第二章 レール上をひた走り 6-1



6-1



 環状高速道路西口。


『なあ、ジミー』


 まさかの人物との会話の後に、しばし我を忘れていた彼は、再び通信を繋いでいたティモ・ルーベンスの言葉で我に返った。


「うん、何? 僕は今、ちょっと考え事をしているのだけれども」


『通信中に相手を放って物思いにふけるな。で、今回の犯人だが、どうもやることが大胆すぎないか? 自分に過剰な自信を持っているというか、国家権力を見下しているというか』


 ルーベンスの指摘に、ジミーは口元に運んでいた手を止めて思考した。

 一連の出来事を見ると、そう判断できなくもない。検問を単身突破し、バリケードを正面から破壊する。普通の人間ならば、たとえ力があったとしても心理的にできないことだ。


『そういう馬鹿が相手だと、こちらとしては本当にやりづらいよな。馬鹿の考えていることは理解できない。だからこそ……何をしでかすか、わかったもんじゃねえ』



  ※  ※  ※  ※  ※



 サイドカーがエボニーの横を通り過ぎる。白と茶の物体が零れ落ちるのが、一瞬だけ見えた。


 何が起こったのか、わからなかった。


 何が起きたのかが分かった後も、感情がその現実を拒絶していた。


 何が起きたのかがわかって、それを飲み込んでしまった瞬間、脳内が灼熱に塗りつぶされた。


「…………殺してやる」


 自分の物とは思えない、修正不能なまでにかすれ切った声が吐き出された。


 悲鳴とも叫び声ともとれる、ガラスをこすったような耳障りな音が、鼓膜を内側から引き裂いていく。熱い液体が両目からあふれて、視界を濁らせた。


 荒ぶる意識とは対照的に、わずかばかり残された理性が殺意で冷徹に凍り付いていく。エボニーはライターをあらんかぎりの力で握りしめ、前方へと突き出した。


 そして、彼女は。


 まだ走行中のバイクの上に、御影奏多が直立しているという、冗談のような光景を目撃した。


 だが、そんなことでは、エボニーの心は動かされなかった。


 彼女の心の琴線を鋭利な刃物の如く切り裂いたのは、傍らに浮かぶホログラムの映像だった。


 フルフェイスメットの影となって、彼の表情はほとんど見えなかった。だが、奇跡的に覗いていた両目に、彼女の視線は釘付けとなった。


 その双眸に秘められた物を、何と呼べばよかったのか。


 こちらに対する憐憫か。自らの行為への痛恨か。どちらでもあるような気がしたし、どちらでもないような気がした。


 その瞳が、あまりにも虚ろだったから。ひたすらに虚無で、どこまでも茫漠とした。およそ、生きている者のそれとは思えないほどに、生気を見出すことができない眼差しだったから。


 彼の呟きをマイクが拾い、画面越しに彼女の元へと届けられた。


 届けられたときにはすでに、彼女の超能力は発動されていた。


 縄に似た火の帯が、御影の乗るバイクへと走り、そして。


 彼が上に立つ赤い色をした大型自動二輪車が、凄まじい轟音と共に、爆発、炎上した。



  ※  ※  ※  ※  ※



 環状高速道路上での爆発は、かなり離れた場所にまで爆音が届くほど大規模な物だった。

 現場周辺にいた一般人は、ある者はただただ呆気にとられ立ちつくし、またある者は己の信仰する神の名を口にし、またある者はウィンドウを出現させ、現場の撮影、録画を試みた。


 その事件は、ただでさえ混乱の最中にあった中央エリアを、恐怖の渦へと叩き込んだ。現実世界の市民はただただ狼狽し、ネットの住人たちは様々な憶測や、根拠の無いガセネタを、喜々として垂れ流していった。


