18 情熱の種菌

 卒業研究に就職活動、そしてバイトと奮闘するうちに、季節はいつしか秋を通り過ぎようとしていた。

 就職活動は遅々として進まず、不採用の通知だけが積み重なっていた。

 さすがに友人たちはさくらの将来を案じて、忙しい中、学生課から見つけて来た求人情報を教えてくれる。募集もがくんと減り、えり好みもできなくなって来た。それほど高望みせずに手当り次第に受けているのだが、内定をもらえない。厳しいことは知っているが、落ちる度に自信喪失する。

 連続する自己否定とじりじりとした焦燥感はさくらをヤサグレさせる。

 いつもは慰めてくれる友人二人は、今日は不在だ。藤沢は図書館で論文に集中し、広瀬は内定式に出席するため大学を欠席している。羨んではいけないと思いつつも、どうしても羨ましい。

 その上、卒業研究も佳境に入っている。

 結果を出す時期に入って来ているため、普段のんびりしているさくらもさすがに焦りはじめた。土日もずっと学校に出て来ているが時間が足りず、週に五日のバイトを一日減らしてもらっていた。繁忙期ではないから承諾してもらっているが、地味に懐が痛い。だがこればかりは仕方ない。――しかし。

「いまいち、量が確保できないんだよね……」

 このところ〝みどりん〟の収穫量が減っているのだ。今まで五日培養で採れていた量より一割ほど少ない。色もいつもはもっと濃い緑色になるのに、黄が混じっているように見えて、どことなく元気が無いように思えて仕方が無い。

「病気かなあ」

 それか、ミドリムシにもほうれん草のように活性があるのかもしれない。となると実験の大前提を見直す必要が出て来る。頭が痛い問題だった。ぶつぶつ言いながらノートに記録をしていると、お茶を飲みに来ていた教授が難しい顔で口を挟んだ。

「種が弱ってるのかもねえ」

「弱るんですか?」

 さくらは驚く。

 〝みどりん〟の種菌はシャーレの中で大事に飼っているのだが、いつ見ても青々と元気そうだった。

「慎重にしてても他の菌が入っちゃうから、培養の段階で他の菌に負けてしまうんだろう。夏は特にねえ、黴もすごいし」

 ということは、〝みどりん〟のつもりで他の菌を一生懸命育てているということだろうか。まるでかっこうの托卵――不毛だ。

 顔をしかめつつさくらは助言を求める。

「どうすればいいですか」

「ん、じゃあ九大でもう一回もらって来てくれる?」

「川村先生のところですね?」

 卒業研究を始める際、種を分けてもらいに行ったのを思い出す。

「今から行ける? 少しでも早い方がいいと思う」

 カレンダーを見ると、今日は火曜日。一週間を無駄にしたくないし、行くなら今日だ。さくらが頷くと、

「じゃあ電話しておくから。あ、交通費は後で精算するから、言ってね」

 教授は受話器を取る。さくらはそれを見ながら、

(この忙しいのに……それに、立替え、ちょっときついなあ)

 と内心ため息をついた。


 九州大学の広大なは、さくらの大学からバスで十分ほど行ったところにある。だが戦前からある建物の老朽化は激しく、市内に散らばったキャンパスの統合も兼ねた、学生運動の頃からの移転計画がようやく完了しようとしていた。そのため、さくらが訪ねる予定の川村研究室は、現在は地下鉄の西端の終点からさらにJRに乗り換え、さらにバスに乗るという不便極まりない場所にあった。

 片道一時間四〇分かけてキャンパスにたどり着いたさくらは、無事に種菌を入手し、空腹のお腹を抱えて帰路についていた。ちょうど昼時に移動時間がかかった事もあって、結局昼食は抜くことにしてしまった。バイトを減らしたせいで今月はピンチなのだ。ファストフードだとしても、ちょっときついくらいだった。

