

 別にネロは、絶対に勇者一行と合流しなければならないわけではないのだが、変な胸騒ぎがする。

 しかしながら、マーガレットのさした場所の近くには、大きな観測所もある。そこで再び情報を得られるかもしれない。

「じゃ、明日に備えて寝るか。マーガレット、なんならもう一度シャワー浴びていいぞ」

「えっ」

「泥だらけになっただろ? 俺は明日の朝でいいから。顔だけ洗わせてくれ」

 そう言うとネロは手早く顔を洗い、早々に自分のテントの中に入った。

 魔の精が現れる。

 どの魔か分からないが、寝台の上に腰かけて、妖艶な笑みを浮かべている。

「どうした? ……淫魔の代わりなら必要ないぞ」


《ネロ様 美しいものは 嫌い?》


「嫌いじゃないけれど、……、今は必要じゃない」


《そう 分かった 今は》


 魔はにこっと笑った後に、消えた。








「ふぁ……あ。はぁー……ねむ……」

 起きた。

 目を開け、薄明りのなか、もぞりと動いた。

 簡易式の寝台に、わずかに風に揺れ動く壁。正確には壁ではなく幕だ。

 テントの中だ。

「……あー……疲れが全然取れてない……」

 そうつぶやいた瞬間、昨日の出来事が頭の中によみがえり、ネロの喉からうめき声が漏れ出た。

 疲れなど取れるわけがない。

 あまりにも働き過ぎた。

 魔力はもとより、体もずいぶん強張っている。腿やふくらはぎに強張りがある。土踏まずがじんと熱い。

 肩回りも重かった。

「……」

 うつぶせて、組んだ手の上に額を乗せては、目を開いたり閉じたりを繰り返した。

「……、……。あれ、そろそろいいかな……」

 あれとは、昨夜遅くに捕縛した、蛇に似た魔人のことだ。

 もとい、魔族である。

 空間魔法で作った隙間に入れていて、魔の精を監視として一体つけている。

 ネロが顔を上げると、どこからともなく魔が現れた。人間の大きさをしていて、昨夜現れた魔とは違う姿をしている。

 きっと違う個体なのだろう。

 魔の精はどれも転変を繰り返し、大きさも性別もころころと変わるが、その容姿には一定の決まりがあるようだった。

 この顔や体つきは、昨夜の魔とは違う。

《ネロ様 ネロ様 起きた》


「ああ、おはよう。……どうかしたか」


《起きた》


 嬉しそうに魔はテントの中をすいすいと飛ぶ。そして消えた。

 なんなんだろう。

「そっか、ここは精霊の加護のある場所だったっけ」

 きっと魔も気分が良いのだろう。

「俺とは逆だな」

 軋む体を引きずって、テントの外に出た。

「おはようございます、ネロさん」

 爽やかな朝日の下、少女の声が響いた。

 瑞々しい緑の中、可愛らしい女の子が食事を作ってる。そしてはじけんばかりの笑顔をネロに向けた。

「よく眠れましたか? 簡単なものですけど、朝ごはんできてますよ」

「……おはよう」

 これは夢だろうか。

 なんで女の子がご飯を作っているんだろう。

「早くご飯食べて、勇者のところに行きましょう!」

 勇者。

 現実に引き戻されて、ネロは舌打ちしそうになったが、寸前でなんとかこらえた。

 周りの巨木は夜に想像ししていたよりもはるかに大きく、そしてその下に茂る若木や草花の多さに目を見張った。

 リテリアに来るたびに思うが、太古の森の中に迷い込んだような気分になる。

 それはネロの中に眠る少年のような冒険心をくすぐり、同時に美しい緑色の世界に心が癒されるような落ち着きを得られた。

「空気がすがすがしい……」

「ほんとですよね。朝の森って、やっぱり空気が違います。気持ちが良い」

「生き返る気分だな」

 背伸びをして、首を回して、目を細めながら空を見れば、緑の向こうには鮮やかな青が見えた。

 水の塊は消えている。

 そこにあるのは澄んだ青空だった。

 鮮やかな青は、ハルリア村に近づいたことを思い出させてくれる。

 あの村は、鮮やかな青が良く似合う。

 海の青、そして空の青。

 白い海鳥。

 鮮やかなは果物に、魚市場の賑わい。

 無事だといいが。

「……ハルリアが無事だったら、市場でカットフルーツを買おうかな……」

「ハルリアの果物は美味しいですもんね。柑橘類とか、果汁たっぷりで甘くって、ほんと大好きです」

「マンゴスチンも好きだな。マンゴスチンのフルーツサンドが美味い店がある。生クリームが甘さ控えめで」

「へえ! どこですか、教えてください!」

「ああ。もちろん」

 ハルリアが無事だったらの話しだ。

 けれどネロもマーガレットも、朝食を食べながら楽しいことだけを話し、不安は口にはしなかった。

 シャワーを手早く済ませ、荷物を片付ける。

 マーガレットは流石手馴れていて、あっという間に旅支度を整えた。

 朝はゆっくりする派のネロも、今回ばかりはさっさと荷物をまとめた。

 最後に瑪瑙の岩に魔力を注ぐ。お礼だ。

 気が付けば黒い蛇がネロの腕に絡みついている。

 夜見るよりもその色はずっと黒く、そして磨かれた宝石のように美しい艶をしていた。

 そしてたまに、ネロの手首辺りをコツンと突く。

 お食事中のようである。

「あれからペンダントに連絡は?」

「ないです」

「んー、あっちには通信魔法を使える人間がいないのか……。もう一度同じ魔法をかけてみよう」

 返信が来てくれれば、詳しい居場所が分かるかもしれない。無駄足を踏まなくて済む。

 魔法をかけた後、地図を広げて方向を確認し、ネロとマーガレットは歩き出した。

 ネロはマーガレットの壊れた杖と、大きな荷物を預かっている。

 そしてマーガレットは、昨日ネロが作った簡易版杖を振っいる。


《ファーメ》


《ファーメ》


《ファーメ》


 一向に炎が出る気配はないが、昨日よりも真剣味が増しているようだ。

 勇者と連絡が取れたことがきっと励みになっているのだろう。

 少女の成長に胸がじんわりと熱くなってくる。

 よし、頑張れ、頑張るんだ。親心にも似た熱意でネロは応援した。とても気分が良かった。思わず頬が緩む。

 けれど、直後にネロの耳に


『ネロ』


 と、声が届いた。

 ネロは目を見開いた。

 ごくりと息を飲んだ。心臓が一瞬止まったような気がした。


 サヴァランの声だった。


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