28 家宅捜索

 ふと時計を見ると六時十分前だった。雨が窓を打つ音だけが響くオフィスで、島田はじっと待った。

 だが、始業時間になってもさくらが現れない。不安になって姉のデスクの傍に寄る。

「今日、片桐さんは?」

「ああ、今日はお休みもらうって連絡もらってるわよ」

「休み? でも──」

 朝、やめないって言いに来たくらいなのに。不審に思っていると、姉は言った。

「体調不良だって」

 自身に置き換えれば、原因はいくらでも思いたる。

(あの雨の中、残して帰ってしまった……)

 一気に落ち着かない気分になる島田を、姉は鋭く睨みつける。

「いろいろと、疲れが出たのかもねぇ」

 欠勤報告のついでになにか聞いているのかもしれないと、島田はぎくりとするが、動揺を押し隠してデスクに戻る。



 だが、翌日もさくらは体調不良で欠勤した。

 胸騒ぎが体を蝕むのを感じながらも、島田はいつも通り仕事を終える。オフィスの鍵を閉めて外に出ると、触れたとたん凍るような雨。階段を下り、大きくため息をついたところで、黒い人影を見つけて目を見開いた。

「――さくらはどこね」

 雨音に混じって地を這うような声がエントランスに響き渡った。さくらの母親が仁王のような顔で立っていたのだ。

「ええと、昨日から来ていませんが」

「あんたやろ? あんたの家におるんやろ?」

「は?」

 何の事か分からず目を白黒させると、さくらの母は泣きそうな顔で島田に詰め寄り、驚くべき事を訴えた。

「あの子、日曜からアパートに帰って来てないんよ。電話も繋がらんし。――あんたが隠しとるんやろ? さくらをどこにやったんね!?」

 混乱した様子のさくらの母の説明によると、さくらは家に帰らないだけでなく、電話番号を変えたらしい。試しに島田が電話をかけてみたが、本当に繋がらなかった。

 母親は昼間のパートタイムの仕事が終わってから、アパートに様子を見にいったそうだ。ところが、さくらが帰って来なかった。日曜日なのに。電話で話したら「放っておいて」と突き放された。そして昨日から電話が繋がらなくなった。捜索願を出そうとしたところを父親に諭されて、まずは会社まで出向いて来たというわけらしい。

「藤沢さんとか、広瀬さんとかのお家にお邪魔してるとか。――電話かけてみましょうか?」

 田中に聞けば連絡先は分かるだろうと、田中の番号を呼び出そうとしたところで、案はあっけなく却下された。

「もう電話をかけたけど、おらんって。逆に驚かれたんよ」

 さくらの母は手がかりなしと判断したのか、踵を返すと階段を駆け下りていく。

 真面目なさくらにしては、らしくない行動だと思った。

 何かあったんじゃないか。

 急激に湧き上がる焦燥感に急き立てられて、島田も後を追うようにして外に飛び出す。氷のような雨に触れたとたん視界が霞むが、構わずに雨の中を駆け出した。

 だが、どこに行けば良いのだろう。島田は立ちすくみ、とたん、急激なめまいにぐらり、と膝が折れた。

「さくら――さくら」

 背に、膝に、雨が染みこんでいく。じわじわと体温が奪われるのがわかる。そのまま、地面に沈み込んでいきそうになったときだった。

「あんた、馬鹿ね。傘もささんと、なんしようとね」

 頭上から雨音に混じった意外な声が降り、ぎょっとしながら頭を上げる。

「お母さん――どうして」

 先ほど別れたばかりの──天敵であるさくらの母が、島田を見下ろして呆れた顔をしていた。



「運転手さん、イデアール赤坂一号館までお願いね」

 さくらの母はふらつく島田を強引にタクシーに乗せた。そして住所を聞きだすと、行き先を告げる。家まで距離は一キロに満たないものの、この体調で雨の中を徒歩で帰れば、間違いなく途中でぶっ倒れていたと思う。心底感謝して、彼女の事を『実はいい人かも』と思った瞬間、彼女はなぜか自分もタクシーに乗り込んだ。

「あの。一人で帰れますけど」

 嫌な予感が悪寒になる。島田が同乗を断ると、

「なん言いよるとね。さくらがおらんか、家の中を確認させてもらうよ」

 と驚くべきことを言った。

(え、つまり、俺を尾行けてるわけ?)