 川村教授のところで茶菓子の一つでもと期待したが、桑原教授と違ってそういったことに関心が無い――いや、研究一筋な人物だったためさくらのささやかな望みが叶えられることは無かった。

 学生向けのマンションが、日の暮れかけた街中に長い影を落としている。

「ああー、お腹減った……」

 ラーメン屋が目に入るとお腹が女子にあるまじき不気味な音を立てた。

(島田さんと行ったラーメン屋、また行きたいなあ)

 このところバイトを休んでいるのは、たいてい金曜日。島田と食事に行くのは大抵週末だったから、楽しい夕食の時間はお預けになっている。

 最初の食事以来、島田は週末にさくらを食事に誘ってくれた。上原が退社した後、大抵二人で三十分ほど仕事を早く切り上げて、近くの安くて美味しい店で短い夕食を楽しむ、ただそれだけのささやかな会食。そのことを友人二人に話したが、「そりゃ、デートと呼べん」と島田に対して不満顔だった。

(デートじゃないからいいんだよ)

 さくらとしては肩肘張らずにいられる気楽で楽しい時間だった。なによりいつも通りに帰宅できて、母親の目を気にすることが無いのが最高だ。おごってくれるのも、三〇分早く仕事を切り上げたさくらが失う時給プラスα。現物支給と思えば――といってもその出所は島田の財布だが――良心がそれほど疼かないくらいのものだった。

 駅前にはうどん屋、焼き肉屋、カレー屋、と学生向けの店が並ぶ。見る度にいちいち島田との食事が思い出され、生唾を飲み込みながら必死で通り過ぎる。

 目に入れるから駄目なんだ――と飲食店の並びから目を背け、建設中のビルを見る。何気なく前に立つスーツを着た人物に目をやった時だった。

「え」

 目と口を同時に開いた。

「あれ?」

 まさかと思って目を擦るが、それはやはり島田だった。ただ、スーツがいつもより上質で、眼鏡がノンフレームなので印象がかなり違う。なんとなく、いいところのお坊ちゃんと言った風貌だった。

「あれ? さくらちゃん、なんでこんなところに?」

 島田も眼鏡の奥で目を丸くしてさくらに問う。さくらは思わず背筋をぴんと伸ばす。

「島田さんはどうして?」

「俺は仕事」

「私は研究の材料調達です」

「材料?」

「みどりん――いえ、ミドリムシの種菌です」

 さくらは手に持っていた発泡スチロールの小箱を掲げてみせる。

「ああ」

 島田は納得したように頷くが、直後首を傾げる。

「でも、ここってことは九大? 共同研究でもしてるわけ?」

「ええと、そんな感じで。うちの研究室は、元々はミドリムシ使っていなくて、協力してもらってるんです。教授が同窓らしくて」

「へえ」

「島田さんはこんなところまで珍しいですね」

「ああ。会社近辺で回れるところは回ったから、徐々に範囲を広げてるんだ。ここ、まだまだ開発中だから、いろいろ新しい物件が多くて、仕事も多い」

 そのとき、建設中の建物の中から、作業着にヘルメットという出で立ちの男が現れ、会話が中断する。

「ええと、先ほど頂いたパンフレットですけど、うちとしてはやっぱりもうちょっと柔らかいデザインのものが欲しいので……」

 どうやらまだ商談中だったらしい。一歩後ろに下がって頭を下げたが、男はさくらを一瞥しただけで、さほど興味を示さなかった。

「ご希望がありましたら、別注もできますよ」

 島田は笑顔で対応する。

「でも、値段も張るでしょう?」

「いえ、数点注文いただけるのでしたら、型が一緒ですのでそれほど変わりませんし、お値引きもできます」

「といってもねえ、案を見せてもらわないことには……」

 相手方は渋っている。なんとなく、どう断ろうかと考えている様子だった。邪魔してはと離脱を考えたが、一応会社の人間であるしと、その場に留まった。

 覗き込むと、ビルの内装が一部見える。木製の温かい雰囲気の壁、自動ドアも木製のものだ。確かに、SHIMADAの――いや上原のスタイリッシュなデザインだと浮くかもしれない。

