第三章 暗転 2-5
2-5
ホログラムのアカウントナンバーの下に表示されていた『治安維持隊大佐』という称号は、今では『UNKOWN』の表記へと変わっていた。どのような手段かは知らないが、この男は身分を偽ることが可能ならしい。ご丁寧に服装まで治安維持隊の物に変えられてしまえば、まあ御影でなくとも大半の人間が騙されることだろう。というか、そう願いたい。
そして言うまでもなく、ルークが治安維持隊の人間でないことは確定だ。でなければ、御影を操って治安維持隊と正面衝突させることのメリットが存在しない。
「アウタージェイルの残党か? でなければ、新興のテスタメントか?」
『なるほど。反社会組織に目を付けたか。着眼点は悪くないが、残念ながらどちらも違う』
「……何?」
テロ組織ではない? だが、こんなことをしそうな組織に他に心当たりは……。
いや、一つある。
昔から治安維持隊とは犬猿の仲にある、本来政治を取り仕切るべき組織。軍部に権力を奪われつつある状況に、忸怩たるものを感じているであろう、この世界唯一の立法機関。
『では、改めて自己紹介をするとしよう。私は、政府中枢、公理評議会所属の者だ。きさくに、ルークと呼んでくれて構わないよ』
「お前……官僚だったのか?」
『まあ少なくとも、選挙で選ばれた評議員でないことは確かだ。彼らは皆、軍から賄賂を受け取っているからね。進んでこんなことはしないだろう』
さらっと問題発言が飛び出たように思えたが、自分の身の安全の方が問題なので、聞かなかったことにする。しかし、第三次世界大戦後になってもまだいるのか、汚職政治家ってやつは。
「政治関係のごたごたに巻き込まれたと、そういうわけか」
だいぶ見えてきたような、そんな気がする。
だが、ようやく頭が状況に追いつきつつあると思ったその矢先に、一番の問題児であるところのノゾムが御影の腕を掴んで割り込んできた。
「ねえ、ミカゲン。誰と話してるの? 幽霊?」
「ミカゲンって呼ぶな、御影でいい! ああ畜生! まーた頭がこんがらがってきた! おい、ルーク! お前の正体はそれでいいとして、こいつは一体何なんだ! 本当に人間か?」
「むう! 人のことを化け物扱いするなんて失礼だよ、ミカゲン! というか、ノゾムお腹殴られたんだよ? 意外と大丈夫だったけど、少しは心配してよ!」
「お前はちょっと黙ってろ! 鬱陶しい!」
少し離れた場所で体育座りをしていじけだしたノゾムは放っておくことにして、御影は再びホログラムウィンドウへと向き直った。
「さあ、説明してもらおうか! 中央エリアに入っただけで非常事態宣言を出すほどに、治安維持隊が危険視するあの女は何なんだ! 説明しろ!」
「うわお! もしかしなくても、ノゾムって人気者?」
「だからお前は黙ってろやあ!」
『……盛り上がっているところ申し訳ないけど、その疑問に答えている暇はない。状況はこちらも把握している。レイフ・クリケットと接触したんだろう? あと数分もしないうちに、治安維持隊の増援がそこに到着する可能性が高い』
「いや、移動しろと簡単に言うが……」
そう言われてやっと思い出したが、御影は一応重傷を負っている。その証拠に、左手の方は全く動かすことができない。脳にアドレナリンが止め止めなく放出されているからかは知らないが、何とか立ち上がれているものの、いつ失血多量で意識を失うかわからない。
「何か足がないと動けないぞ。だいたい、騙されていたと分かった以上、治安維持隊に投降するという選択肢も……」
『その子を見捨てて?』
「……」
『もう、指名手配犯級の犯罪行為に手を染めているのに?』
「…………」
いろいろな意味で、完敗だった。
虚ろな目をして諦めのため息を吐く男子高校生の心情を知ってか知らずか、ルークはこの状況を心の底から楽しんでいるかのような、完璧な笑みを浮かべていやがった。
「大丈夫だ。今、ボクシをそちらに向かわせている。確かに、我々は四面楚歌の状態だが、味方がいないこともない」
「ボクシ? 誰だそれ?」
『傭兵だよ。一定量の金額を支払えば何でもこなす、人間を極めた人間だ。君ももうすでに会っている』
「人間を極めた人間? いや、それよりも……もうすでに、会っているだって?」
御影が疑問の声を上げた、その時だった。
狭い通りに、猛々しいバイクのエンジン音が響き渡る。すわ新手かと身構えた御影は、そのバイクが自分のものであることに気がついて、大きく目を見開いた。