 そして、某ビルの一室にて。


「アハハハハハハハ! こいつは面白い! やってくれたな!」


 ヴィクトリアは、ホログラムウィンドウに表示された情報を見て、目じりに涙さえ浮かべながら腹を抱えて笑っていた。


 その傍らに立つアッディーンは、あくまで冷静沈着な態度を保ち、カラカラと笑い声を上げるヴィクトリアに静かな口調で問いかけた。


「つまりは……こちらが出し抜かれたと。そういうことか?」


「その通りだ、ザン。この勝負、ひとまずは向こうの勝ちだよ」


 敗北宣言をしているわりには、妙に嬉しそうな顔をしながら、ヴィクトリアはまた両足をテーブルの上にのせた。窓の向こうでは、林立するビル群が夕日の色に染まりつつあった。


「ルークが動かせる手駒は少ない。公に組織を動かせば、それが後に致命的な破滅をもたらすことを、奴は知っている。ゆえに、完全に部外者の人間に依頼して、ターゲットの保護をさせることしかできなかった。その前提は、確かに間違っていない」


 戦力差は圧倒的で、ルーク側の勝ち目は皆無に等しい。彼に味方するメリットなど普通は存在せず、己の力に驕った超能力者を誑かすのが限界だという、先入観があった。


「私も馬鹿だった。いや、奴らの馬鹿さ加減が、私の予想を上回ったというべきか」


 これはある意味で、驕っていたのは自分たちのほうだったということだろう。圧倒的な戦力を有していることで、根拠のない思い込みをしてしまったのだから。


「……世界を敵に回せる大馬鹿が、まさか一人だけではなかったとはな」



  ※  ※  ※  ※  ※



 環状高速道路、爆発地点。

 ジミーは現場に到着すると、道路の隅にバイクを適当に止め、ヘルメットを頭からむしり取った。一陣の風が、汗で湿った頬を撫でていく。彼はヘルメットを座席の上に置いて、ポケットに両手を突っ込むと、治安維持隊の人間がたむろしている現場へと歩いて行った。


 先ほどから、風の勢いが強い。ルーベンスの話によると、爆発の直後には、台風もかくやという強風が検問付近でも吹き荒れていたのだという。御影奏多の超能力の余波が、未だに残っているということだろう。


「本当に、酷い子だ。きっと、エボちゃんが怒りのあまりバイクを爆発させてしまうところまで、計算していたんだろうね」


 彼の能力ならば、爆発を逆に利用して高速道路から離脱することも可能だろう。そう。彼一人だけなら、隊から逃げおおせることは、それほど困難なことではなかったのだ。


 御影奏多のしたことは単純だ。ターゲットを連れていては、中央エリアに侵入することは困難。ゆえに、まずは自分が先に突入して、囮になったというだけの話だった。


 検問を真正面から突破することによって、自身に注目を引き付ける。そうすることで、その一帯の検問の監視を緩和させ、中央エリアへ入ることを容易にする。あとは、協力者を用意さえすれば、少女を安全に中央エリアへと運ぶことができるようになる。


 おそらくは、御影奏多は敵陣営における最強のカードだったのだろう。その彼がターゲットから離れるという選択をすることを、上層部は見抜けなかった。否、彼に味方する人間がまだいたということを、予測できなかったというわけだ。


「おそらく上の皆さんは、ターゲットを連れている人間が最初は一人しかいなかったことを、事前に知っていたんだろうなあ。でなければ、こんなことにはならなかったし」


 つまりは、検問ができるまでの数時間のうちに、彼は協力者を見つけ出したということになる。こればかりは、運が彼に味方したというべきかもしれない。


「だけど、一体どこの誰が、あの子に協力したんだろうねえ。友達少ないはずだけど」


 御影本人が聞いたら若干落ち込みそうなことをさらりと言いながら、彼はため息を吐いて、その友人の一人である彼女がいる場所へと足を向けた。


 エボニー・アレインは、道路の端に傍に座り込んで、膝の間に顔を埋めていた。そのすぐ隣では、ティモ・ルーベンスが高速道路の塀に寄りかかって、今なお炎上しているバイクをじっと見つめていた。



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