第36話 ネロ それはリテリアの懇願

 正門の明かりが見えてきた。すでに夜になっていた。

 気温はコーカルよりは高いはずだが、リテリアの森の空気はいつも冷たく、そして水分が多い。

「ネロさん……、なんだかこう、物々しいフインキですね……」

「ああ。気をつけろ、柵自体が僅かに光っているだろう? 電気が通っている証拠だ」

 リテリアの森には、鉄を主成分にした魔鉱石の柵が張り巡らされている。鉄の中心は水晶だ。

 水晶は自ら電気を発することができる。

 柵の真下の地中には、水晶に自家発電を促すための呪文や、水晶が発したわずかな電気を増幅させる呪文などが張り巡らされている。

 リテリアの森の柵は、魔法と科学を融合させた高度な技術で作られているのだ。

「それもあるんですけど……。あの、……柵の前に武器を持った警備員さんが並んでて……怖いです」

 マーガレットは声をひそめていた。

 言う通り、柵の手前に完全武装した警備員が大きな盾を持って等間隔で並んでいる。

 総勢は百名近くいるだろうか。

「まあ、自然保護警備は密猟者や獰猛な野生生物との戦いでもあるしな。それなりにタフでないとやってらんないだろ」

 だが今回の原因は野生動物でもなく密猟者でもない、正門の前に群がっている人影のせいかもしれない。

 ならず者集団、もとい正義の冒険者たちだ。

 数十名に及ぶ冒険者たちと、武装警備員たちが睨みあってる。

「ネロさん、……戻って、少し離れた場所で野営にしませんか?」

 マーガレットは少し怯えているようだった。

 だがネロは戻りたくはなかった。

 戻ったほうがなにか良くないことが起こる気がしたからだ。

 妖精や精霊に聞いてみるべきだろうか。いや、よそう。借りを作るのはなるべく避けたい。

 ふと、ネロは司祭の言葉を思い出した。

 妖精はそれほど怖がる必要はない。

「……、んー……。ちょっと待ってくれ、聞いてみるから」

「え? 聞いてみるって?」

「妖精に」

「ああ、ネロさんの妖精憑きの能力ですね!」

「そんなたいそうな力じゃないんだけどな……」

 野良の妖精ではなく、使役している妖精であれば少しくらい心を許しても大丈夫だろうか。

 さてと、どの妖精にしよう。

 風か水が良いだろう。けれど風は油断ならない。

 これだけ水の気が強いのだから水の精がベストか。

 もしくは、答えてくれるかは分からないが、植物の精だ。

 昼間に超簡易版の杖を作るために枝を折ってしまっているため、可能性は低い。


《水よ》


 ネロは囁いた。

 するとネロの周りに幾つもの光の粒が出現した。

 ネロの使役する妖精ではなく、自然に存在しているこの地の精霊たちが姿を現したのだ。

 水の精だけではなく、光の精だったり植物の精もいる。

 使役している妖精たちがあらわれる気配がない。


《水よ 我が力を食んだ眷属よ 来い》


 呼んでみたが眷属は一行に反応をしてくれなかった。

 代わりに、周りの妖精たちがわらわらと寄ってくるのだ。

 少し怖い。

 虫の巣に放り込まれたような恐怖だ。

「……ネロさん? なんだか顔が硬直してますけど、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。大丈夫だ」

