17 恋愛脳な二人

「真由美、おまえ何考えとるんや!? 彼女、めっちゃ誤解しとった!」

 思わず地が出る島田に河野は「けいちゃん、方言でてる」とけらけら笑った。

「けいちゃんだって、見込みあるかどうかくらい知りたかったでしょ? だって蕁麻疹が出ない女の子なんてはじめてなんだし!」

「蕁麻疹は出ないけど、そういうんじゃない」

「もう一月見てんだから、大体分かったでしょ。逃がしちゃうと、間違いなく次はないわよう?」

「彼女はそんなんじゃない。このはた迷惑な恋愛脳が」

「島田さんて絶対変だと思うんすけど。なんでよりによってあんな女子力ゼロの女。もっと可愛い子よりどりみどりでしょうに」

 上原も怪訝そうに口を挟む。

「おまえも恋愛脳かよ」

 うんざりしつつ、女子力ゼロという言葉に、島田はわけもなく腹が立った。

(ちがう。あの子は、そう装ってるだけで、本当は)

 とそこまで考えた島田は、我に返る。

(俺、なんでムキになってる?)

 首を傾げる島田の前で、河野と上原は議論を続ける。

「だけど、今時いないわよぉ、あんな真面目で根性がある子。良く見つけて来たなあって思ったけどぉ」

「……真面目、っすかねぇ。根性は、確かにありますけど」

 上原は首をひねるが、河野はお構いなしに島田に絡む。

「さっさと決めちゃいなさいよ。けいちゃんも時間が無いんだから、あんまりのんびりしててもだめでしょ。また親戚一同からさっさと身を固めろって続々と送ってくるわよぉ、お見合い写真!」

 むっつり黙っていた島田はペラペラと勝手な事をしゃべるのを止めない酔っぱらいを睨みつけると、仕返しとばかりに暴言を吐く。

「わかってるし、俺は俺の考えで動いてる。せめて邪魔すんな、このくそババア」

「んですって! このがあ!」

 最大の攻撃には最大の反撃が返って来た。互いを知り過ぎているとこういう時に困る。

 ぶち切れた河野を上原に押し付けると、島田は店を飛び出す。地下鉄の最寄り駅は右。だが彼の勘は左だと訴える。左の駅は5分ほど多く歩かねばならないが、右に行くと繁華街がある。この時間の繁華街には酔っぱらいが多いから、さくらが避ける可能性があった。

 外灯の少ない道を急ぐ。この先には大きな公園があるが、そこは地下鉄への近道になる。だが、女性が夜通るには少々物騒だ。

(あの子、自分が女の子って理解してないところがあるからな)

 誰も私なんか相手にしないって。そんな油断が常にある。言い換えれば、隙だらけだ。

 不安を感じた島田は携帯を取り出す。履歴書に書かれた電話番号は携帯電話のものだった。念のためにと登録してみたものの……かけるのには勇気がいる。

(職権乱用かこれ? ってか俺の番号、登録してないかも?)

 知らない番号からの電話なら、不審がられて出ない可能性が高い。

 島田がスマホの液晶を前に、躊躇った時だった。

「あー、もう、しっつこいんよ」

 聞き覚えのある声に島田は顔を上げる。公園の入り口。暗がりに立つ、涼しげな白いリネンのカットソーにベージュのパンツの女が目に入る。今日初めて見た服だったがはっきり覚えていた。仕事に来て来る服よりもラフだが、良く似合っていて、もう一押ししてろよと昨日の自分に文句を言いたくなったから。

「んなこと言わないで付き合えよ」

「うざいって! 他を当たれって言っとろーが!」

 虫の居所が悪いのだろうか。上原との喧嘩(というより彼への内心の暴言)のようだと島田は苦笑いしつつ、ほっとしながら近づく。こんな風に詰られたくはないが、もうちょっと自分に対しても気を許してくれた方がうれしいのに。

「あー、。こんなところに居た!」

 わざと馴れ馴れしく声をかけると、ぎょっとした顔で彼女が振り向く。

「…………!」

「探したよ。絡まれてたらどうしようかと思った」

 にっと笑ってみせたあと、男をちらりと睨むと、「んだよ、彼氏持ちかよ」と彼は舌打ちして身を翻す。

 公園の奥へと後ずさりしながらさくらは尋ねる。

「……ど、どうしてここ……」

「GPS機能」

 スマホを突き出して真顔で嘘を吐くと、さくらは目を丸くした。

「うそ! 今のスマホってそんなに進化してるんですか!?」

「うそだよ」

 合意もないのに勝手に追跡したら犯罪である。というかGPS機能自体はガラケーにもついているはず。仕事でパソコンは問題なく使いこなすくせに、妙なところで機械音痴なのだ。

『うわ、真面目な顔して嘘吐かれた!』

 愕然とした顔を隠そうともしないさくらに堪えきれずに笑う。

(たまらん……面白過ぎる)