黒のレーザースーツに銀の長髪という奇抜な格好をした、モデルもかくやというほどにグラマラスな女性が、御影のバイクにまたがりこちらへと向かってくる。あんぐりと口を開けた御影の横にバイクを停めると、彼女はゴーグルを上にずらして、ウインクをかましてきた。
「やあ二人とも。お疲れのところ悪いけど、時間が無い。ちゃっちゃと移動しようじゃないか!」
「いや……あの、うええ!?」
戸惑う御影を米俵か何かのように軽々と担いで、ノゾムを入れていたサイドカーに御影を放り込むと、その女は人差し指をちょいちょいと動かしてノゾムを呼び寄せた。
「さあ、お嬢さんは私の後ろに座って。しっかり僕の体を掴むんだよ」
「わーお! なんかお姉さんカッコいいねえ!」
「ハハッ! そんなに私を褒めるなよ。照れるじゃないか」
……何だ、この天然馬鹿は。
十七年という人生において、こんな短い会話のうちに一人称が二回も変わるとんでも美人と出会った記憶はない。というか、出会いたくもない。
わけがわからない状態のまま、ゴーグルをつけなおしたボクシの運転で、バイクが急発進する。あまりの勢いに側頭部をサイドカーの淵に打ち付けてしまい、目の裏側にちらちらと眩い星が飛び散ったような気がした。この場所に頭を打ち付けておきながらけろりとしていたノゾムの気が知れない。
「ええと……アンタ、ボクシだよな? 監視カメラの目とか、気を付けねえと……」
「あっという間に、居場所を突き止められる、だろ? わかるよ。君が何を考えているのかは、このボクシ、完璧に理解しているとも。僕は君であり、君は私だからね」
「…………ああ、そうですか」
何を言っているのか、さっぱり理解できない。
今思いついたが、『ボクシ』って、もしかしなくても『僕私』と書くのか。……泣きたくなるほどどうでもいいが。
この女が誰なのかをルークに聞こうとしたところで、通信がいつの間にやら切断されていたことに気がつく。御影は思わず舌打ちをしつつ、しぶしぶ彼女の方へと顔を向けた。
「で、どちら様? ルークの馬鹿が、すでに面識があるとか言ってたんだが」
「そんな冷たい反応するなヨウ! 傷つくぜ、御影さん!」
今度はゴーグル越しにウインクをして、ボクシが叫び返してきた。
まるで、男のそれのようなだみ声で。
というか、この声の感じ、ものすごく聞き覚えがある。
より具体的に言うと、あの世紀末ライダーにそっくりなような、そんな気がする。
……おい。ちょっと待て。まさか……その、まさかなのか?
「お前、あのチキンヘッドかあ!?」
「ハハッ! 変装は私の得意分野の一つでねえ」
「嘘だあ! 腕の太さとか、骨格とか、全然違ったぞ! モヒカンは? その長い銀髪は地毛だよなあ? というか胸! その豊満すぎる胸をどこにしまってたんだ貴様ァ!」
ここに来てまだ衝撃の事実があったとは。事実は小説より奇なりとは、本当によく言ったものだと思う。
「気になるのはわかるけど、本当に問題なのはそこじゃないぞ、男の子。騙されていたにしても、いつから騙されていたのかが気になっていただろう? 答えは『最初から』だ。君は初手から躓いていたんだよ。他に何か質問は?」
「……どうりで、ベタすぎる展開だったわけだ」
「王道もなかなか馬鹿にできないものだろう。ちなみに他の非行少年は皆、僕が巻き込んだ本物だから安心するんだ。君のハートマン軍曹張りの演説は、確かに意味があったぞ」
「そいつは良かった。せめてもの心の慰みになる」
もちろんそれは嘘だったが、これくらい虚勢を張らなければやってられない。完膚なきまでに騙され続けていたという事実に顔から火が出そうな思いだったが、恥をかいたことはあとからいくらでも後悔できる。まずは、生き残ることが先決だった。
「これからどこに向かうんだ! 俺はしばらく、動けそうにないぞ!」
「私の拠点の一つに連れて行こう。ひとまず僕たちはそこに籠る予定だ。なあに、全て私に任せてくれればいい。君たちの身の安全は、この僕が保証するとも」
「そいつはご丁寧にどうも! あとその喋り方気持ち悪いからやめろ!」
三人を乗せたバイクは、治安維持隊に接触することもなく、不思議なほど軽やかにトウキョウ中央エリアの道を走っていく。
嵐の前の静けさだな、と思った瞬間、全身にとてつもない疲労がのしかかってきて、御影の意識は瞬く間もなく暗闇の中へと引きずりこまれていった。
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