 振られたのを目の前で見ているはずだ。居るわけが無いと知っているはずなのに。不思議で、渇いた笑いを漏らす。だが、それはすぐに咳に代わった。

 咳の止まらない島田を見て、さくらの母は一瞬眉をしかめたあと、コンビニの前で一度タクシーを止める。そしてなにやら買い物を済ませて来た。

 島田の意思に関係なく、そのまま自宅までタクシーは進む。強引に乗せられたタクシーの代金は島田持ちだったが、結果、随分助けられた。あとは階段を上れば、暖かな布団で眠れる。

「送って頂いてありがとうございました。大変助かりました」

 マンションのエントランスで、島田は礼を言う。つまり、ここまでで結構ですという拒絶を込める。だが、彼女に回りくどい表現は通じなかった。

「上まで送って行くけんね」

「…………」

 既に反抗する力など無い。島田は家宅捜索を覚悟し、さくらの母を引き連れたまま、よろよろとマンションの階段を上った。



 家に帰ると、島田は半ば倒れるようにしてベッドに潜り込んだ。客人がいると考えれば失礼かもしれないが、さくらの母を客扱いするのはとうに止めていた。

(あれだ。ほら、経験ないけど、マルサが入ったとでも思おう。どうせ何も出てこないんだから)

 さくらの母はそんな島田の態度を気にする事も無く勝手に上がり込み、さくらを探し始めた。

 かと思ったらガタガタと浴室の方で何か物音が聞こえ、不審に思った直後、バサバサと布が頭上に落ちて来た。

「着替えとき。濡れとって冷えるし、それ皺になるやろ」

 布の塊の正体は脱衣所辺りに放置していたスウェットだった。スーツ姿で寝ていたのを気にしたらしい。

「…………」

 複雑な心境で島田はスーツを脱ぐと持って来てもらったスウェットに着替える。ついでに眼鏡を外す。

(何やってんだろ、俺)

 客人――いや、客人と見なさなくはなったものの――ほとんど初対面に近い人間の前で着替えて寝ている自分を客観的に見るとおかしい。

 だが熱も手伝ってどうでも良くなっていたし、この人物の前で常識を語るのも馬鹿らしい。

 さらにさくらの母はキッチンでなにか作業をしはじめる。電子レンジが唸りはじめ、島田は、今度は何だと布団の中で眉をしかめた。

「立派な家なのに、ろくなもんがないね。砂糖もないやないね」

 ブツブツ文句を言うのが聞こえて来るが、相手をするのも億劫で島田は布団を頭まで被って無視を決め込んだ。

 だが、電子レンジのピーという終了音のあと、布団がめくられて島田はぎょっとする。

「飲んどき。寒気が治まるけんね」

 差し出されたのは湯のみに入った卵酒だった。クリーム色の液体から白い湯気が立ち上り、島田の鼻を温めた。

 だが、家には卵も、日本酒もないはずだった。島田の頭に先程のコンビニへの寄り道が過る。

「…………あの」

 まさか、この人は看病してくれているのだろうか。そう思ったが、次の瞬間島田は全力でそれを否定した。

(いや、むしろこれに毒でも入ってるんじゃ……)

 怖々と器を覗き込み、匂いを嗅ぐが、怪しげな匂いはしなかった。それでも躊躇っていると、

「なんね。大人なんやけん、好かんとか言わんでちゃんと飲まんといかんよ」

 真面目な顔で言い聞かされて、島田はひとまず湯のみに口をつける。毒などそう簡単に手には入らないし、目の前の飲み物は酷く美味しそうだった。

「……なんでもないです」

 いただきます、と島田は卵酒を飲む。砂糖が入っていないため、甘いのが苦手な島田でも飲める――むしろ美味だった。かっと体の芯が温まるのを感じ、島田はついついそれを飲み干す。

 その間にさくらの母は島田の脱いだスーツをハンガーにかけて皺を伸ばしている。

(この人、何してるんだよ)

 わけが分からないまま、島田はじっとそれを眺める。

 彼女はキッチンに戻るとまた作業を始める。まるで自分の家のように振る舞っている。

(あなたは俺の母さんか)

