第三章 暗転 8
8
エンパイア・スカイタワー最上階。
「やりやがった、あの野郎!」
ヴィクトリアの拳が、窓を塞ぐ強固な隔壁へと叩き付けられ、鈍い音を響かせる。周囲では一応将官のバッジをつけたパニック状態の男衆が、建設性の無い議論を繰り返していた。
「御影奏多が正面ロビーに侵入することを許しました! タワーに残っていた部隊を現場へ向かわせようとしていますが、通路が隔壁により塞がれ……」
「タワーの防衛システムが自動で展開! 我々は、外部と完全に遮断されました!」
「自動なものか! 間違いなくボクシの仕業だろう! セキュリティ担当は何をしていた!」
「そもそも、超越者の能力が乱されたのはなぜだ! ターゲットの意識はなかったはずだ!」
「この件については誰が責任を……」
さすがに聞いているのが苦痛になってきて、ヴィクトリアは腹いせとショック療法の両方の目的で自らの椅子を蹴り飛ばし、注目を自分の方へと集めた。
「いい加減にしろ貴様ら! いくら議論しようが結果は変えられん! ならば、次なる対策を練るしかないだろう! 違うか!」
なぜこんなことになったのかという疑問ほど、無意味なものはない。過去に戻れない以上、全力で今に対処するしか他にないだろうに。第三次世界大戦以降、『内戦』以外の戦争が一度も無かったつけが、ここに来ているのか。
追い詰められているときこそ冷静に。それでいて、大胆に。現実を見つめないのはただの馬鹿だが、見つめたうえで素知らぬフリをするという選択肢もある。
「何をそんなに焦る必要がある? むしろ、好都合じゃないか。これで、奴の逃げ場はなくなった。喜べ諸君。久方ぶりに、自らの手で成果を上げるチャンスが天より与えられたぞ」
本当に重要な作戦は、今後は少数精鋭で当たれるようにしなくてはならないだろう。自分一人だけでやることにも問題があるのはわかってはいるものの、少なくとも今は、この円卓には人が多すぎる。
「ニーラント少将! 現在のタワーの状況を説明しろ!」
「はっ!」
打てば響くような返事と共に、ケース・ニーラントは事務的な口調で告げた。
「現在、各フロアの防御壁が無差別に下ろされ、フロア間の隊員の移動がままならぬ状態となっています。階段も数か所が封鎖。そして重要なのは、監視カメラが全て作動しないことと、エレベーターの操作がこちらからはきかないことです」
「何と。上下しかできない棺桶でこちらへ来るつもりなのか、奴は? 手向けの花でも買ってきて、火葬の準備をしたほうがよさそうだな」
ヴィクトリアの軽口に、何人かの将校がおざなりに笑おうとしたが、顔を妙に引きつらせるだけで終わっていた。頼りなさすぎて正直泣けてくる。
「では、アーペリ中将。タワー内にいる人間を、集められるだけ集めろ」
「構わないが、せいぜい二十人前後だろうな。ところで、どこに集合させるんだ?」
「もちろん、ここだ」
将校連中が、あたかも示し合わせたかのようにこちらの正気を疑うような目を向けてくる。見ていてかなり面白いが、あいにくコントをやらせるために彼らを招集したわけではない。
「奴の目的は、治安維持隊本部の陥落。ひいては、私の首だろう? ならば、正面から向かい打ってやろうじゃないか。示してやろう。天に立つべきは、我々の方だということを」
※ ※ ※ ※ ※
何度も、この場所に来た。
草原。風の中で、一人座る。
夢を見ていた。夢を見ていた。夢を、見ていた。
曖昧で、確かな形として説明できないような。
決して叶うことのない、夢を見ていた。
その夢は、いつからか。わからない。気がついたときには求めていた。外部から与えられた概念か。内から沸き起こる衝動か。そんなことはどうでもよかった。
冷たい風が、吹いている。無言で、空と地の境界線を見つめることしかできない御影の髪を揺らし、頬を撫でる。
そんな、感触があった。それに応じるかのように、彼の意識は段々と現実世界へ浮かび上がり、同時に体中に刻まれた傷が存在感を増していった。
思わずうめき声を上げる。今いるのは、まさに敵の本拠地である場所。そう気がついたところで、御影は体を縛るけだるさに抗い、瞼を無理やりこじ開けた。
赤い色が見えた。血だまりがそこにあった。
目の前で、一人の少女が、声もなく涙していた。
「……ああ。なるほど」
エンパイア・スカイタワーの正面玄関から突入したときのことが思い出される。ガラスの破片が散らばる床を十数メートルにわたって滑った挙句、背中から壁にぶつかったんだったか。