 普通にしてても妙な反応は多いが、からかうと予想よりもっと面白い反応を返して来るのだ。

 末っ子の島田は上から弄られることは多いが、弄る経験はあまり無い。いちいち新鮮だった。

 さくらはややして窺うような表情になる。

「河野さんは? 送って行かれなかったんですか?」

『それで、そのまま泊まっちゃうんじゃなかったんですか? そういう関係なんですよね?』

 心の声に肝が冷える。誤解を早く解かなければと島田は焦った。

「酔っぱらいは旦那に迎えに来させるよ」

「は……? 旦那って……え、ご結婚されて――じゃあ、島田さん、ふ、不」

 不倫か不潔か知らないが、その先を聞きたくなくて島田は遮った。

「河野真由美――旧姓、島田真由美は、嫁に行った俺の姉ちゃんだよ。家族だから、家に泊まってもおかしくないよな?」



「お、お姉さんなんです、か」

 さくらは呆然と立ち尽くしていた。

 河野が既婚と聞いて、思わず不倫という想像をしてしまった。真実を聞いてしまうと、確かにその響きはあまりにも二人にそぐわない。

(な、なるほど。それでけいちゃん……)

 理解と共に、急激に恥ずかしくなる。傍から見たら姉弟の仲の良さに異様に取り乱したさくらは、あまりに間抜けではないか。いや間抜け以前に、どう取られたかを心配するべきかもしれない。

(うっわあ――上原に何ていわれるか!)

 いや、この際上原はどうでもいい。目の前の男にどう思われたかの方が今は重要だった。

「な、なんで教えてくれなかったんですか! 私、すっごく失礼な勘違いしましたよ!?」

 照れ隠しも手伝い、さくらが強めに文句を言うと、島田はごめん、と謝った。

「説明するからさ。ここじゃなんだし、もう一軒付き合ってくれる? 俺、ビールしか飲んでなくってさ。腹減った」

 髪をかきあげた島田がさくらの肩越しに何かを見て、目を細める。気になって振り向くと、奥のベンチでカップルがいちゃついている最中だった。ぎょっとして飛び跳ねると、島田はにやりと笑う。

「べつに、ここでもいいけどね」

 思いのほか甘く光った目に、慌てたさくらは胸の前でぶんぶんと両手を振った。

「いえ! 別のところ希望です! 私もお腹空いたので! あ、でも……」

 金がない。この時間帯にもう一軒となると樋口一葉を出す覚悟が必要だ。顔を曇らせるさくらに、島田はまるで心の声が聞こえたかのように笑った。

「もちろん、おごるよ」

「いえ、悪いですし! やっぱり帰ります!」

 きっぱりと断ると島田はムッとした。

「君は学生で、俺は社会人なんだよね。眼鏡の弁償を百回払いする子に割り勘を申し込むほど困ってないし」

「でも、さっきのところだけでも申し訳ないのに」

 渋るさくらに、島田は妥協案を出した。さくらが断れない美味しい話で誘惑したのだ。

「じゃあ、ラーメンとかどう? 安くて美味いとこ知ってる」



 好物のラーメン、そして安いと聞けば断る理由が無くなった。さくらは大人しく島田について公園の脇の道を歩いた。

「ここが、俺が色々食べて、一番だと思った店。ボロだけど、安くて美味い」

 着いたのは、会社の一本南側の道にあるラーメン屋。随分と年期の入った店で、なんというか今にも木造の家屋が潰れそうだった。のれんの文字さえ掠れて読めない。だが札に書かれた値段を見てさくらはぐっと手を握りしめる。

(よっしゃあ、四〇〇円!)

 自腹を切るにもおごってもらうにも、許容範囲である。

「らっしゃい!」

 扉が開き、風が運んで来た豚骨の強烈な匂いに思わずのけぞる。豚骨ラーメンは大好きだが、ここまで純粋に豚骨アピールというのはこの頃では珍しいのではないか。

 島田は涼しい顔で入店を促す。さくらが足を止めていると、

「あれ? 嫌いだった?」

 と意外そうな顔をする。まるでさくらが豚骨好きだと知っているかのような顔。

 だが、さくらもそうだが、この辺りの人間ならば豚骨を嫌いな人間は居ないと信じているのかもしれない。豚骨以外はラーメンではない。インスタントでさえ豚骨しか食べない徹底ぶりだ。

「いいえ、大好きです」

 さくらが挑むような顔で笑うと、島田は妙に嬉しそうな笑顔を返した。




 ラーメンは本当に美味しかった。匂いの割にスープはさらりとしていて、しかしこくがあった。細くてこしのある麺は自家製だそうで、店主のこだわりが感じられる。

「ごちそうさまでした! すごく美味しかったです」

 店を出てさくらが礼を言うと、

「ここ、代替わりして一度味が落ちたんだけど、二代目が勉強し直したらしいんだ。家業を継ぐのって大変だけど、親が必死で守って来たものを残したいってのはわかる」

 ぽつりとこぼした後、しんみりと島田は黙り込む。そのまま彼は地下鉄の駅に向かった。

 ゆったりと時が流れているように感じた。なんとなく駅にたどり着くのが惜しくて歩調が緩む。だが、島田の肩は常にさくらのそれに並んでいた。

(あれ?)

