24 約束

 アパートまでは地下鉄で移動した。上原は「こういうのは上に任せておけ」と家に帰らされ、島田と二人きりだった。

 家の近くの駅まで辿り着いたところで、さくらはもう一度断りを入れた。

「やっぱり一人で大丈夫です。ほら、きっと揉めます。下手したら電車なくなりますし」

 だけど、島田は聞き入れなかった。

 コンビニの広い駐車場には見覚えの有る車。そして店内で迷惑にも立ち読みをしている中年の女性を見つけると、さくらは店内に飛び込んだ。


「遅いやないね。寄り道しよったんやろ」

 さくらに気づくなりすぐに詰め寄る母に、さくらは反論した。

「これでも早いよ」

 険悪な雰囲気の親子に、低い声が割り込む。

「――片桐さんのお母さまですか?」

 印象がまるで違うせいでさくらは最初、全くの他人が声をかけたのかと思った。島田の所作がひどく洗練されていた。しかもいつ変えたのか、めったにかけないスペアのノンフレーム眼鏡をかけているせいで、(普段もそうだけれども)さらに誠実そうに見えた。

「あ、あんた――どちら様ですか?」

 彼の隙の無さに、母でさえも釣られてよそ行きの態度になっている。一応冷静さを取り戻した母に、さくらは安堵した。

「初めまして。私、島田と申します。SHIMADAでは副社長を務めています。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

 好感度の高い笑顔で名刺を差し出され、母はおどおどと受け取る。怪訝そうな表情で洒落た名刺を凝視する。『名刺は本人と思え』と教えられたことを思い出すと、裏表じっくり検分している母の態度は失礼に当たる。冷や汗が出る。

 だが島田は涼しい顔だ。

「本日はお嬢さんを長時間預けていただくことになってしまって、重ね重ね申し訳ありませんでした。今日の仕事は片桐さんにしかできないものだったので、無理に引き止めてしまったのです」

「はぁ……さくらにしかできない仕事……」

 母は納得いかない様子だ。

「私は片桐さんの能力を買っています。ご心配はとてもよく分かりますが、遅くなる時は今日のように家までお送りいたしますし、学業に支障が出るようなことは極力ないようにしますので。どうかご理解頂けるよう、お願いいたします」

 島田はそのまま深く腰を折る。流れるような謝罪、そして丁寧な申し出。周囲の客や店員がちらちらと行く末をうかがっているせいか、母はさすがに押し黙る。娘を持ち上げられ、その上、安全の保証も得られた。文句の付けようがないのだろう。

「分かりました。娘をよろしくお願いします」

 母が頷くと、島田は「じゃあ、私は帰りますので」と店外へと出て行った。

 店員と客の目が気になったのか、「じゃあ、お父さんが待っとるけんね、帰るけど……」と母もすごすごと引き下がった。

 だが、コンビニを出たところで一瞬振り返り、ガラス越しにさくらをじっと見つめた。そして、ぐるりと周囲を見回した後、表に停めていた車で逃げるように走り去る。


 コンビニの袋を手に出てきたさくらは、島田を見ると「帰られたんじゃないんですか」と目を見開く。

「あんなところを見せられて、おとなしく帰るわけがないよ」

 さくらの母の車が走り去った後、物陰で待っていたのだ。さくらは何を勘違いしたのか頭を下げる。

「! ほんとに、母がいろいろと失礼をして、すみませんでした……!」

「いや、そうじゃなくって」

 あれだけ島田の心をえぐっておいて。どれだけ自覚がないのだろうと、島田は苦笑いをする。

 電話での会話を聞いた後から、島田は高揚している自分を感じていた。さくらと話をせずにはいられない。そんな気分だったのだ。

 淡々としたリケジョの顔の下に、あれ程の情熱を抱えているとは、思いもしなかった。

(絵を描く仕事がしたかったのか)

 てっきり生物科学関係の仕事を志望しているのかと思っていた。それならば、無理に引き止めることはできないと半ば諦めていたのだけれど。

(それなら――俺が、なんとかできる。してみせるし。それに、)

 熱に圧され、口を開こうとした島田に、さくらは慌てたように言った。

「大変! 島田さん! 終電なくなりますよ!」

 はっと時計を見て、島田は肩を落とした。終電が行っても別にタクシーがあるからいい。だけど、いくらなんでもこんな時間に女性を誘う訳にはいかないし、開いている店もファミレスくらいだろう。

『ファミレスはだめ。大事にされてないって感じで、ほんっとテンション下がるし』

 姉たちの声が蘇り――我ながら小心者だと思うけれど――やはり日を改めて、予定通りの吉日を待つことにする。少しでも勝率を上げたかったのだ。

「とりあえず、家まで送る」

「え、ほんとにすぐそこなんで、大丈夫ですよ。終電の時間もありますし」

「大丈夫。それに、さっきお母さんとも約束したろ」

 コンビニの明かりが遠のくと、急激に静寂が広かった気がした。ふと隣を見るとさくらの横顔から彼女の葛藤がにじみ出ていた。

『こういう場合って、家に上がってもらってお茶くらい出すもんかな……部屋は片付いてたっけ?』

 島田はぎょっとする。

(深夜に、一人暮らしの家に男を入れるつもりかよ)