(あれだったら、手書き風の書体フォントを使ったり、イラスト入れたりすると可愛いかもなあ)

 さくらは自分だったらどうするだろうと考える。

「では、次回に案をお持ちしますので、見るだけでも見ていただけないでしょうか」

 島田は丁寧ながらもしっかり食い下がっている。笑顔も爽やかだ。はじめて営業中の彼を見たけれど、社内で見るよりもさらにデキる男、という印象だ。

(すごいなあ)

 営業職というのは、さくらが一番苦手とするものだ。押しの強さが自分には全く備わっていない。断られるのが怖くて、押すことさえ躊躇うのだ。だから、職種を選ぶ時も『営業』だけは避け続けている。その結果が内定ゼロなのかもしれないとは思うが、向き不向きは絶対あると思っていた。……といっても何が向いているかはさっぱり分からないのだが。


 担当者は渋々といった顔で頷いて、建物内に引っ込んだ。見込みがなさそうでさくらは心配になるが、島田はというと意外にも微笑んでいた。

 だが、ビルの隙間から差し込んだ夕日が彼の顔を照らし、現れた影に僅かに寂寥感を感じる。

「……脈なさそうな感じじゃなかったですか?」

 さくらが遠慮がちに問うと、島田は頷く。

「最終工程だし、たいてい既存のものを使うことになってるからね。でも、簡単に取り変えられるものだから、粘り勝ちもできるんだ」

「断られるのって、嫌じゃないですか?」

「新規参入だから、それ怖がってたら何もできないよ」

「すごいですね」

「――とか言ってるけど、最初は嫌だったよ。俺、実は引っ込み思案だし、ストレスですぐ胃腸やられるし」

 意外すぎた。

「じゃあどうして営業職を選んだんですか?」

 と口にしてしまって、さくらはハッとした。

(あ、しまった。実家の仕事だから、最初から選べないんだ)

 焦ったことを察したのか、島田はおどけた調子で肩をすくめる。

「うん。選択肢なくてさ。憂鬱でしょうがなかったし、いやいや仕事やってたよ。けど、皆が商品に誇りを持って働いてるの見てたら、もっと売ってやりたくなって。商品について勉強するうちに、だんだん俺も誇りを持てるようになったんだ。やればやるほど成果が出るってのは、楽しいしね。やってみないとわかならなかった」

 実家の仕事を継ぐということは、自分で生きる道を選べないということ。敷かれたレールの上を歩くことには、きっと葛藤があったに違いない。

 親がサラリーマンであるさくらは、彼の苦労を知ることはできないだろう。けれど、確かなのは、島田が苦労を乗り越えて、今、輝いているということだ。

 楽しい、その言葉を聞いてさくらは嬉しかった。

「島田さんは営業が天職だと思います。さっきとか、粘り強くて、すごかったです」

 自分の人生から逃げなかった島田を強いと思った。だけど年下の就職もできていない小娘が言うようなことではない。

(ああ、もっとしっかり伝えられたらいいのに……語彙がなさすぎ)

 だが、島田はなんだか嬉しそうだった。

「さて、そろそろ帰ろうかな。あ、さくらちゃん、ここまで電車? バス?」

「電車です」

「じゃ、送るよ」

 さくらは顔を上げてピカピカの駅舎を見て首を傾げる。一緒に帰ろうの間違いでは無いだろうか?

「でも、駅はそこですから」

「今日は車で来てるから、急がないんなら送ってくけど」

 とたん、さくらの頭の中で帰りの交通費が自動販売機のおつりレバーを捻ったかのように音を立てて降って来た。それならなんとか夕食にありつけそうだ。

「え、すごく助かります!」

 現金なさくらに島田はくすりと笑って誘った。

「じゃあ、こっちに車停めてるから」

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