16 挑戦的な笑み

「じゃ、一ヶ月間、ご苦労様! かんぱーい」

 夕方6時。河野の音頭で歓迎会が開始された。

 1969という名の店は多国籍料理を扱うバーだった。照明の絞られた店内は随分と大人っぽい雰囲気。使い込まれた様子の木製の味のあるカウンターに四人並んで腰掛けている。

 まだ早い時間なので空席は目立つけれど、その席は既に予約が入ってしまっているらしい。

 さくらの左隣は河野、右隣は島田。島田の右には上原で、その先は壁だった。

 上原だけがカウンター席の小さな椅子に納まり切れていない。本人も窮屈そうにしていて「島田さん、こんな洒落た店選ぶなんて酷いっすよ。飲んだ気も、食った気もしねえ。なんでいつもの居酒屋じゃないんすか」と文句を言っている。

 島田は黙ってビールを飲んでいた。酔いが回っているのか僅かに耳が赤い。

「それにしても、さくらちゃん、上原君のしごきにも音を上げないってすごいわよねぇ。見込みあるわー」

 河野は飲むと上機嫌になるタイプらしい。声のトーンが少し上がって楽しそうだ。

「片桐は鈍いだけっすよ」

 上原が口を挟み、「我慢強いと言ってください」さくらは顔をしかめる。

「実のところ、二人のやり取りが面白くってしょうがないのよぉ。漫才みたい。けいちゃんも笑い堪えてるもんね」

「え、そうなんですか」

 何か面白いことをしただろうか。さくらは首を傾げる。上原を見ると、彼は不本意そうにさくらを睨みつけている。

「そうなのそうなの。いつもしかめっ面してるけど、本当は笑い上戸なの」

 そういえば合コンではよく笑っていたなあと思い出す。

 島田が河野を睨むが、彼女は全く気にしない。

「笑ったら可愛くなっちゃうから、笑わないの。童顔なのはしょうがないのにね。背伸びしちゃっておっかしいったら」

「あー、もう、余計な暴露話は止めろって。上司の威厳が保てない」

 島田がぶすっと口を尖らせる。その顔は少年のようで、「あ、あと拗ねても可愛くなっちゃうんだけどねえ」と河野が嬉しそうに笑う。つられてさくらと上原が笑うと、島田は上原の方を向き、「笑うな」と彼の頭をペシッと叩いた。

「ひでえ、なんで僕だけなんすか。片桐には?」

「女子は殴らん」

「女子じゃないっしょ、こいつは。女子力ゼロ」

「なんですかそれ、しっつれいな」

 さくらが上原に喧嘩を売られ反応する。自分でそう思っていても、上原に言われると腹が立つのだ。だが、

「さくらちゃんはさっぱりしてるもんねえ。それがいいところだと思うわよー? ねえ、けいちゃん」

 河野に持ち上げられ、島田に振られてさくらは内心慌てる。褒められ慣れていないせいで、どう反応していいかわからない。

「ん……ぁあ、そうかも」

 島田の生返事に、河野は「反応鈍いわねえ。はっきりしない男はだめよぉ」とムッと顔をしかめるが、褒められてもけなされても動揺しそうだったさくらは、内心ひどくほっとした。



 だがその後、河野はターゲットを替えたのか、さくらに妙に絡んだ。元々酔うと絡むタイプの人間なのかもしれない。ただ絡むのならば逃げようもある。だが、必ず島田の話を混ぜて絡むので、次第にさくらは困惑してしまっていた。

「ねぇ、知ってる? たらね――」

 少し聞いただけでは先ほどのような彼の暴露話だ。むしろさくらを会社に馴染ませようとする好意的なものだと思う。だが、よく話の節々を注意して聞けば彼のことをどれだけ良く知っているのか、どれだけ自分たちが親密なのかという自慢話にもとれる。

 穿ち過ぎだとは思う。せっかく開いてもらった歓迎会。決してそんな風には取りたくないのだけれど、なんとなく、勘が訴えるものがあった。

 初めて会った時に感じた、あの嫌な予感だ。

「それでね、けいちゃんたらね」

(もう、仲がいいのは、充分分かったってば)

