6 いざ面接へ

 さくらの前で男が笑っている。顔はぼやけているが、子供みたいな笑顔をしていることだけわかる。

「さくらちゃん、この後暇? 夕食一緒にどうかな。もちろん、皆に内緒で」

(あり得ないってば)

 さくらの半分は必死で叫んでいる。それなのにさくらの残りの半分はうっとりと男を見つめていて、夢心地だ。なぜか鏡を見ているように自分の顔が見えて、うっと息を呑む。

 桜色に頬を染めている。そしてしっかりフルメイクだ。最大限に美化された自分の顔。

(その顔、乙女入っていてキモチワルイ! ちょっと止めて!)

 叫び声と共に場面が切り替わり、どこかのキッチンに男とさくらが居た。

 安アパートのキッチンではない。高級マンションのシステムキッチンだ。モデルルームなどにある、ステンレスでピカピカのヤツだ。

(これって――例のアレだよね!?)

 分かっているのに目の前の映像はさくらの願いも空しく流れ続ける。さくらの半分は惚けた顔で醜態を晒し続けている。

「さくらちゃん。夜食作ってくれたんだ。ありがとう」

 男が目を細めて、礼を言う。

「すごくおいしい」

 口元が緩むと笑顔が甘くなる。どちらのさくらも心臓が爆発しそうだった。

 だが、惚けていない方のさくらは、必死で突っ込む。

(お前はどんなキャラだ。そして、これはどんなシチュエーションだ!)

 そんなさくらに男が爆弾を落とす。

「いっそ、俺のお嫁さんになってくれない?」

 突然のプロポーズを受けて、血が逆流し、身体が沸騰する。

 っていうか暑い。そうだ、今は夏で、部屋のエアコンは切ってあって……つまりこれは。

(って――このキモチワルイ〝夢〟を見ているのは、一体誰――) 

 壮絶な不快さに助けられてさくらは飛び起きて、ここ数年の中で一番の悪夢から脱出した。

 凄まじい寝汗。おでこに髪が張り付いている。浴室にダッシュすると服を着たままシャワーで頭を冷やす。

 しかし生々しい映像はなかなか流れて行かず、さくらは思わず呻く。

「ああああああ、なにこれ――もしかして発情期!?」


 *


 その後さくらは冷水を浴び続け、同時にあれは気の迷いだと念じ続け、煮立った頭をなんとか正常に戻した。そして例によって暑さに部屋を追い出され、研究室で調べ物をしていた。

