エピローグ


エピローグ



 かねてから正義と悪は容易に立場を変えるものだとは思っていたが、こうも劇的にひっくり返されていく様子を見ていると、人間不信をさらに拗らせそうになってくる。


 治安維持隊に唯一の弱点があるとしたら、それは、メディアに対して情報を隠すことができても、規制をかけることが非常に困難であることだろう。世間で『重要性が無い』とされている情報ならいざ知らず、政治担当の公理評議会が大々的に発表した物となると話は別だ。


 金堂真の娘であるノゾムは、今やエイジイメイジア一『不幸な少女』に祭り上げられていた。


 未成年だからという理由で実名報道はされていないが、能力阻害以外については、七年間精神医療センターに幽閉されていたことや、ある協力者の手で病院を脱出、公理議事堂へ保護を求め、治安維持隊と壮絶な追走劇を行ったことまで『赤裸々』に明かされている。実際のところは多くの部分に脚色が見られるが。


 金堂真が制作した人間兵器が、治安維持隊に虐げられてきた被害者として扱われているという現実。隠すべき部分をうまく隠す形で、公理評議会側に都合のいいストーリーが作られているのは、逆に言えばマスメディアに対してまだ一定の信頼が置かれているということに他ならない。メディア不信が加速すると、第三次世界大戦前のように独裁的な人物が台頭するため、何事もやりすぎは禁物だが、今回限りは事実が改ざんされたことに感謝せねばならないだろう。


 なによりも重要なことは、公式上は御影がこの事件に関わっていなかったことにされているという点だ。公理評議会側も、さすがに事件と無関係だと主張するくらいしか世間に対する隠蔽工作の方法を思いつかなかったのだろう。当日動いていた治安維持隊のほぼ全員に顔を見られている状態でそれはないだろうと呆れるが。というか無理に隠す意味あるのか。


 治安維持隊はかたくなに沈黙を守っているが、何らかの責任を取らされるのは必然だろう。各方面に許可を取らずに、中央エリア封鎖、非常事態宣言を勧告、主要ブロック封鎖に公理議事堂の包囲、とどめに超越者の投入とやりたい放題してくださったのだから、そうでなくては困る。治安維持隊側がノゾムの身柄を確保していればごまかしようがあっただろうが。


「というわけで、アンタが私のお腹に膝蹴りしたことで、あの子の安全は保証されました。めでたしめでたし」


「いや、どういうわけだよ」


 病院のベッドで上体だけベッドから起こした御影奏多は、わざわざ病室まで見舞いにきたエボニー・アレインがじとりと睨みつけてくるのに呆れ声を上げた。


 というか、まだ根に持っているのか。自分も逆の立場だったら一生恨みに思うが。


「アンタが知人を巻き込むわけがないことを予想できなかったのは私の落ち度としても、膝蹴りはないでしょうよ膝蹴りは。おかげで私も三日ぐらい入院したんだから」


「……」


「何か言うことは?」


「元気そうでなによりだ。安心した」


「やっぱり、一度本気で殴らないといけないようね」


「やめてくれ。今の俺はわりと重傷だ」


 全身ミイラ男のような格好で、特に重点的に包帯が巻かれている左腕を右手で指さして見せる。担当医曰く、左手がまだ動くのは奇跡に近いらしい。


 おかげでこの五日間ろくに身動きがとれていないが、命あっての物種だと納得するべきだろう。正直言って、いまだにあの状況から生きて帰ったという実感が薄い。


「退院したらいくらでも殴らせてやる。必要なら、お前んとこの上司にも頭下げに行くから、それで勘弁してくれ」


 彼女が持参してきた、見舞いの品の定番である果物籠からリンゴを一つ取り、御影は右手で放り投げてキャッチするのを繰り返した。


 ありとあらゆる場所に不調をきたしているなか、利き手にあまり異常がなかったことは行幸だった。消化器官系が少しやられて、あまり多く食事をとれてなかったことから少し細くなってしまった腕に嘆息する。リハビリには数週間の時間を要するだろう。


 ふとそこで、奇妙な沈黙が続いていたことに気がつき、御影はリンゴを膝の上に置くと、エボニーの方へと顔を向けた。彼女の方はというと、口元に手を当てて、若干顔を青ざめさせながら、御影の顔を穴が開くほど見つめていた。


「俺の顔に何かついているか?」


「……ありえない」


「ああ?」


「あの、傍若無人かつ唯我独尊な御影が、自分から謝るとかありえない! だって、御影ですよあなた? おかしいと思いませんか!」


「流石にここまでして謝罪の一言も無かったら、人間としてありえねえだろうがよお!」


「そのありえないをしてきたのが御影奏多でしょう! うわあ! なんか腹立ってきたわ! 変に謝られるくらいなら、嫌味だけ言われていたほうがまだましだったわ!」


「…………」


 いろいろと言いたいことはあったが、日ごろの態度のつけだと無理やり口を噤んだ。


 御影は憮然とした顔のまま、右手に握ったリンゴの表面に歯を立てる。皮の少し硬い感触と、口の中に広がる果汁がたまらない。一瞬、入院食以外の物を食べてよかったのだろうかと思ったが、彼女がここまで持ってこれた時点でOKなのだろうと勝手に解釈しておく。


「さて、学生警備。来て早々申し訳ないが、退室を願おうか」


「何よ。そんなに私のことが嫌いなわけ?」


「また別の客人だ」


「そんなのいない……ああ。アンタ、この場所に誰か近づいてきているくらいはわかるのか。能力で」


 と、彼女は当たり前のようにそう言って、ベッド横のパイプ椅子から腰を上げた。お大事に、の一言だけを残して、きびきびとした足取りで外に出て行く。相変わらず切り替えの早い女だった。膝蹴りの件については、もう少しいろいろ言われるかと覚悟を決めていたが、予想したよりはずっと穏やかだったし。ただ単に、武士の情けで死刑執行時間を延長されただけのような気もするが。


 御影を担当する看護師と医者の歩き方は、ここ数日で覚えた。あれは間違いなく、それ以外の人間のものだ。きっと、あの白い服を着た男が見舞いに来ているのだろう。それからまた、別の知り合いももう一人。


 エボニー・アレインと新たな訪問者が顔を合わせたのか、廊下で二人とも立ち止まる。その拍子に発生した気流の乱れを感じ取りながら、彼は食べかけのリンゴを膝に置くと、無言でカーテンへと人差し指を向けた。


 窓から吹き込んできた風が、青く光りながら渦を巻き、カーテンの布をハタハタと揺らす。


 御影奏多はその光景に苦笑を浮かべて、公理評議会に所属するあの男が自分の病室へと来るのを、ベッドの背もたれに体を預けて待ち構えた。



  ※  ※  ※  ※  ※



「いいお友達を持ったものだね。一度裏切っても信頼してくれる友人がいることは、よきことかな。私もあやかりたいものだよ」


 ルークはそう言うと、果物籠からメロンを取り出して、わざわざ持参してきた手提げ袋の中に入れた。いつ誰が人の持ち物を堂々と奪っていいという法律を議会で通したのか甚だ疑問だったが、平気な顔で人を騙していた以上、今更かもしれなかった。


 ホログラム越しに目にしたときにも思ったが、全身が白というのはやはりどう見ても異質だった。高身長に金髪、恵まれた容姿と全てが揃っているからこそ許される格好だろう。プラスマイナスでゼロになっているような気がしてならないが、そこは個人の趣味嗜好の世界だ。


「五日ぶりくらいかな? まあでも、やっぱりもう一度挨拶した方がよさそうだ。改めまして、こんにちは。公理評議会に所属する、ルークという者だ。よろしく」


「メロン返せよ」


 果物の中では割と好きな方だ。断じて渡すわけにはいかない。


 ご挨拶だね、とルークは肩をすくめて、メロンを籠の中に戻し、代わりにバナナを持っていった。まあそれくらいなら、と一瞬思ってしまったが、案外最初からそっちが狙いだったのかもわからない。果物籠を持参してきたのは、あの生徒会長も同じだった。最初から、この部屋に見舞いの品としてあることを予想していたのだろう。


 その頭脳を、もっと別な場所に使うべきだと思う。今回も今回で、全ての才能を詐欺に使っていたわけだし。実際この男、五日間でノゾムを被害者に仕立て上げるという恐ろしい荒業をしていらっしゃる。ある意味、御影一人を騙したことよりも称賛に価するだろう。


「あの女は、今どうしてる?」


「元気にしてるよ。治安維持隊ではなく、我々が管轄の施設で過ごしている。ホログラムが見えないことを隠せば、それなりに自由に過ごせるようにしていくつもりだ」


「また施設か。アイツの望みが極力叶うようにしてやれよ。今まで何もできなかったんだからな。お前の関係者の家で引き取るとかはどうだ? ちなみにうちは絶対だめだ」


「……バレた?」


「これ以上あの女の面倒を見るのは御免だからな、本当に」


 彼女が自分の境遇等について実際のところどれほど悟っていたかは謎だが、何にせよこれから先、様々な苦労を強いられることだろう。そういう意味で言えば、まだまだ問題は山積みだ。そこまで関わる気はさらさらないが。


「次は俺自身についてだ。説明してもらおうか、いろいろと。AGEは一体俺に何をした? んでもって、なんでまた俺に力が戻っている? あとそれから、バナナも返せ。やっぱり」


「けち臭いね。じゃあ、どれならいいんだい?」


「いや、何で持っていく前提だよ。……桃が嫌いだからそれで」


 昔腐った桃を食べてあたった。缶詰など、調理済みの物なら抵抗はないが。


「簡単に説明すると、事態を重く見たAGEが、メディエイターに君への精神粒子供給を断ち切らせたんだ。私こそ君に聞きたい。あのとき君は、何をした? どうやって超能力を発動したんだ?」


「さあな。知らねえよ。俺はな」


 御影奏多はそう嘯くと、リンゴを手に持って、再び表面を齧りとった。腹に一物抱えているのはお互い様だ。向こうが白々しい態度を取る以上、こちらが調子を合わせる必要はない。


 ルークは眼鏡越しに籠の中身を覗き込んで、だいぶ下の方にあった桃を慎重に取り出すと、バナナをその上から適当に置いた。


「正直に言うとだ。データ上では、御影奏多という人間は五日前に死んだことになっている」


「……」


 何の反応も示さずリンゴを齧り続ける御影に、ルークは桃を手にしたまま首を傾げた。


「意外に思わないのかい?」


「いや。あのときご丁寧にも、メディエイター側から『今から君を殺すつもりだから注意してね』って、茶目っ気たっぷりな警告をいただいたからな」


 正直、あの赤一色のホログラムが出現した理由はよくわからない。何らかのバグで、御影本人に通知が来てしまったのだと理解している。もし作為的なものだとしたら、わざわざこれから殺すことを本人に伝えるシステムを作った人間の気が知れない。


 だが、案外本当に仕様である可能性もある。機械にしてみれば、人間一人の死など、システム上でアカウントナンバーを一つ削除する作業に過ぎないからだ。


「君が眠っている間に、私がAGEの連中と交渉して、君の新たな戸籍を作らせた。何事も完全はありえない。メディエイターに認められていても、戸籍上は存在せず、アカウントナンバーがない人間もまれにいるんだよ。つまり君は、五日前の君とは別人扱いになっている」


「だから、ナンバーがまた変わっていたわけか。超能力の方は?」


「なぜ、超能力者の操れる力に差があると思う? ある力を操れるようにするために、二、三年かけてメディエイターが脳構造を作り変えるんだよ。さっきの女の子が火を操り、君が風を操れるのはそういうわけだ。つまり、精神粒子の供給を再開すれば、すぐに力が戻る」


「なるほどね。おかげで、まだ残っていた謎が解けたよ」


 超能力者ごとに操作する物が違うことは、少し気になっていた。超能力者が一般人と違うところは、数年がかりで脳そのものが変化していること。外部からの書き換えではあるが、そういう意味では一般人と超能力者に差があると言えるかもしれない。


 たとえ一般人に精神粒子を供給したところで、彼らは能力を使えない。かといって、超能力者側にも無断で頭をいじられていたと知ったら自殺しかねない者だっていることだろう。善悪同様、格差というやつも一言では片づけられないから困る。


 何にせよ、自分が支配者側であるという意見に、異論はないが。


 恵まれているからこそ、秀でているからこそ。御影奏多はこうして、ベッドの上でのんびりとリンゴを口にすることができている。


 今という時間を、生きていられる。


「まあ。なんにせよ、よかったじゃねえか。結果的に上手くいって」


「そうだね。一時はどうなるかと思ったが、あの子を守れてほっとしているよ」


「ハッ。御冗談を」


 御影は芯だけが残ったリンゴをゴミ箱へと放り捨てると、太ももの上に頬杖をついて、皮肉気な笑みを浮かべてみせた。


「俺を守れてほっとしたの間違いだろ?」


 沈黙が、流れた。


 桃を手提げ袋に入れようとした姿勢のまま固まっていたルークは、やがて無表情のまま体を起こすと、近くにあったテーブルに桃を置いて御影を見つめた。


「なぜそう考えた」


「俺がまだ、生かされているから」


「……面白いね。いいだろう。続けたまえ」


 ルークは左手の中指で眼鏡を押し上げて、近くにあったパイプ椅子に深々と腰かけた。


「正直な話、俺は死を覚悟していた。治安維持隊に殺されるというだけじゃねえ。あの女を『聖域』に届けたところで、俺はもう用済みとなり、消されるものだと思っていた」


 わざわざ自分に、ノゾムの正体、そして、超能力者の仕組みについて話した時点で、後に口封じされると予想していた。ある秘密を明かすことは、信頼の証とはなりえない。秘匿すべき情報は、限られた人間だけが知るべきこと。間違っても、現場に知られるわけにはいかないというのが大原則だ。


「俺は重傷を負っていたうえに、ここは病院。暗殺の機会はいくらでもあったはずだ。だが、俺は今こうして生きている。何か理由があるはずだと、俺は考えた」


「純粋に、善意によるものだとは思わなかったのかい?」


「当然だ。お前のことを信用する理由が、俺にはない」


 一度騙してきた人間をまた信じるのは馬鹿だ。騙されたということは、相手が最初からこちらを利用するためだけに接触していたことを意味しているのだから。


 ……エボニー・アレインを騙しておいてなんだが、目の前の男に比べればかわいい物だとも思う。どんぐりの背比べかもわからないが。


「ではなぜ、俺は殺されていないのか? 答えは簡単。利用価値があるからに他ならない。そこまで考えたところで気づいた。公理評議会の目的は最初からあの少女ではなく、俺の方だったんだってな」


 ノゾムを保護する駒として選ばれたのが自分であった理由が、ずっと謎だった。結果的に見れば、御影を選んだことは最適解だったかもしれない。しかしルークは既に、ボクシというジョーカーを持っていた。新たなカードを引く必要性は薄かったはずだ。


 加えて、ノゾムを巡る攻防が動き出したのが三月三十一日の夜ではなく、四月一日の朝だったことにも納得がいかなかった。まだ治安維持隊が混乱していた夜のうちに『聖域』へ連れていった方が良かったはずだ。さらに言えば、治安維持隊がノゾムの居場所を突きとめたのは、まず間違いなく彼女が御影家の閉ざされていた玄関を開けてしまったことによるものだろう。


 しかし、公理評議会が手中に収めようとしていたのが御影だったというのなら。ノゾムを誰かに救わせることではなく、誰かを御影奏多に救わせ、治安維持隊と対立させることこそがルークの目的だったとしたら、全てに説明がつく。


「ならば、俺の価値とは一体何なのか? 超能力者であることか? 違う。こう言っちゃなんだが、超能力者の人数は一万だ。掃いて捨てるほどいる」


 パーセンテージ上では0.01%でも、母集団が一億だ。確かに頂点に立てる人間は限られるが、ピラミッドそのものが大きければ、数として見れば多くなる。


「答えは一つしかない。俺が起こした、『奇跡』だ」


「……」


「あのとき俺が超能力を使えたのは、俺にその可能性があり、それゆえにお前らが俺を選んだからだ。公理評議会が治安維持隊の傀儡だというのなら、治安維持隊の方は誰の人形なのか? AGEに決まっている。いや、全ての組織がそうか。その性質上、正面から対立することはないんだろうが、治安維持隊側に与することだってありえる」