 ふと気が付く。島田はさくらに歩調を合わせてくれているのでは、と。

 どきりとしてさくらは立ち止まる。すると島田も一歩先で立ち止まった。まるで、さくらの予想が正しいというかのように。

「どうかした?」

 振り返った島田の目にはなんだか物憂げな光が浮かんでいた。射抜かれたような気がして心拍数が上がったさくらは、とっさに話題を探した。

「そ、そういえば、あ……どうして姉弟って隠してたんです?」

 そもそもそれを聞くためにラーメン屋に行ったのだった。さくらが思い出して問うと、島田はぶっと吹き出した。

「さくらちゃん、ラーメン食べるのに必死だからさ、言いそびれた」

 呼び方に慣れずに動揺する。先ほど「さくら」と名前を呼び捨てしてから、彼は呼び方をあっさり切り替えた。以前からそう呼んでいたかのような自然さだ。

(あー……柄じゃなくてムズムズする……)

 それに、急に距離が縮まったようで気恥ずかしくて俯きつつ問う。

「…………そ、そんなに必死に見えましたか」

 思い返せば、確かにひと言も会話をせずに完食してしまった。それどころか勧められるままに替え玉まで頼んでしまったのだ。

「前の合コンのときも思ったけど、めちゃくちゃ美味そうに食うからさ。なんか邪魔しちゃ悪くて声かけ辛い」

 さくらが項垂れると、島田はくつくつと笑う。

「おごり甲斐があるよ、まじで」

「そ、それより、はぐらかすってことはやっぱり言いたくない話なんですか?」

 さくらが反撃すると、島田は一度笑いをおさめ、代わりに苦笑いを浮かべた。

「かっこわるいだろ? 姉にこき使われてるなんてさ」

「そうですか?」

 姉思いの良い弟だとしか思わない。首を傾げるさくらに、島田は真剣な顔で頷く。

「SHIMADAは、最初は俺だけでやるつもりだったんだけど、俺が若いからどうしても重要な話が通り難くて、力を借りることになった。あの人歳とってる分だけ貫禄あるから、俺より信用があるんだ」

 島田は妙に悔しそうだ。さくらは前から気になっていたことを尋ねた。

「社長っておいくつなんです?」

「……三十六。本人には歳の話をしたら駄目」

「えぇ? 二十代かと思ってました」

「十歳離れてるから、全く頭が上がらん。あいつ、俺をまだ小学生くらいだと思ってるから」

 むくれる島田が妙に可愛らしくて、河野の気持ちがなんとなくわかる。こんな可愛い弟が居たら、それは弄らずにいられないだろう。

(そうか、二十六なんだ、島田さんって。――うん、見えないな。下手したら私と同じくらいに見える)

 そんなことを考えていたら、「俺って、幼く見える?」と島田が問うたので、さくらは慌てて首を横に振ってごまかす。顔に出てただろうか?

「十歳も離れてるってすごいですね」

「しかも、間にもう一人姉ちゃんがいる」

 うんざりと肩を落とす様子から、やはり弄られているのだろうと予想がつく。それはそれで楽しそうだなあとさくらはため息をついた。

「羨ましいです。私、一人っ子だから」

「さくらちゃん、一人っ子か。……なるほど、それで」

 島田は一瞬難しそうな顔になる。

「何がなるほどなんです?」

「家が厳しいだろう?」

「あの人達、単に暇なんですよ」

 軽く茶化すと、島田は首を横に振った。

「そうかな」

 島田がそう呟いたところで、駅にたどり着いた。

 携帯で時刻を確認すると9時10分前だった。意外に時間が経っていたことに驚く。

「門限間に合いそう?」

 心配そうに問われて、さくらは頷く。電話は9時20分ごろにかかってくる。

「いつもより早いくらいです。今日はありがとうございました!」

 それじゃあ、とさくらが身を翻し、階段を一歩下りたところで島田の声が頭上から振って来た。

「……また、誘っていいかな?」

「え?」

 下りかけていた足を一度止めると振り向く。階段の上には島田のはにかんだような笑顔があった。

(え、なんで?)

 連日の急な誘いの意味を考える。藤沢と広瀬が脳内でニヤニヤと笑う。まさかこれは色気のあるお誘いなのだろうか? ――と思ったとたん、ニョッキリと頭の中に母が顔を出した。

『あんた! バイトとか言って、ふらふら遊びよるんやないやろうね!』

 さくらが金縛りにあっていると、島田は「そういうことか」と何かを会得して付け加えた。

「晩飯は一人より誰かと食べる方が美味いだろ? 俺も毎日コンビニ弁当じゃあ飽きるし。安くて美味い店なら、たくさん知ってる」

(ああ、なんだ)

 さくらは胸を撫で下ろす。

 そういうことなら、さくらも同じだ。毎日自炊だと疲れるし、たまには楽に美味しい物が食べたい。それに、合コンの時にも感じたが、やはり島田との食事は楽しかった。といっても、今回、食事中の会話は全くなかったが。

 魅力的な申し出に、さくらは頷いた。

「はい。じゃあ、安くて美味しい店なら、またご一緒させてください」

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