 気になることを消化不良にしたまま寝てしまうからああいう妙な夢を見てしまうのだ。さっさとすっきりさせようと思った。

「えーと、エイチティティ、ピー、コロン、スラッシュスラッシュ…………」

 マッキントッシュを立ち上げ、ブラウザのアドレスバーに名刺に書かれたアドレスを直に打ち込む。

「あれ? おかしいな、間違えた?」

 なぜか名刺とは違う会社名のホームページが現れて、首を傾げていると入り口のドアが開いた。

「はよー。今日も早いねー」

 藤沢だ。さくらは顔に喜色を浮かべる。

「あ、おはよー。待ってたんだ」

 後ろから広瀬も現れる。

「さくら、昨日はどうだった?」

 尋ねられながらなぜかりんごジュースを渡され「なんで?」と首を傾げた。

「昨日イタリアンだったんでしょー?」

「うん」

「ニンニク食べた後はりんごジュースが一番良いと思う。藤沢は良いとして、さくらは気にしないと思ったから途中で買って来た。あげるよ」

 つまりは臭いが迷惑だと言いたいのか。苦笑いしながらもさくらは礼を言ってストローの封を切る。

 ジュースは一晩で空になった胃に瞬く間に染み込んだ。確かに僅かな清涼感。眉唾だが効くのかもしれない。

「あれからどうしたの? 島田サンとは?」

 藤沢に問われ、ようやく落ち着いたはずの心臓がどきりと跳ねる。

「特になんにもないよ」

 動揺を顔に出さないようにとヘラリと笑って誤摩化すと、藤沢は残念そうに口を尖らせた。

「まぁねぇ。さくらがお持ち帰りされるってことは天と地がひっくり返っても無いと思うけど、あ、ミサちゃんは水野サンを持ち帰ってた?」

 立て続けに質問されて、渇いた笑いが出る。まず、逆じゃないのか。その表現は。

「ミサちゃんのことはわかんない。なんか、最後の最後で島田さんに鞍替えしてたよ。島田さん、逃げてたけど」

「えー? なんで。水野サンをお持ち帰りする気満々だったじゃない?」

 確かに水野が食われたと言った方がしっくりくるな、そんなことを考えつつ、「多分これのせい」さくらは貰った名刺をテーブルの上に載せた。

「…………」

 藤沢と広瀬はじいっと名刺に見入った後、

「ええええええ!? 副社長!?」

「もしかして青年実業家とかそんな感じ!?」

 と同時に叫んだ。

「なんだ。藤沢は知ってるのかと思ってたのに」

「いや……彼氏も実家の仕事としか言ってなかったし……あ、もしかしたら口止めしてたのかなー?」

「でも普通肩書き出した方がモテるよね? ミサちゃんも名刺貰って目の色変えてたし」

「それが鬱陶しかったとか。ほら、あんまり女に興味なさそうだったし」

「うん。だよね。ミサちゃんに反応しなかったし。興味ないのになんで来たんだろ。藤沢、なんか聞いてる?」

 藤沢は詳しいことは知らないと首を横に振る。

「超好みがうるさいとか? 訳ありっぽいよね。ふぅん……そっか。大穴当てたねー、さくら。玉の輿とか狙ってみたら?」

 さくらは肩をすくめた。

「っていってもなぁ……ほんとに副社長だとしても、会社の規模とかいろいろだし。社員十名とかのすごい小さな会社かもしれないよね。ほら、お父さんが社長で、とか」

「まあねー、一人でも会社作れるもんねー。ま、副社長だから社長と合わせて二人はいるんじゃない?」

 藤沢の言葉に横で聞いていた広瀬が、夢が無いなあとのんびり笑う。

 皆、就職活動を経験しているからこそ分かることだ。学生課に張り出された求職情報を、目を皿のようにして見た。給与や待遇だけでなく、会社の規模から歴史まで全部チェックした。世の中には色んな会社があるのだと驚いたものだ。

 それでも必要以上に現実的に考えてしまって、手放しで夢が見られないのはリケジョ故なのかもしれない。

 夢を見ると、ツッコミを入れる自分が常に隣に居るのだ。今朝のあの夢が良い例だ。

(藤沢にも広瀬にも、あの夢のことは死んでも言えないなー)

 さくらが密やかにそう思っていると、藤沢があっと声をあげた。

「あ、調べてみたらいいんだ。ほらアドレス書いてあるし」

 さくらは首を横に振ってディスプレイを指差す。

「それがさあ、さっき調べてみたんだけどさ。違う会社が出て来て……これなんだけど、怪しくない?」

「株式会社島田美装。本社福岡県福岡市。資本金一億。従業員数300名。事業内容はインテリア資材設計販売――」

 藤沢が画面の文字をブツブツ読み上げる。

「資本金一億って、結構大きな会社だよね。でも別物? アドレスが間違ってるのかな」

「でも島田美装でしょ? ここにもほら」

 広瀬がマウスを横取りし、会社概要のリンクをクリックして、目ざとく見つける。

「島田……栄介?」

 広瀬の指の先にあるのは代表取締役――社長の名前だ。スクロールして下まで見てみても、副社長の名は別の名で、非常勤の取締役に島田泰介という名があるだけ。〝介〟の字は気になるが、よくよく考えると島田という苗字も啓介という名もありふれている。

 他のページを見ても事業内容、会社までの地図などが載っているだけで、めぼしい情報は見つからない。

 名刺の住所と比べても、島田美装は西区、SHIMADAは中央区だ。

「なんか、違うっぽい」

「偶然? それとも関連会社とか、親族なのかなあ、よく分かんないね」

「ま、期待しないで行ってみるか」

 ページを閉じつつ、ぼそっと呟くと、

「行ってみる?」

 藤沢は耳聡く聞きつけた。

「たまたまバイトをクビになった話をしたんだけど、雇ってあげるってさ」

 かいつまんで言うと、「おおおお!」と二人は興奮した声をあげた。

「やったじゃん! これでなんとか卒業できるんじゃない!?」

「うん。ありがたいので面接行ってみる。田中氏推しってことなら、そんなに心配要らないだろうし……っていうか正直、選んでられない状況」

 藤沢はワクワクと顔を輝かせている。当事者でなかったらさくらも同じような顔で、この非日常を楽しんだだろうと思う。

「もし本当に御曹司だったら、さくら、永久就職狙っちゃえ」

「いいねー」

 気楽に囃す二人を見ていると難しく考えなくて良い気がしてきた。履歴書をテーブルの上に出す。そしてお気に入りの万年筆を出して早速記入を始めた。そうと決まれば行動は早い方が良い。

「今日の帰りがけに、ちょっくら行って来る」

「今日? そんな急に?」

 広瀬が驚き、

「うん。善は急げだし、お給料ないと干からびて死ぬし。あ、先生には就職活動行ってきますって言って来ないと。それから……そうだ、実験早めに済ませないとな。〝みどりん〟の植え付けをしてから……っと、それと遠心分離器誰か使う? 使わないならすぐにかけて来る」

