19 白衣の集団

 大人しく付いて行った先でさくらは目を見張った。

 パーキングに停めてあるのは、赤の小型車。ミニクーパーだった。車にあまり詳しくないさくらでもその形は印象的なので知っている。

 なぜだか島田周辺の物はさくらの物欲を煽るものばかりだ。

(自転車といい、パソコンといい、スマホといい……)

 例えばここで出て来るのがもっと分かりやすい高級車だったら、さくらは逆に冷めてしまうのかもしれない。合コンで水野を見たときにチャラいと思ったように。多分、こんな風に少しだけこだわりが見えるところにくすぐられてしまうのだ。

「営業車にしては、か、可愛い車っすね」

 思わず口調が上原になるさくらに、島田は遠慮なく吹き出した。

「今日は俺の私物。乗る機会がなかなか無いから、たまには乗ってあげないとと思ってね。さ、どうぞ」

 コンパクトな車のわりに車内はそれほど狭く感じない。内装は上品な革張りでおしゃれだった。煙草の匂いも染み付いていない。ゴミも落ちていなかった。

 ふと運転席に目をやって、さくらは胸が跳ねるのを感じた。島田との距離が、いつもより近い。小さな車に乗っているから当然ではあるけれども、それにしても。

(あぁ、なんで私、こんなに緊張してるわけ……あ、眼鏡が違うせい?)

 今日の島田が妙にイケメンに見えるからかもしれない。

 島田さんは上司。島田さんはただの上司。と念仏のように心のなかで唱えて緊張をほぐす。

「た、高そうですね、こ、この車」

 動揺をごまかすように言うと、島田は苦笑いする。

「まあそれなりに。さすがに一括払いはできなかった。新入社員の時に買って、去年やっとローンが終わったとこ」

「島田さんでもローン組むんですか」

「普通だろ、車のローンくらい。サラリーマンなんだし」

 確かにそうかもしれない。そう思いつつも何か引っかかる。

(あ、そっか、計算が合わない)

 島田は二十六歳だと言っていた。そして前にSHIMADAは最近できたばかりだと聞いた気がする。二十二で卒業。そのまま就職するとして、四年間の空白がある。SHIMADAに入るまで、どこで働いていたのだろう? ふいにさくらの中に疑問が湧いた。

 質問しようかと思ったところで、島田が車を出しながら問いかけた。

「学校に戻っていいんだよね?」

「え、あ、はい。みどりん置いて来ないと」

「そのあと、まだ実験?」

 さくらは夕暮れに染まる街並を見た。

「いえ、今から始めてもしょうがないんで」

「そっか……じゃあ」

 島田は一瞬躊躇ったように言いよどむ。

「置いたらメシ食いに行こうか。しばらく行ってないし。女子大辺りも美味い店多いだろ?」

 突然の誘いにさくらは驚いて首を横に振った。

「送ってもらうだけで十分です!」

「ついでだよ」

「でも、お待たせするかもしれないし」

「さすがに三十分も待たないだろ?」

 島田の押しにも普段のさくらならば遠慮するところだ。だがきっぱり断れないのは空腹が限界を迎えつつあったからである。

(ああ、〝オリーブ〟のパスタ食べたい! 〝ふきや〟のお好み焼きもいい!)

 ぽん、ぽんと駅前の飲食店が頭に浮かび、生唾を飲み込む。さくらはとうとう誘惑に耐えられずに頷いた。

「え、ええ、と、……はい。でもいいんですか? 島田さん、お仕事は?」

「食べてから戻るから大丈夫。それにね、さくらちゃん、昼飯食ってないだろ。腹減って死にそうな顔してる部下は置いて帰れない」

「わ、分かるんですか!?」

(そこまで顔に出てた!? ヤバイよ!)

 思わず頬を両手で押さえるさくらに、島田はやれやれと肩をすくめた。

「どうやったらそこまで悲壮感漂わせられるんだろうって思うくらい」

 島田はそこで、ふと思いついたように車を路地に止めた。ハザードランプを点け、車を降りると、傍にあった自動販売機で缶コーヒーを二本購入して戻って来る。無糖のものとカフェオレだ。

「とりあえず、糖分とると少しはましになるだろうから。あ、熱いから気を付けて」

 島田が車に乗ると同時に差し出したカフェオレは、言われた通り火傷しそうに熱かった。プルタブを開けて、誘われるように口に含むと、舌が痺れるくらいに甘かった。

 体中に染み込む甘味がさくらに活力を与える。思わず頬が緩んだ。

「あー……蘇った気がします」

「そりゃよかった」

 やっと笑ったな……ほっとしたような声が耳に届き、さくらは顔を上げる。にっと笑われるが、今日の眼鏡だと、甘い顔立ちが隠し切れていない。カフェオレのように甘い笑顔にじわじわと頬が染まるのがわかる。

(う、わぁ、こういうの、柄じゃない。暗くて良かった!)