ガラスによる傷もそうだが、背中への衝撃の方が深刻なものだった。背骨にひびが入っていたとしても、何もおかしくない。幸いというべきか皮肉にもというべきか、下半身にも痛みを感じられることから、神経が切断されるなどといったことはなかったようだ。
御影の体は、ちょうど衝突した場所にもたれかかる形で床に座らされていた。ゆっくりと右手を持ち上げて、上半身を触る。少しざらついた感触がして、そこで彼は初めて、自分の体に新たな包帯が巻かれていることに気がついた。
「これは、お前がしたのか?」
「そうだよ。パーカーのポケットに、応急処置用のキットがあったから。うまく、できているかな、御影?」
「そうだな。初めてにしては、上出来だ。本当は……俺自身で、やる予定だったが」
少なくともこれで、出血死することはなさそうだ。そう思い、包帯から手を離したところで、掌がまっ赤に染まっているのが目に飛び込んできて、彼は苦笑した。
今すぐにでも本格的な治療を受けないと、命を落としかねない。だが当然、味方がほとんどいない戦場では、そんなものを望むことはできない。むしろ、超越者三人と渡り合って、まだ生きているという事実に感謝するべきだろう。
「さて……まだ、終わっていない……よな?」
御影はそう呟くと、右ひざを持ち上げ、その場に立ち上がろうとした。しかし途中で体のバランスが崩れてしまい、左に倒れてしまいそうになって、彼は慌てて床に手をつき支えた。
直後に、自分の左腕がまだ動かせるという事実に驚愕する。確か、御影の記憶が正しければ、左肩が刺されて外れて、腕全体にガラス片が突き刺さったはずだった。刺し傷はボクシの手当てが適切だったらしく、外れた肩の方はというと壁に衝突したときにうまく戻ったらしい。ガラス片の方はどうやらノゾムが大部分を取り除いてくれたらしかった。
まだ稼働するという事実が、あたかも自分の腕が機械化されているかのような錯覚を与えてくる。血が流れ出るたびに増す疲労が、かろうじてそれが本物であるという実感を与えてくれるが。
「最後の総仕上げだ。いいか。よく、聞いて……」
喉の奥から何かがこみ上げてくる感触に、御影は言葉を途中で止めると、右手を口元に当てた。二、三度、肺にまで響くような咳が零れる。手を離すと、また新たな血が、唾液と混ざり合っているのが見えた。
意識が、どこか遠くの方へと持っていかれそうになる。視界が一瞬、真っ白に染まった。そして気がついたときには、御影は両肩をノゾムに支えられていた。
「悪い。今度は、どのくらい、寝てた?」
「何言ってるの? 少し倒れそうになっただけだよ!」
「…………」
どうやら本当に意識を無くしていたらしい。気絶したときに、実際の時間よりも体感時間の方が圧倒的に長くなるという話を、どこかで聞いたことがあるような気がする。
「ねえ、御影」
「……」
「もう、いいんだよ?」
「何が」
「諦めようよ。もう、無理だよ」
次から次へと、ノゾムのまなじりに滴が生まれ、頬を伝っていく。それが自分のためのものだと理解するのに、しばらくかかった。
「難しい話はよくわからないけど、本当は、悪い人が敵じゃないんでしょ? 本当はノゾムが悪くて、それを守るために、御影は犯罪者になっちゃったんでしょ?」
「……ハッ。ダークヒーローっていうの……知らねえの?」
「茶化さないでよ! ……こんなにも、傷ついて」
「……」
「ノゾムが……ノゾムが、いなくなればよかったんだよ。あの火事で……そのまま……」
「それは、否定できないなあ。お前が来なければ……俺は、今でも……」
状況を確認する。
言うまでもなく、現在御影は満身創痍。いつ死んでもおかしくないような有様だ。ハッキリ言って、レイフと戦った時点で死んでいなかったのは奇跡に近い上に、その後、速度は落としていたとはいえバイクから飛び降りるなどといったヤンチャをしている。
そのうえ、これからしようとしていることも、命がいくつあっても足りないような所業だ。例えるならば、縄をつけないでバンジージャンプをするくらいには無謀。いや、それ以上かもわからない。
彼女を守護するどころか、自身の生還さえも絶望的。わかっていたことだ。そんなことは、ルークから嫌というほど念押しされていた。
さあ。それを踏まえて浮かんでくる疑念を、ここで解決しよう。
今という時間を、生きて、戦い、抗っている。その理由は、一体何か?
考えると、しようじゃないか。
※ ※ ※ ※ ※
――およそ十四時間前。御影奏多の住む邸宅にて。
「共通語を理解できないのか、クソアマ」
「待って、一つだけ聞きたいことが……」
その言葉を最後まで聞かずに、御影は容赦なく書斎のドアを閉めた。扉越しに何やら抗議している声が聞こえてきたがそれも無視して、御影は部屋のすぐわきの壁に体重を預けた。
廊下にも窓はあるが、北側のため日の光が差し込むことはなかった。照明もつけないまま、薄暗く、細長い空間に無言で立ち尽くした。窓から吹き込む風が、髪を柔らかく揺らしていた。
腕時計の呼び出し音が、やかましかった。応じるつもりならば、もうそこまで時間は残されていないことは明らかだった。
そして、御影奏多は考えた。
明らかに何らかの事情がある少女だった。誰かの助けが必要なことは、考えるまでもなかった。では、ここで自分は、彼女を助けるべきなのか。
『ないな。理由がない。だいたい、不幸な人間なんていくらでもいるんだ。自分から助けにいく理由が、どこにある?』
扉の向こうにいる少女に聞こえないように、心の中でつぶやきながら。御影奏多は刹那の思考を巡らせ続けた。
問いかけは、そのままの形で現在へ。
そして、御影奏多は考える。
案の定、面倒な事情を抱えた少女だった。自分の助けが必要なことは、疑いようがないだろう。なら、ここで自分は、彼女を助けるべきなのか。
「当然だ。理由がある。世界で唯一、何もかもから見捨てられた人間だ。恵まれた俺が助けないわけには、いかないさ」
何の話かと目を見張るノゾムを無視して、何かにつかれたかのように。御影奏多は鈍重な意識を動かし続ける。
では、自分は彼女に同情を覚えているのか。これは、どうだろう。
『ないな。だいたい、見ず知らずの人間に同情されるなんざ、迷惑だろう。俺がアイツの何を知っている? 何も知らないじゃねえか』
「当然だ。おこがましくも、俺はコイツに、同情しちまっているんだよ。俺はコイツの全てを知らない。だが、知っていることもある」
そして彼は、次の疑問へと移っていく。
御影奏多という人間が、彼女を助けることは、間違いか?
『間違いに決まっている。たとえ、助けることが正しい行いだとしても、その資格を俺は持ち合わせていないだろう。つうか何様だよ』
「正しいに決まっている。たとえ、助けることが間違っているとしても、その責任を俺は感じちまっているんだよ。我ながら呆れるぜ」
御影奏多は、考えた。
御影奏多は、考える。
最後の疑問だ。
与えられたすべての条件を飲み込んだうえで導き出される、唯一無二の結論。論理的に矛盾がなく、誰よりも自分を納得させることのできる解答は、一体何か。
『「――安心しろ』」
過去の彼は、ある種の決意と共に、唇を引き結び。
現在の彼は、ある種の諦念と共に、口元を緩めて。
過去の御影奏多は、自分の髪をかき回し。現在の御影奏多は、彼女の髪を撫でつけて。
その結論を、心の中で。
その結論を、声に出し。
言葉として、紡ぎ出した。
『「必ずお前を、解放する』」
かくして彼は、矛盾に満ち満ちた己を常に嘲笑しながら、変わることなくあり続ける。何もかもを棚上げにして、その場しのぎの最適解を導き出す。
周りが与えてくる絶望も、彼女が見せた悲嘆も、彼を止めることは叶わない。彼の行動には、最初から理由などなかったのだから。
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