 いそいそと準備をし出すさくらに、藤沢が慌てた。

「ちょっと待て、帰りがけってまさかその恰好で行かないよね? 即不採用だよ」

 白衣の下にはいつものTシャツとジーンズ。勢いを削がれてさくらは眉を寄せた。昨日のファッションショーの残骸は未だ放置してある。夜は気が昂っていて、朝は気力が無くて片付ける気にならなかったのだ。

「だめか、やっぱり。じゃあ着替えていく」

「当然。スーツにしなさい」

「暑いからやだなー。それに、また化粧……か」

 渋ると、藤沢は惜しそうにする。

「いつもすれば良いのに。昨日のメイク、可愛かったよ」

 隣で広瀬も頷く。

「昭和風だけど、綺麗な顔してるんだから勿体ないよ」

「昭和って言うな」

 気にしていることを言われてさくらは腐る。切れ長の目、薄い唇は確かに四、五十年前に生まれていれば美人と言われただろう。

 そのおかげで、田舎ではじいちゃんたちのアイドルなのだ。モモエちゃんに良く似ているともてはやされ、ネットで調べたら祖父母世代の大スターだった。だが、じいちゃんにモテてもあまり嬉しくない。

「工夫すればもっと可愛くなるよ。ミサちゃんにだって負けないし」

 広瀬は熱弁するが、さすがにそれは言い過ぎだろうと苦笑いをした。ミサちゃんは現代風のギャルだし、とりあえず胸で――いやまず気概で負けていると思う。

「めんどくさいし、興味ないし……何となく毛穴が塞がって息苦しい感じがするんだよ。ほら皮膚も呼吸するって言うし」

「後付けで言い訳するな。あんたのは、最初のが本音100パー。ものぐさなだけ」

「バレたか」

 藤沢に速攻で見破られ、さくらは笑ってごまかすと〝みどりん〟の世話を急ぐことにした。



 福岡市中央区は――特に地下鉄天神駅周辺は――福岡県を代表する商業地。それどころか九州で一番栄えている場所だと思う。老舗のデパートが密集し、それを多くの企業ビルが取り囲んでいる。

 昼間のうちに熱せられたアスファルトの上を、勤めを終えたサラリーマンやOLがいそいそと歩く。中央を走る片道五車線の道路にはバス停がずらりと並んでいて、様々な行き先のバスが続々と到着しては、列を作った乗客を、口を開けてどんどん飲み込んで行く。

「えーと、中央区赤坂四丁目三番地……」

 さくらは人の流れを逆行するように地図を見ながら歩く。事務所は西通りに面していて、繁華街から少し路地に入ったところだ。

 ここには昼間は営業していないお洒落な飲食店が立ち並んでいて、夜になると雰囲気を変える。この間の合コンがあったお店もこのエリアにあった。

 さくらの前に勤めていた中洲も似たようなものだが、あのエリアは夜に出歩く人間は割合年齢層が高かった。しかし西側のこの辺りではおしゃれな若者が闊歩している。そういえば雑誌のデートスポットにも上がっていたな……そんなことを思い出した。

 さぞかしお洒落な職場だろうな――名刺を見つめながら探すが、背の低い建物が連なっており、該当しそうなオフィスビルは見当たらない。

「これも間違ってたりして」

 今朝のホームページのことを思い出して、さくらはもしかしてからかわれたのではないかという不安に駆られた。

「うーん、三番地ってこの辺りのはずなんだけど。イデアール赤坂二番館」

 と、そのとき、後ろから自転車が近づく音がして、さくらは思わず道の脇によける。自転車がさくらを追い抜く。同時に通り過ぎた風に誘われてふと前を見て思わず目を見張った。自転車の主はスーツの男だった。しかし漕いでいるのはクロスバイク。背中にメッセンジャーバックを背負っている。そして頭にはヘルメットだ。

 僅かな既視感、そして違和感にじっと観察すると、その人がさくらの20メートルほど先でキキっとブレーキをかけ、道の脇に自転車を停めた。 

 鍵をかけ、そのまま彼は建物の中に足早に消えて行く。

 誘われるようにさくらは自転車に近づいた。ロードバイクというのだろうか。細いタイヤで細いペールグリーンのフレームのお洒落な自転車だ。

(なんだか高そう)

 詳しくは知らないが、さくらの持っている自転車ママチャリの数倍の値段がしそうだった。

 見上げると、三階建ての古いマンションがあった。上部には文字が浮き出すように付けてある。古い建物には似合わず、シルバーの凝った文字でそこには確かに書いてあった。――イデアール赤坂Ⅱと。

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