 さくらが再び俯くと島田は小さく息をついてFMのスイッチを入れる。陽気なDJのナビゲーションと同時に洋楽が流れ出す。薄まった甘い雰囲気にほっとしているうちに、車は進み、やがて大学に到着した。



 研究室に戻るとちょうど藤沢と広瀬が寛いでいた。

「さくら、おかえりー」

 スーツの上に白衣を着た広瀬がお茶を飲みつつのんびりと言う。

「あれ、わざわざ戻って来たの? そのまま帰るのかと思ってた」

 今日、広瀬は内定式だったはずだと、さくらは疑問を口にした。

「午前中で終わったもん。午後丸ごと休むの勿体ない。やることあるからさー」

 それもそうか。追い込みなのは皆同じだとさくらは思い出す。

「さくらも大変だったね。ミドリン入手できたの?」

 藤沢が労りの言葉をかける。どうやら桑原教授に話は聞いているらしい。

「うん。無事ゲットして来た」

 ごそごそと発泡スチロールの箱を開けると、そのまま培養用の冷蔵庫の隅に入れた。保存容器の中の氷を流しに捨て、時計を見る。18時30分。車を出て10分経過だ。ノロノロしているつもりは無いのに結構経っている。

「じゃ、じゃあ、私、帰るね。お先ー」

 逃げるように鞄を手に取ると、藤沢が意外そうな声をあげた。

「あれ? もう帰るの?」

「えっと、うん。お腹空いたし」

 深い追求を避け、曖昧に答えると、広瀬が顔を輝かせた。

「あー、ちょうど良かった! 今、藤沢と帰りに〝ふきや〟に寄ろうかって言ってたんだけど、じゃあ、さくらも一緒に行かない?」

「う、いや、えっと、今日は、ちょっと用があって」

 ぎくりと飛び上がると、てっきり是の返事をもらえると思っていたらしい広瀬は不思議そうにした。

「あれ? もしかしてバイト? こんな時間から? いつも6時からじゃなかったっけ」

「いや、バイトじゃなくって、ちょっと別件で野暮用が」

 動揺するさくらに藤沢が怪訝そうな目を向ける。

「なーんか、さくららしくないなあ……。野暮用って何? 友の誘いより優先順位の高いことがさくらにあるわけが無いよね」

 酷い言い様だが、否定できない。まず〝ふきや〟の誘いに飛びつかない自分というのが怪しいというのは十分分かる。〝ふきや〟のお好み焼きはボリュームがすごく、女子三人ならば、下手したら一人四〇〇円ほどで満腹感を味わえるのだ。使い放題の自家製マヨネーズがさくらの大のお気に入りだ。こじんまりとした店で一人では入り辛いが、昔は皆でよく食べに行っていた。

「……ええと、」

 美味しい思い出に喉を鳴らしながらもそわそわと時計を見る。すでに12分経過だ。女子大は小さな大学だし、当たり前のことだが基本的に男がいないので、男が門前で待つというのはとても目立つのだ。その上洒落た赤い車は目を引くだろう。ひょっとしたらもう学科の友人の目にも止まっているかもしれない。あれは誰だと注目されている可能性はあった。

(うわあ、ヤバイ)

 想像して一刻も早く逃げ出したくなったが、藤沢がいつの間にかさくらの服の裾を掴んでいる。ごまかし笑いを浮かべると、逆ににたりと不敵な笑みを返された。これは黙って去るのは不可能だ。

「えー、えーと、……実は、島田さんと先約があって、で、門の前で待ってもらってるから、もう行かないと」

 観念したさくらが漏らすと、「うそぉ! 何それ! 見せて!」と黄色い声が上がった。かと思うと、二人はさくらよりも先に研究室を飛び出した。

「おい、ちょっと待て!」

 獲物を見つけたチーターのような二人の様子にさくらは慌てる。

 これは間違いなく冷やかしにいくつもりだ。

(うわあああ、言うんじゃなかった!)

 階段を転がるように駆け下りるが、野次馬二人にはなかなか追いつけない。

「ちょっと、あんたら大騒ぎしてどーしたん?」

 途中すれ違う学友たちが声をかけ、「さくらの彼氏が門のとこ来てんだって!」と藤沢が叫び返す。

「彼氏じゃないって!!」

 さくらは大声で否定するが、階段に声が反響して、吹き抜けを駆け巡る。それが周りの目を引きつけてしまう。藤沢と広瀬に続いてどこからか湧いて出た白衣のままの学友たちが、白玉団子のように纏まって転がるように門へと向かっていく。

(お前ら卒研はいいのかよ!)

 どう考えても放り出して来ている。そしてなぜだか別の階の研究室まで騒ぎが広がっている。恐るべき女子大の情報網。そして野次馬根性。

「ちょっとー、外車だよぉ! ミニクーパー! かわええ、欲しい!」

「あ、なに、めっちゃイケメンやん。さくらにはもったいなーい!」

 壁のように並ぶニヤニヤ笑いの中、さくらは猛烈に居たたまれない気分で車に近づく。学友たちは門の影に隠れているつもりらしいが、人数が膨らみ過ぎて端々から漏れている。

 仏頂面のままさくらが助手席のドアを開けると、島田が何ともいえない顔でさくらに訴えた。

「あの白衣の集団……なに? 二十人はいない? 何か事件?」

「学科の同級生です。エンタメに餓えてるんです。何か勘違いしてるだけなんで、気にせずさっさと行きましょう」

 まさか自分がそのエンタメとはさすがに言うわけにはいかない。勘違いの内容についてはもっとだ。

「友達多いんだね」

「小さな大学なんで、なんというか団結力と結束力が無駄にあって」

「ふうん、楽しそうだ」

 島田がエンジンをかけると、「さくらがんばってー!」とどこからか高い声が上がる。島田が我慢できないと言った様子で吹き出しながら、門を振り返る。

「あ。あれ、藤沢さんだ。手、振ってるよ?」

「どうか、もう出てください。後生ですから!」

「はいはい」

 クスクス笑いと共に車が進み出し、ようやくほっとしたとき、さくらはふとどこからか異質な視線を感じた。

(ん?)

 誘われるように目を向けると、ニヤニヤ笑いの学友に見慣れぬ顔が混じる。だが、全く知らない顔ではないことにすぐ気が付いた。

(ミサちゃん?)

 がちり、と目が合うときに音がした気がした。納得いかない、そんな顔をしている。

 すぐに目を逸らすが、どうしてそこまで島田を気にする? という違和感が染みのように残った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます