8 間違えたアドレス

「しゃ、しゃちょーさん、なんですか? 河野さんが?」

「手が足りないから経理と受注処理もお茶くみだってやるわよぉ?」

 ニコニコしながら河野は手元のファイルをめくる。

 山田の社長とはあまりに違うので、さくらは驚く。まず山田はたまに社員の様子を見に来るだけで、それほど職場に顔を見せなかった。取引先への挨拶や会議で社にいないというのもあったが、社にいる時も社長室に籠っているだけで何をしているのかも知らなかった。

 いくら規模が小さいからと言っても、こんな風にオフィスに溶け込んでいるというのが驚きだ。河野は続ける。

「もちろん人事もねー」

「え?」

 全て島田がやっているように見えていた。目を丸くしていると、島田が説明を割り込ませる。

「……さっきのは面接だったんだ」

「そ、そうなんですか!?」

「俺は、圧迫面接は嫌いなんだが、この人は好きで必ずやってるな」

(圧迫面接――って今のが!)

 就職活動をしている友人たちからそんな話を聞いたことがある。わざと怒らせるようなことを言って対応を見るのだ。感情的になってぼろぼろになって不採用の通知を貰ったという話もちらほら聞いた。

(うわああ、『ムカツク、辞めます!』とか言わなくて良かった!)

 知らなかった癖に、時給九百円を無事に勝ち取った自分を誉める。

「好きなわけじゃないわよぉ。でもけいちゃん目当てで来る子って大抵根性無しなんだもの。あ、でも、午前中に電話かけて来たあの子――青山美砂ちゃんは違うかもね」

 島田目当てという言葉に引っかかりつつも、さくらは思わず口を挟んだ。

「え? ミサちゃんって……電話してきたんですか?」

「そうなのよ。電話口でも熱心だったからびっくりしちゃった。余裕があれば雇いたかったんだけど、今は技術者しか募集してないから」

「ああ。あの後、ミサちゃんにも声かけられたんですね」

 さくらがなるほどと頷くと、島田は嫌な顔をした。

「別に呼んでない。求人情報を探し出して来たんだ。あの行動力と積極性は買えるかと思ったけど、今欲しいのはその能力じゃないし」

(げ、すごい)

 さくらはホームページすら見つけられなかったというのに、ミサちゃんは一体どんな手を使ったというのだろうか。総合職に内定済みなのは伊達ではない。

 感心していると、

「あ、ミサちゃんと言えば。そうそう思い出した。上原くん、ホームページのアドレス間違って印刷してるわよ」

「え、まじっすか」

「ミサちゃんが言ってたのよ。島田美装に繋がってるみたい。だからこそ張り切ってたみたいよぉ?」

(あ、あれやっぱり間違ってたんだ)

 じっと名刺に目を落とすと、隣から島田が覗き込む。そして低く冷えた声を出した。

「うーえーはーらー」

 とたん、上原がしゃんと背筋を伸ばした。

「あー、すみません。修正します!」

 上原が慌ててキーボードをたたき出す。数秒後、ディスプレイに貰った名刺の画像が表示された。

(ここで作ってるんだ)

 そう思いながら、まあ当然かとも思った。なんと言ってもデザインの会社なのだから。

(上原さんのセンスなのかなあ。驚き)

 どちらかと言うとほんわかとした癒し系の上原から、このスタイリッシュなデザインが生み出されるのは不思議だった。

(本人には可愛らしいデザインの方が似合うよねー)

 数あるクマのゆるキャラを思い浮かべていると、島田が横で視線と口調をますます尖らせている。

「ドメインが紛らわしいんだよ」

「でも、覚えやすくていいドメインじゃないっすか」

 へらへらと笑って誤摩化す上原に島田の雷が落ちる。

「ふざけんな。いくら覚えやすくてもな、もっとあっちと区別しやすいヤツ取ってればこんなことにならなかったんだろ。この件でのミス何回目だよ」

 島田の厳しい言葉に、上原は耳を塞ぐ。

「わーってます、スミマセン」

「俺のと、社長の、あとお前のも五十枚、すぐに印刷し直して」

 上原がディスプレイとにらめっこしながらマウスを動かして、アドレス部分にカーソルを合わせる。

「やべ、アウトライン取ってないファイル消した! うぁ、打ち直しだ……」

 ぶつぶつ泣き言を言っている上原に「今度は間違えるなよ」と島田は言って、ふと思いついたように追加注文をした。

「あ、ついでに片桐さんのも刷っておいてくれ」

「まじすか。バイトのは要らんでしょ、勿体ない」

 仕事を増やされた上原はさくらを睨んだ。全然受け入れられていない。

(あー、もう鬱陶しいなあ。社長がOKって言ったらOKでしょうが!)