 実際、今回そうなった。ノゾムの殺害と保護。AGEの天秤は殺害に傾き、一時的にとはいえ治安維持隊のほうに味方した。


「俺は今回、メディエイターの協力なしで超能力を発動した。これはつまり、AGEでも止められない人間兵器が誕生したことを意味する。実際に役に立つかは別としても、そういう存在がいるというだけで脅威になる」


 超能力者の存在意義の大半が抑止力の象徴となることだというのなら、その役割を果たさせる上では、自分は超越者をも凌駕する存在だと言えよう。何も世間に知らせる必要はない。治安維持隊の一部の人間が知っていれば、それでいい。


「AGEと交渉するなんて並大抵の仕事じゃなかったはずだ。お前は俺に対して喋りすぎなんだよ。口は災いの元。そのうち火傷じゃすまなくなるぜ、支配者さんよ」


「君の仮説の真偽はともかく、その言葉は重く受け止めるとしよう」


「かくして俺と治安維持隊の対立は決定的となり、今後の安全を守るためにも、俺はこれから公理評議会側として動かざるをえなくなったというわけだ」


 ルークはふむと頷いて椅子から立ち上がると、窓の方へと歩いて行った。外からの陽光が、白のスーツに反射して眩しい。


「しかしそうなると、私が神の如き洞察力を持っていることにならないかな? 全てが終わった後に、『予想通り』などと嘯く人間は、信用に値しないと思うけどね」


「だから、結果的にと言ったんだよ。世の中意外とシンプルだ。俺が彼女を守るよう誘導できた時点で、お前は勝っていたはずだった。誤算だったのは、お前が言ったように治安維持隊側が強烈に抵抗してきたことだ」


 つまりは、あの一日のほとんどが、ルークにとっては蛇足だったのだ。本来なかったはずの展開であり、あのときに御影が『奇跡』を起こす必要はなく、その可能性があるというだけでひとまずは十分なはずだった。適当なところで敗北して治安維持隊に拘束され、罪人として隊からはじかれた御影を回収するというのが、当初の計画だったはずだ。


 それもそのはず。いくらノゾムが危険な存在だからといって、まさか治安維持隊があそこまでしてくると誰が予想できただろうか。正直、ルークに対する個人的な対抗心が元帥にあったのだとしか思えない。


「お前らにとって、彼女の生死はどうでもよかった。結局のところ、あの女は最初から最後まで、世界中から見捨てられていたというわけだ」


 善意だけで動く組織など存在しない。利害関係があるからこそ、人は群れる。無償の奉仕などありえない。むしろ歪なぐらいだ。


 今回、彼女のために動くことで、御影奏多は正義という名の自己満足を手に入れた。


 公理評議会は、御影奏多のみならず、能力阻害を可能とする対超能力者用人間兵器まで手中に収めた。ただ、それだけの話だった。


「なかなか興味深い話だった。わざわざこの病院まで足を運んだかいがあったよ」


 ルークはそう言って肩をすくめると、手提げ袋から桃を取り出して籠へと戻し、そのまま病室を出ようとした。が、扉のところまで歩いたところで一度立ち止まり、御影の方を振り返ると、彼は教師か何かのようか口調で告げた。


「その仮説。残念ながら完全ではない。正しいように見えて、間違いがいくつもある」


「……」


「二つ、訂正しておこう。まず、少なくとも私は、あの子を本気で救いたいと思っていた。そして、彼女を救うことができるのは、君しかいないと確信していた」


「なぜ?」


「それは自分で考えたまえ。頭脳派を気取るのなら、考えるという行為を怠らないことだ」


 かなり直接的にまだまだだと言われた形になり黙り込むしかない御影に再び背を向けると、ルークは肩越しに言った。


「もう気づいていると思うが、面会しに来たのは私だけではない。しかし、随分と騒が……明るい子だね」


 ルークにさえ騒がしいと言わしめる台風のような女がもう間もなくここに来るのかと思うと、全身に鳥肌が立ちそうなほどの怖気を覚えたが、いい加減顔を合わせるべきタイミングだろう。彼は逃げるように立ち去るルークの後ろ姿をなすすべもなく目で追いつつ、ため息を吐いた。