 けれど妖精たちの数は増すばかり。近寄るどころか、まるでネロの懐に飛び込んでくるような妖精までいた。

 ひいっ。

 しかし様子がどうもおかしいのだ。まるでなにかに怯えているようだった。

 ネロはもう一度、使役妖精を呼び出そうとした。


《水よ 我が命に応えよ》


《それは 許しません》


 思いもよらぬ、しかし可愛らしい声がネロに応えた。

 ネロの目の前に光の粒が集まってゆく。

「な、なんだ?」

「どうしたんですか?」

 マーガレットには見えていないらしい。

 光の粒は徐々に輪郭を整え、数回瞬きをするうちに小さ人型の精霊がそこに浮かび上がった。植物の気をまとっているが、水気も多量に含んでいる。

 リテリアの森の空気を凝縮したような精霊だった。


《魔を従える者よ 我々は あなたに 敬意を表します ですが 他の地の精霊を 我らが域に 入れるわけにはゆきませぬ》


 敵意は感じなかったが、はっきりとした拒絶がそこにあった。


《なぜだ? 以前私はこの森でいく度となく我が眷属を呼び出したが》


《この地は 大きく揺れました 他の者を 入れるわけには いかないのです》


《この地というのは、リテリアの森のことか》


《人の言う リテリアの森 そこは我々の地の一部 あの柵の中だけのことではありませぬ》


《私はこの地に起こったことを知りたい。そのために来た。揺れたというのは、どのようなことだ》


《知るだけ 見るだけ それだけですか》


《それだけではいけないか》


《それだけならば あなたも この地にいれるわけには ゆきませぬ》


《私は妖精でもなく、精霊でもない。人間だ。とやかく言われる筋合いはない》


《なれど…… あなたは……》


 精霊はネロをじっと観察している。


《あなたは 魔を従えている 人ですか あなたは》


《そのような人間がいてはなにかまずいか》


 リテリアの精霊から返事が来なかった。ネロは不安に駆られた。精霊たちにとって、魔とはどのような存在なのだろうか。

 リテリア宿の教会では、他の妖精たちからの差別などはなかったが、あそこはいわば魔の縄張りだった。なにせ魔王マナの慰霊碑がある。魔の精がいて当然の場所だ。

 しかし、他の場所ではどうなのだろうか。

 精霊憑きとして、これ以上生活しにくなったらば困る。任務を終えたら精霊部のどこかの課に相談をしに行こう。

 ネロがそんな場違いなことを考えていた時、リテリアの精霊がやっと言葉を発した。


《ならば 魔を従える者よ あなたに頼みがあります》


《頼み?》


《この地に入るというならば この地を 清めてくださいませ》


《私にか?》


《魔を従える者だからこそ》


《いきなりだな》


《交換条件です》


《内容による》


《先の閃光で リテリアの 多くの精霊は 消し飛びました 古く力のある精霊が わずかに 残ったのみ ここに浮かぶ妖精たちは 遠くにいたため なんとか消えずに済んだ儚き者 わずかに残った 古き精霊たちが この地を守護しております しかし もう 限界 自然の 力のみでは 海辺から どんどん 壊死がはじまります 森が 壊れてゆきます》


 壊死。


《しかし私には精霊の代わりなどできないぞ》


《壊死の 原因を 海の向こうからやってきた まがい物の魔の力 それを 取り除いてくれるのならば 力を貸しましょう》


 まがい物の魔の力。

 精霊の言うその意味は、マナという名の魔王の力ではない別の魔力がこの地を襲った、ということだろうか。海の向こうということは、隣国で自爆したという魔王の力だろうか。

 自爆というのは嘘だったのか、それとも新魔王が生まれ、野心を燃やしこちらに攻撃を仕掛けてきたのか。

 ヒューイがおかしくなった魔力、マーガレットのロッドを壊した魔力、コーカル近辺の結界を変質させた魔力。

 それらは同じ魔力なのか、それとも別なのか。

 そのまがい物の魔の力なのか。


《その魔の力というのは、いったいどんな力なのかわかるか? 人である私が近寄っても平気なものなのか?》


《肉体があれば 今でしたら 大丈夫でしょう》

《どのような魔力なんだ?》


《まがい物、としか》


《はっきりとは分からないのか》


《お恥ずかしいかぎり はっきりとは》


《いや、侮辱したわけではないんだ。私はそれを調べに行くのが仕事だ》


《分かることであれば 肉体の無い 精霊や妖精であれば 消えてしまうかもしれない それだけです》


《もしや、他の地の精霊を入れるわけにはいかないというのは、その者が消えてしまうかもしれないからか》


《他の地の精霊を守ってやれるほど 余裕は もう ないのです》


 この精霊は優しい。

 ネロは目を細めた。


《分かった。では私は力を貸そう》


《ああ! 感謝いたします 魔を従える者! マナの力を持つ者よ!》


《ではさっそく教えてほしい。私の傍にいる妖精たちが、なにかに怯えているようだが、いったいが起ころうとしているんだ?》


《流石 魔の精を従える者 お気づきであったのですね この場に 今まさに まがい物の魔力にあてられたモノが 押し寄せようとしています》


 なんだって? とネロは門を見た。

 しかしそこには何もなかった。いや、正確にはいろいろある。柵の前には完全武装した警備員たち、そしてならず者にしか見えない冒険者たちの群れ。

 一触即発であるが、戦闘になる気配もない。そして精霊の言うまがい物のなにかが押し寄せてくるようにも感じなかった。

「どうですか、ネロさん。妖精さんたちはなにを言っていたんですか?」

「あ、ああ。……なんでも、ちょっとおかしくなった魔物みたいなのが、暴れているらしい。ここに押し寄せてくると言っているな」

「大変! はやく他の人たちにも知らせしなくちゃ!」

 そういってマーガレットは人が群がっている場所へ向かって走り出してしまった。

 まだすべての話を聞き終わっていないのだが、ネロは精霊に小さく頭を下げてからマーガレットを追った。

「皆さん、緊急事態です。おかしくなった魔物がこちらに向かってるそうなんです!」

 マーガレットの声は夜の森によく響いた。

 剣呑としていた冒険者たちが振り返ってくれた。

「どうしました?」

 近くにいた冒険者がマーガレットに訊ねた。剣士のようだったが、身軽な服装だった。

 ウェラスたちが持っていた頼もしさがあまりない。

「ここにおかしくなった魔物が押し寄せようとしてるんです! 逃げるか、もしくは退治しなくちゃ。急いで準備をしましょう?」

「おかしくなった魔物……、それは誰から聞いたんですか?」

「精霊です!」

「君は精霊使いなのかい?」

「私じゃなく、えっと、ネロさんです!」

 マーガレットはネロの腕を引っ張った。

「この森の精霊から聞いたんですよ、ね? ネロさん」

「え、あ、まあ」

「ふーん……本当に?」

 ネロは軽んじられていることに慣れている。慣れているのだが、そのことが精霊や妖精の名誉を損なうことにつながるのであれば、否定しなければならない。

「本当ですよ」

 精霊や妖精は恐ろしい存在なのだ。

「僕は正確には精霊使いではありませんが、妖精や精霊と会話することができます。家族にもいます。先日、衝撃波がこの辺りを襲ったでしょう? その影響で、動物たちがおかしくなっているんです。ゾエの街に立ち寄った時も、おかしな動物を駆除する依頼を受けました」