 心の中で毒づくと同時に、島田がさくらの想いを汲んだかのようにきつい口調で上原を叱る。

「勿体ないのは先に間違って刷った百五十枚だ。大体、俺が雇うと言ったら従えよ。残業きついって言うお前のために連れて来たんだからな」

「僕のためっすか。ありがたいですけど……本当ですかねぇ」

 先ほどナンパと言ったのを含ませるような口調。さくらは島田が怒るかと思ったが、彼は反抗的な部下にも冷静だった。

「いいか。名刺を作るのは自覚を作るためだ。社の一員として働くのか、客気分で働くのか。モチベーションが違う」

「ああ、はいはい……そういうことなら。十枚で良いですか」

 真剣に説明されて上原はようやく納得したのか――それとも説教を嫌ったのかは分からないが――キーボードをたたく。

「これで合ってます?」

 膨れっ面でさくらに画像を確認させる。

 ディスプレイに映る、『片桐 桜』と書かれた文字。さくらは否定する。

「漢字じゃなくてひらがなのさくらです」

「春生まれっすか」

 カタカタと入力しつつ問われた。

「……十二月生まれです」

 いつも通りのやり取りに、さくらは憂鬱になった。

 大抵の人間は心の中で思っている。『春生まれなら、その似合わない可愛い名前も納得できる』と。だからこそ、冬生まれのさくらに疑問を持つのだ。

『さくらちゃんって、名前、イメージと違う。似合わないよねえ』 

 幼少期のさくらは、正直で残酷な子供たちからの言葉を直に受け取って来た。大人ははっきりと言わないだけなのだと良く理解している。だからこそ、余計に物悲しい。もう二十一年付き合った名前だ。耐性はついているはずなのに。

「なんでまた」

(ここは……合コンじゃないんだし、長い付き合いになるかもしれないんだから……言うべきか)

 何度も問われるのも嫌だし、いっそここで笑われておく方がこの場を和ませられるかも。さくらは瞬時に計算すると、おどけた笑顔を作って口を開く。

「実はですね、祖父が『男はつらいよ』のファンで、寅さんの妹さくらに恋しちゃったんですよ」

「ぶはっ、なにそれ。おもしれぇ」

 予想通りに上原が噴く。河野もくすくすと笑っている。さくらはお決まりの儀式が無事終わったことにほっとして、最後に島田に目をやった。

(あーあ、どうせ島田さんも笑うんだ)

 だが、驚くべきことに、彼は笑っていなかった。

 眼鏡の奥の目がじっとさくらの様子を窺うように見つめている。

 この話をした時にそんな目で見られたのは初めてだった。道化になって笑うさくらの裏側で、傷ついて小さくなっているさくらを探し当てられたような気になって、ひどく動揺する。

 あんまりじっくり見られるので、

(あの眼鏡に、まさか何か特殊装置でも付いてる?)

 とさくらが下らない想像をし始めた頃、彼はふっと唇に笑みを浮かべた。今日初めて見る笑顔だ。一瞬、子供のような笑顔が透けて見えたような気がして、思わず目をしばたたかせる。

「そりゃまた、可愛いじいちゃんだな」

 島田が言うと、

「結ばれなかった恋人の名前を付けるなんて、おばあさまは何も言わなかったの、それ」

 くすくす笑っていた河野も続く。

「ええと、祖母もファンだったんです。祖父が寅さんみたいな人だったんで、……なんというか、自分を重ねてたんじゃないかって」

 いつもと違う話の運びにさくらは戸惑いながら話す。ここまで話すことは無かった。いつも『可笑しい』と失笑されて――そして、似合わない可憐な名前の由来に納得されて――終わってしまう話なのだ。

(あれ? なんか、泣きそう)

 話し終わった時には、なぜか胸が熱くなり、鼻の奥が痛くなっていた。

 黙りこんださくらを上原が不審そうに覗き込もうとする。だが、その前に丸めたパンフレットがぱこんと音を立てて彼の頭に振り下ろされた。犯人は島田だった。

「手が止まってる。さっさと印刷しろ。俺と社長の分忘れてるだろ」

 そこで彼は微かに笑い、

「だから、美しい、なわけか。なるほどね。……いい名前だな」

 独り言を言うように付け加えた。

(覚えてたんだ)

 その事実に、一瞬見えた笑みを浮かべた口元に、胸が跳ねた。

「……お、おかしいですよね」

 アハハと笑うと、さくらは救われたような気分で俯く。そして誤摩化すようにクリップで留めていた髪を解く。

(いい名前だな、だってさ)

 不覚にも涙に滲んだ目と、染まってしまった頬を隠したかったのだ。


 *


 島田は残っていた仕事を片付け、ほっと息をつく。さくらは、上原が印刷した名刺を裁断しているところだった。技術者での採用なのに、最初の仕事は完全に雑用だ。だが彼女から文句は聞こえてこない。物珍しげに、楽しげに、作業をしている。

(やっぱり、ちょっと変わった子だったなあ)

 さくらの言動を思い返すとぷくぷくと腹の底から笑いが湧いてきた。彼女から聞こえる本音は、顔にそのまま出ていて、口から出るものもほぼ同じ。

 姉の煽りにはものすごくわかりやすく怒った。聞こえてきた『時給、九百円!!!!』には噴き出すのをこらえるのに必死だった。自分を全く飾ろうとしていないのだ。いくら本音が聞こえても、あれだと、アレルギーの出ようがない。そういう意味での、合格、だった。

(いや……だけど……)

 島田は彼女の別の一面を思い出して、目を細めた。

 笑ってくださいと自虐ネタを披露して、でも「笑わないで」と心のなかでは悲鳴を上げている。すでにルーチン化しているのは、それだけ何度も同じ思いをしてきたということだろう。痛々しくて、思わず手を差し伸べてしまった。

 可愛くなりたいのが女子といういきものだろう。そう思っていた。だけど、さくらはその真逆を突っ走っている。

 彼女の外面であるリケジョという顔に、興味を惹かれたはずだった。だが、そこからかいま見える普通の女の子の顔が、島田はなぜか気になって仕方がなかった。

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