 僅かに笑顔が引きつった瞬間だった。

 島田が絶妙なタイミングで口を挟んだ。

「おい、ちょっと飛ばし過ぎじゃねーの? こんな時間からできあがってるやつなんかいないし、恥ずかしいんだけど」

「しゃちょー、19時ですけど大丈夫っすかぁ?」

 酔いの回った様子の上原も河野の疾走に不安げだ。河野は19時という言葉に反応して、目を見開いた。

「え、もうそんな時間? はやっ」

 腕に巻かれた華奢な腕時計――きっと高級品だ――に目を落とすと、せかせかと帰り支度を始める。

「あーー、久々に飲んだかも。美味しかったー! 楽しかったぁ! さくらちゃん、これからもよろしくねぇ?」

 にこり、と上機嫌に笑われ、

「あ、こちらこそ」

 顔を出しかけた不機嫌さを慌てて引っ込める。と、河野は残念そうに眉を下げる。

「んー、けいちゃんが鈍いから、さくらちゃんからはもうちょっと反応欲しかったんだけドぉ……つまんないわー。……あ。そうだ」

 そこで、河野はさくらを見たまま島田の肩に手を乗せた。サーモンピンクのマニキュアの塗られた綺麗な爪が目に入る。所々綺麗な石が埋め込まれていたり、別色で模様が入っていたり。きっとネイルサロンに行っているのだろう。金がかかっているのが素人目にもよく分かる。

 自分の短い爪と薬液で荒れた肌を思い出し、手をテーブルの下に引っ込める。そんなさくらに、河野は挑戦的な笑みを向けた。

「けいちゃん、家まで送ってってぇ?」

「は? 何言ってんだ。一人で帰れよ」

「いいじゃない。この頃連れないなあ。久しぶりに泊まって行ってよぉ」

 河野が島田の腕に抱きつくのを見て、さすがのさくらも呆然とした。隣では上原が「いいじゃないすか島田さんー。送って行ってあげれば」とへらへら笑っている。

「仲が良くっていいっすねぇ」

 その言葉は果たして島田に向けているのか、それともさくらへの嫌みなのか。

 さくらは今それを考える余裕も無かった。

「うえはら! 面白がってないで、この酔っぱらいを何とかしろ」

 島田は、困惑はしているが、あからさまに拒絶するわけでもない。当然のように思い当たった。誰もが思いつくような簡単な答えだ。

(あぁ、そうか)

 家に送って行って、泊まるような――そういう仲なのか。久しぶりということは、少なくとも、過去にはそういう事があったということで……ひょっとしたら、今も。

 しなだれかかる河野を送って行く島田。さくらが以前夢で見たモデルルームのような家の玄関を二人で仲良くくぐるのを想像した瞬間、

(ほら、藤沢、広瀬。私なんか、誘うわけないんだって)

 気がつくとさくらは立ち上がっていた。

「島田さん、どうぞ、送って行かれてください。河野さん酔ってますし、心配ですし。じゃあ、お開きってことにしますか? 私も、門限があるので家に帰らないと」

「は? 片桐さん、何を言って――」

 島田がぎょっと目を剥いて、そしてそこでようやくさくらの視線が彼の腕にあることを知った。彼は慌てたように河野の腕を振り切った。

 河野はにたりと勝ち誇った笑みを浮かべていた。その笑顔を見ると、さらに頭に血が上る。

「今日はおごっていただいてありがとうございます、貧乏なんで本当に助かりましたー!」

 飛び切りの笑顔が浮かんでいるだろうと思った。全エネルギーを顔に集中しているのだから、当たり前だ。

 ガッカリしているところなど僅かでも気取られたくなかった。ほら見たことかと上原に馬鹿にされるし、牽制が成功して河野もきっと喜ぶに決まっている。

 島田だって分からない。もしかしたら、さくらのことをからかっていたのかもしれない。影で面白がって笑っていたのかもしれない。――そういう、男なのかもしれない。

 その想像が何よりも我慢できなかった。

(悔しい。浮ついて、馬鹿だ、私)

 気が付くと、さくらは店を飛び出していた。

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