  ※  ※  ※  ※  ※



「ヘーイ! グッモーニン、ミカゲン! 元気にしてた? ノゾムは元気だよ!」


「ミカゲンって呼ぶな、御影でいい。まあ、とりあえず座れ。そして黙れ。息をするな」


「それじゃあ窒息死しちゃうんですけど! やだなあ、もう! ミカゲンったら、あのときはすごい強く抱きしめてくれたのに~! けだものだったのに~!」


「ものすごく誤解を招きそうなこと言わないでくんない?」


 台風が襲来したと思ったら竜巻だった。それも超大規模な。心は一面更地である。


 個室であることに感謝だ。これで部外者と同室だったら、羞恥のあまり自殺しかねないところだった。改めてこんな奴のために命をかけたのかと思うと、正直げんなりしてくる。


「あれ、どうしたのミカゲン? 顔をしかめて目頭抑えてるけど、ひょっとして元気なノゾムの姿を見て泣いちゃった? かわいいところもあるんだね!」


「…………」


「むう? ここで、『そうなんだよ。これからはかわいい系男子の時代なんだよ』くらいの皮肉を返してくるのが、ミカゲンだったと思うけど?」


「やっぱりテメエ、ところどころ天然じゃなくてわざとか!」


 だと思ったよ。精神年齢が低いというだけでは説明がつかないと思ってたんだ。


 感動的な再開のはずが、涙一つ出てこない。むしろ別な方向で泣けてくる。具体的に言うと、『やってきたこと全てが無駄だった!』と突然叫びだしたくなるような、思春期特有のあれ。


 まあ、とりあえずはお互いに無事なようで何よりだ。正確には御影の方は満身創痍だが。


 そして二人の間で、他愛のない話が展開される。果物籠の中身についてから、好きな食べ物へと繋がり、本のジャンルまで話が飛んで、戻って籠の送り主であるエボニーについての話題。それから、御影が通っていた学校や、超能力者についてなど。


 山もなく谷もなく、おちもなくとりとめもなく。


 意味のない雑談を、ただ続ける。


 今回の件で手に入れたもの、失ったものの両方を噛みしめながら。


 何が起きていたのか、全てを把握している人間は、きっと一人もいないのだろう。皆が皆、何かに不条理を感じたまま、次の未来を描くために生きている。その未来が、自分の思い描いたものとは違う絵画になることを自覚して。


 どこまでが真実で、どこまでが嘘なのか。誰が何を思い、どう行動していたのか。何もかもがわからず、何もかもを変えられない。こうしている今も、超能力者と一般人の対立という構図は確固として存在する。コインのように、表と裏を持つ形で。だが、どちらにも決まらずに。


 考えれば考えるほど泥沼だ。思考は行き詰まり、思索は停滞し、やがて全てが曖昧で有耶無耶な煙となって、虚空に消えていく。


 それでも時間は流れ、月日は過ぎ去り、また一歩、前へと進まなくてはならなくなる。


 これだけは全ての人間に平等に訪れるのであろう、死という名の幕引きに向かって。


 歩みを、だんだんと加速させる。


 先へ進むことに、何か意味があるのだと夢想しながら。


「ノゾム」


 少女の名を呼ぶ。あの『奇跡』で見た光よりもずっと美しい、暖かく柔らかな陽光の中で、鳶色の髪が揺れている。


「約束する。いつか必ず、お前と一緒に、あの場所へとたどり着く」


 どこに、と少女が尋ねる。少年はそれに対し、頬を緩める。


「決まってるだろ?」


 彼は穏やかな微笑を浮かべたまま、窓の向こうへとその言葉を送り出した。


「――空だよ」




……Utopia Alert 1 is the End.



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