第二章 レール上をひた走り 2-3
2-3
トウキョウ特別能力育成第一高等学校、学生警備室。
エボニー・アレインがドアを開けて中に入ると、パイプ椅子に座った地味な隊長様がこちらに手を振ってきた。
「やっほー。ついさっき招集のメール出したばかりなのに、随分と早いお着きだね?」
「メール?」
荷物を机の上に置き、パイプ椅子を引きつつ、エボニーは首を傾げた。
「そのようなものを受け取った覚えはありませんが」
「だろうね。だって出したのついさっきどころか、今だし」
直後にペンダントが振動するのを感じて、エボニーはジミーを睨みつけると、パイプ椅子に乱暴に腰かけた。その衝撃で、椅子が抗議するかのようにうめき声を上げるのが聞こえた。
「学生警備を招集するんですか? 例の事件と何か関わりが?」
「ああ、あれね。あれもすごいよねえ。前代未聞どころの騒ぎじゃないよお。アカウントナンバーのデータがいじられるとか、本来あってはならないことだからねえ」
アカウントナンバーデータベースクラッキング事件。
人類の一人一人に、その者がエイジイメイジアに所属する人間であることを証明するために割り当てられる数列。コンピューター上で個人情報を扱う際にはこのアカウントナンバーが使われ、ナンバーを消失することは戸籍を失うことに等しい。
さらに、治安維持隊にとってはもう一つ、ナンバーは重要な意味合いを持っている。
犯罪者、及び容疑者の位置情報特定。
エボニーも詳しい理屈は知らないが、例によって例のごとく、一般能力の個々の性質を観測するとかなんとかで、治安維持隊は個人の居場所を即座に特定することが可能だ。アカウントナンバーを管理する公理評議会にナンバーの開示を請求し、手に入れた数列を専用の機械に打ち込むことで、ほとんど誤差なく目当ての人物がどこにいるのかを突き止めることができる。
そのアカウントナンバーが『入れ替えられた』というのが、今回の事件だ。
例えばある人間のナンバーでその人についての情報を調べようとしても、そのナンバーそれ自体が別人のものにすり替えられているため、まったく違った情報が出てきてしまう。全国民のというわけではないようだが、かなり多くのナンバーがごちゃまぜにされてしまったらしい。愉快犯の仕業だということだが、本当に余計なことをしてくれたものだ。
個人情報保護についてはもちろんのこと。前述の理由から、防犯上の不安の声も噴出している。どうやら自分のアカウントナンバーは無事のようだが、ソニアの話からすると、御影のナンバーは被害を受けてしまったらしい。メールやテレビ電話といった通信にもそのまま使われているため、連絡が取れなくなってしまったのだろう。
「でもね、エボちゃん。僕がみんなを呼び出したのはまた別件だ。どうも厄介な仕事が舞い込んできてね」
「緊急の任務ですか? 一体何があったのですか?」
クラッキング事件のことについてジミーに聞きに来たのだが、どうもそれ以上のことが進行しているらしい。あの事件を差し置いて厄介だというのはよっぽどだろう。
普段は皆を導くどころか、完全に役立たずなジミーではあるが、ことこういうことに関して言えば、(まあそれなりに)しっかりしていることを彼女は知っていた。
「それはみんなが来てから話すことにしようよ。そんなことより、僕は君についての話がしたいなあ。その方が楽しいし?」
……括弧を取り払ってやろうか、この無能。
目の前の適当すぎる上司をぶん殴ってやりたいという衝動と、そんなことをしたら出世の道が消えるという打算との間でもだえ苦しむエボニーに、ジミーはさらりと告げた。
「昨日、御影奏多君と話していただろう?」
エボニーはじろりとジミーのことを睨みつけると、吐き捨てるように言った。
「盗み聞きとは、随分な趣味をおもちですね、隊長」
「別に盗み聞いたわけじゃないよ。僕はあの場から一歩も動いてない。ただ、君がああいう感じで会話する相手は、一人しかいないことを知っているだけさ」
ジミーはそう、わかったようなことを言って、胸ポケットから煙草の箱を取り出し、一本口にくわえた。エボニーの目がさらに尖るのを無視して、彼はライターで煙草の先に火をつけると、至福の表情を浮かべて宙に紫煙を吐き散らした。
「隊長に、私の何がわかるというのですか?」
「わからないね。わかるわけがない。人が何を考えているかなんて、その人自身にもわかっていないからね。だから、二つの意味で考えるだけ無駄なのさ。だけどね、エボちゃん。人と人との関係性っていうのは、案外わかっちゃうもんなんだよ? なにせ、お互いがお互いのことを理解し合ってないからね。必然、その関係性はパターン化される」
家族、友達、知人、赤の他人。正の感情と負の感情。その、足し算引き算に打ち消し合い。人の触れ合いとは、単純な思考のぶつかり合いだということか。
「エボちゃん。君と彼との関係は、歪なものだ」
「歪? どういうことですか?」
「そのまんまの意味だよ。どう見たって破綻しているのに、なぜか君たちの繋がりが消えることはない。君は御影奏多と教員側との間に立って、彼が学校から見捨てられることを阻止しようとしているのに、彼はそれに対して何の反応も示さない」
確かに、エボニーはしばしば彼のフォローをしてしまっていた。何というか、放っておけなくて、御影と他の生徒が言い争いをしているところに割って入ったこともあったし、御影のことを悪くいう教員に、彼は必要最低限のことはしていると指摘することもあった。
それは、学生警備の使命のようなものだと彼女は思っていて。だけど、結局はそれも言い訳で。心の奥底で、彼をまだ昔と同じ距離で見ようとしているのだということを自覚していた。
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