 そうツッコミを入れていると、

「米が無くなっとるよ。買っとき」

 そんな声が上がり、どこから探し出したのかざっざっと米を洗う音がする。これはさくらの捜索ではない。とさすがに島田は悟るが、どうしても腑に落ちなかった。

「お粥つくっとくけんね、起きれるようになったら食べんさい」

「あの」

「なんね?」

「そこまでしてもらわなくても――っていうか、なんでしてくれるんですか」

 島田はさっきからずっと喉につっかかっていた問いをようやく口にする。

「は? 目の前で知り合いに倒れられたら当然やないね」

 さくらの母にとっては、島田の言う事の方があり得なかったらしい。

「……当然、ですかね」

 どうやらこの人は昔の日本からやってきたような独特な価値観を持っているようだ。現代では失われかけている近所付き合いみたいなものが普通だと思っているのだ。

 さくらに対しての行き過ぎた干渉もその辺から来ているのだろうか。そんな事を思いながら島田がぼうっと見つめていると、

「女っ気のない部屋やね。彼女とかおらんとね」

 そんなに遊んでいるようにみえるのだろうか。ムッとして島田は言い返す。

「一人好きになったら、その人だけで精一杯ですし」

 彼女など、幻聴を発症してからは作る気にならなかった。そして、心底欲しい女が現れたのに、振られた。部屋に女の気配がするはずがない。

「あんた、お母さんに来てもらえんのね」

「母を呼ぶまでもないです。ただの風邪ですし、いざとなったら近所に姉がいますし、平気です」

「そうね。でもこんな生活しとったら良くなるもんも良くならんよ。電話しとき。で、まともなもん食べさせてもらい」

 さくらの母はなんだか嬉しそうににかっと笑うと荷物を手に取った。

「ここにはおらんかったし、用も済んだ。私はさくらを探しに行くけんね。はよー家に連れて帰らんと」

 島田は慌てた。

「待ってください」

 無理に起き上がると引き止める。さくらの母は振り向かずに靴を履いていたが、後ろ姿に向かって懇願した。

「彼女を連れて帰らないでください。仕事だけは残してやってください」

「なんね、今さら。付き合っとらんのやし、あんたには関係ないやろ。引っ込んどき」

「確かにそうですけど、それとこれは話が別です」

「振られた女のことはさっさと忘れり。その方があんたのためやろ」

「僕は、上司ですから」

 まったく取り合わない彼女だったが、これだけは言っておきたかった。

「さくらちゃんは、絵を描きたいんですよ」

「…………」

 ドアを開けようとしていた手が止まる。

「俺の家は『島田美装』って会社を経営してます。家族皆で大事にしている会社で、長男の俺は幼い頃から跡を継ぐ事が決まってた。そのために色んな事を我慢してきました。行きたい大学にも行けなかったし、行きたい学部にも行けなかった。当然、やりたい仕事にも就けなかった。……っていうより、親の敷いたレールの上を歩くだけならと、やりたい事は探さない事にしてたんです。さくらちゃんにはそんなつまらない生き方をして欲しくない。せっかく才能があるし、生かせる仕事に就けたんだ。辞めて欲しくないんです」

「たかがバイトやろ」

「いずれ、バイトじゃなくなります。俺が、絶対、そうしてみせる」

 おそらく卵酒のせいで酔いが回って、言うつもりのないことまでもを言ってしまっている。なんだか今なら話が通じるのではないかと思ってしまったのだ。

(俺、何を必死に説得してるんだ……)

 そう思ったとたん、羞恥で頭に血が上る。力尽きてその場に座り込むと、さくらの母は不可解そうな表情を浮かべていた。

「……あんた、なんでさくらを諦めたんね?」

「諦めて欲しいんじゃないんですか?」

 一体何なんだ。からかわれているのではないかと思ってムッとする。彼女はにやりと笑う。

「今時、私みたいな親は面倒くさかろ?」

 全力で頷きたかったけれど、さすがに堪える。

「やけど、この程度の壁で諦めるんやったら、所詮その程度のもんなんよ。さくらは腹くくったみたいやけど、あんたも本気を見せんのやったら、いつまでも許すつもりはなかよ」

 まさか試されてるのか。黙りこんだ島田に、さくらの母は勝ち誇ったように笑った。

「私は帰るけん、あんたは暖かくしてちゃんと寝ときね。お粥も食べてお姉さんに電話しとくんよ?」

 一方的に捲し立てると彼女は扉から出て行った。

 キッチンからはぐつぐつと粥の煮える音、そして米の炊ける甘い香りが漂い始めていた。

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