「そうです! しかも魔法師団からの依頼でしたから、おかしくなっている動物がいるのは確かです」

 マーガレットも加勢してくれた。

「魔法師団ね……。でもそんな情報は聞いたことがないよ? 本当だとしたら、行政が情報を隠匿していることになるよね。この森も、勝手に封鎖してしまうし」

 冒険者たちは国家にご不満があるようだった。今はそれは関係ないのだが、聞く耳をもってくれそうにない。

 ネロは一歩前に出た。そして周りにいる冒険者たちを見渡した。

「一つ、変な衝撃波が起こった。二つ、それによってなにかを危惧したコーカル市長は森を封鎖した。三つ、爆炎の勇者が、柵を壊した。四つ、そして今、おかしな動物がこの辺りを闊歩している」

「貴様、爆炎の勇者を侮辱する気か?」

 一人の冒険者がネロに怒鳴る。

 横にいるマーガレットが、複雑そうな顔でネロを見上げていた。

「侮辱だと感じましたか? 残念ながら、今僕は現状を簡単にまとめただけです。別の言い方をすればこうだ。柵が壊れたことにより、変な衝撃波でおかしくなった動物が森から逃げ出しているかもしれない。現にゾエの街ではそれが確認されている。衝撃波の発生場所を思われるのはリテリアの森の海岸線。ゾエよりも、リテリアの森の動物のほうがおかしくなっている可能性が高い。そして、妖精や精霊が警告している。……国や行政、そして勇者に文句を言っている場合ではない。冒険者と、警備員が剣を向けあっている場合ではない。警戒すべきは、」

 その時だ。

 ネロの背後から爆発音が上がった。

「なんだ!」

 ネロとマーガレットは、同時に背後を振り向いた。

 遠くに火柱が上がっている。そこは森の端のあたりだ。

 地鳴りが響きだし、ネロとマーガレットがてくてくと歩いてきた道を、なにがかものすごい速さで這いずり寄ってくるのが見えた。

 ネロはとっさに杖を構えた。

 マーガレットから預かっている壊れたロッドだった。

 しまったと思いながらも、

《アンキラ!》

 と唱えた。

 運よく術は発動し、強固な呪文の壁が出来上がった。

「行け!」

 ロッドを振って、アンキラをぶん投げる。力技だ。目標物に固い壁を叩きつけるのだ。

 その白く美しいレース編みのような壁は、可憐な見た目とは裏腹に、猛スピードで襲ってきたナニかと衝突してもビクともしなかった。

 勢いよくぶつかたナニカは、その反動で大きく後ろに跳ね飛ばされた。

 見れば、巨大な赤い蛇である。

 見上げるほどに、森の柵などよりもはるかに、いや太古の巨木よりもさらに巨大だった。

 しかもその蛇、無数の木の根が集まってできたような奇妙ないでたちだった。

 蛇は鎌首をもたげ、青白い眼をキロリとネロに向けた。

「ネ、ネロさん! あ、あれ、ななななんですか!」

 マーガレットが震えながらネロのマントをつかんでいる。

「俺も分からん。大蛇の魔獣だとか神獣は多くいるが、あれはなんだかさっぱりわからん!」

 神獣アンルー熊とは規模が違う。あの熊も大概な異変だったが、この蛇のようなモノはその比ではない。

「ともかく、今はアンキラで防いでいるが、どうなるかわからないから荷物持って後ろに走れ!」

 ネロは背負っていた荷物を外し、ついでにマントも脱いだ。

「このマントは防御系の補助呪文をかけてあるから持っていけ! いざとなったらマントの中央にある印に飛び込め! 魔力をありったけ込めて手を突っ込めば、中に入れる!」

「え? え? ええ?」

 混乱しているマーガレットにネロはマントを押し付けた。

「いいから早く逃げろ!」

「は、はい!」

 マーガレットが走り出すと、周りにいた冒険者もそれにならっていっせいに逃げ出した。

 自分も戦うと剣を抜いてくれる者がいてもいいのだが、全員逃げてしまった。

 やはり集まっていたのは冒険者ともいえないならず者だったのだろうか。

「まあいい」

 ネロはアンキラの向こうで鎌首をもたげている蛇が追わないよう、その進行方向を隠すように立ち、壊れたロッドを構え直した。


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