 警戒心がかけらもないのは、彼女が自分を女子だと思っていないからなのだろうか。それとも……

 悩んでいる間にアパートに辿り着く。さくらは鍵を取り出し、一歩後ろの島田を振り返る。

「あ、あの、コーヒーでも飲んでいきます、か」

 島田は真意を問うべく、さくらをまじまじと見つめた。

『うん、家に上げないって、警戒し過ぎで逆に失礼だし自意識過剰だしね』

 結論づけたさくらは、どうやら島田を男だと思っていないらしい。期待と自尊心を粉々にされた島田は、ため息を堪えるとさくらに尋ねる。

「えーと……もし、ここにいるのが、俺じゃなくて、上原でもそう言った?」

 さくらが『クマに警戒は無用』と駄々漏れになった顔で頷く。島田は肩を落として、遠慮無くため息をつく。

「そういうのは、男を勘違いさせるから、やめた方がいい。危ないよ」

 さくらは「勘違い?」と首を傾げる。その態度がカマトトぶった演技なら蕁麻疹発生は免れないのだろうけれど、『誰も勘違いしませんって』と、どこまでも本音だから手に負えない。

(過保護がすぎるから、娘さん、こんなに隙が多いんじゃないんですかね!)

 さくらの母親にそんな文句をぶつけたい気分になる。

(って、ほんと、この警戒心のなさはヤバイ。もしここにいるのが俺じゃなくてウエハラだったら――)

 急激に島田は焦燥感に駆られた。

「あと、本当は、こうやって家まで付いて来させるのも駄目。鍵を見せるのも。押し入られてしまう」

「はぁ?」さくらは不可解そうに心のなかでつぶやく。

『だから、そんな人いませんって』

(これはもう、一回痛い目見ないと学習しないと思うんだが!)

 苛立った島田は一歩さくらに歩み寄り、これでどうだと扉に手をついた。

 しかし、さくらはぼんやりと島田を見上げる。そして島田の顔をまじまじと観察してきた。

『やっぱり、島田さんってイケメン、かも?』

 眼鏡が壊れた時もそうだったが、さくらは時折島田をそう評する。褒められて嬉しいはずなのだけれど、さくらの感情には色気がない。なんというか、自分に関わることのない人間――例えば芸能人など――にきゃあきゃあ言っているのと変わらないように思えて、島田はげんなりした。完全に切り離された――他人事なのだ。

『イケメンっていうか……なんか、すごく育ちが良さそうなんだよなあ……何でだろ。小さなオフィスの副社長っていうんじゃなくって、もっと、いいとこのぼっちゃんていうか。眼鏡のせいかな』

 続けて観察されて、島田はぎくりとする。

(あ、眼鏡替えてなかったか)

 ノンフレームの眼鏡のままだと思い出す。もう一つの顔のままさくらの前に立っていることに思い当たって焦ったとたん、ふと島田の頭のなかにひらめきが落ちた。

(いっそ、今、打ち明けてみようか?)

 だが、島田は同時に湧き上がる可能性に押しつぶされそうになる。

(もしも。もしもさくらちゃんが俺を見る目が変わってしまったら)

 もしも、玉の輿に目を輝かせる女性だったら。そのとき、島田はきっと絶望してしまう。取り返しがつかない気がしたとたん、久々に腹がきゅうと嘆いた。

(あー、ほんとなんなんだよ、この脆弱メンタル……!)

 島田が己の不甲斐なさを罵倒していると、さくらは急に目を白黒させた。

『あれ、なんか、近くない?』

 ようやく扉に背が付き逃げ場がないことに気が付いたらしい。

『――って、これはもしや壁ドンか! あの壁ドンか!』

 とにわかに慌てるさくらに島田は苦笑いを浮かべた。鈍いにも程がある。

「さくらちゃんさあ、ほんと隙が多すぎる。危なっかしい」

 そうぼやくと、

『あー、なんだ、警告?』

 言葉通りにとったさくらは、心底ホッとした様子になる。あからさますぎる様子に、島田はちょっと傷つく。

「参った。……俺、帰るよ」

「……あ、はい。お疲れさまでした。今日はありがとうございました」

 はにかんだ笑顔で、素直に礼を言われると、半ば本気でやった身としては気まずすぎる。

(ああ、これ以上は自分の首を絞めそうだ)

 踵を返した島田は、忘れ物に気がついてふと立ち止まる。そして大きく深呼吸をすると、首だけ振り返ってさくらをじっと見つめた。

「来週の土曜の夜、空けておいて。話があるんだ」

「土曜日ですか?」

 さくらは首を傾げ、目を瞬かせた。

『もしかして、今日の残業のご褒美とか?』

 島田は彼女の心の声を即、否定する。

「十二月十二日」

 わかりやすい誘いだった。返事次第では即玉砕。だけど一歩は踏み出すともう決めた。島田は内心ハラハラしながら返事を待つ。

「え、あの、でも」

「ひょっとして先越されたかな? もう予定ある?」

「……ないです。ないですけど」

『どうして、その日に、私を誘うんですか。話ってなんですか』

 さくらの眼差しが動揺で波打っている。心が同じ波長で揺れている。そのせいなのか。彼女がリケジョの仮面で必死に隠している〝普通の女の子〟の顔が見え隠れする。それが、島田の背中を押す。

「予定はないけど、都合悪い?」

「……そ、んなことも、ないです」

 いつになく必死になっている自分に笑いが出るが、それでも引くことはできないと思った。

 島田は首を触る。今日も痒みは一度も現われなかった。それどころか、出会ってから彼女に拒絶反応を起こしたことは一度もない。さくらのような女が、自分の前に現れることは二度とないと島田は確信していた。

(だったら、もう引き下がれないだろ。いい加減、しっかりしろよ)

 もう逃げるのは終わりだ。恐怖を乗り越えなければならないと思った。

「じゃあ、約束」

 彼女の心を傾けようと、強引に押し切る。さくらが頷くのを見て、島田は覚悟を決める。

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