4 冬生まれのさくら

 最後のメンバー――女子大の有名人――《英文学科のミサちゃん》の到着とともに、一行は合コンの会場になっている西通りのイタリア料理の店に入った。

 オレンジ色の壁には、野菜や料理などの鮮やかな絵が直に描かれている。明るい雰囲気の店だ。

 ニンニクの香りが漂い、さくらのお腹が鳴りそうになる。幸い店は騒がしく、音がなっても周囲には響かない。

 細い通路を予約していた席まで歩く途中、傍に寄って来た藤沢がげんなりとした顔で囁く。

「ホントは別の子呼ぶ予定だったんだけどさ、都合つかなくって。合コンの匂いを嗅ぎ付けてうちの学科まで来たんだよ。すごい嗅覚。犬かよってね。学部違うのにさ。とにかく……盛り過ぎでしょ、あれ」

 藤沢がひそひそと言うのはミサちゃんの胸のことだろう。

(……気合い入れ過ぎでないかい?)

 黒目がちの大きな目が印象的な、愛らしい顔立ちに似合うピンク系のナチュラルメイクに、膝丈のピンクの清楚なワンピース。コンサバティブな服装はきっと男性にすこぶる受けがいいはず。

 だが、僅かに開かれた襟刳にはキラキラのパウダーが叩かれているし、盛り上がった胸は藤沢が言うようにさり気なく、だが確実に下着で矯正されていた。以前学内で見かけた時にはあんなではなかった。同性のチェックは意外に厳しいのだ。

「えー? 皆さん九大出身なんですかぁ? すっごおい」

 知って来ただろうに、黄色い声で媚を売るミサちゃんだ。ここまで露骨だと却って清々しい。というか、むしろ助かったという気分だった。これでトークは任せて食べることに集中できる。

 田中が「同じ学科だったんだ」と気軽に答えている。しかし藤沢の鋭い視線に気が付くと、慌てて顔を引き締めた。

『後で覚えていなさいよ』

 藤沢の口が無音で動くのを見て、ぞっとしたさくらは目を逸らして、ふと前を歩いていた別の目とかち合った。例のペアルックの男がこちらを振り返っている。

 彼は会話に加わらず、携帯の画面を覗き込んでいたようだった。さくらと目が合うとぷい、と目を逸らした。

(あれ?)

 合コンではふさわしくない態度に思える。さくらがあまりにも好みの範疇から外れているのだろうか――

(うん、あり得るな)

 と考えかけたが、かといって彼はミサちゃんや藤沢に興味を示しているというわけでもない。乗り気でないのがあからさまで、話しかけるなというオーラさえ見えた。

 照明のせいかもしれないが顔色も悪く見える。気を悪くする前に、どうしたのだろう、具合でも悪いのだろうかと心配になる。そのとき、区切られたエリアに辿り着き、店員がテーブルの上の予約席の札を取り外した。

 深い赤のソファが二列に並んでいて、その間に長いテーブルが置かれている。天井は低く、隠れ家的。オレンジ色の照明が落ち着いた雰囲気を出している。

「じゃあ、各々好きなところに座ってー」

 田中に言われ、奥は席を外しにくいな……と思いながら見ていると、男性陣が先に並んで腰掛け始めた。

 チャラいイケメンが奥に座り、わかりやすく彼に狙いを定めたミサちゃんも続いて奥に座った。藤沢が続いて座る。藤沢の前には田中がいて、ミサちゃんたち二人との壁になっている。どうやらそういう風に打ち合わせていたのだろう。

 通路側で、逃げ道を確保できてほっと顔を上げたさくらは、前に座ったペアルック男と目が合った。

 野暮ったい黒縁眼鏡の奥の目は伏せられている。髪は全く染めていない黒。眉にかかるくらいの長さで整えられている。襟足も短いが、癖があるのか、所々寝癖のように撥ねている。服装や眼鏡のせいで真面目そうに見えるのだけれど……本当に地味かと再考して首を傾げた。どこかちぐはぐさを感じたのだ。続けて観察しかけたところで、店員が飲み物の注文をとり始める。

 飲み物ビールと前菜のエビとアボカドのサラダ、サーモンのカルパッチョが届いたところで、田中の音頭で乾杯をする。この場合何に乾杯なのだろうと疑問に思いながらも、さくらはビールを一口飲む。元々あまり好きではないのだが、夏に飲む最初の一杯だけは美味しいと思う。

 続けて、慣例として、一通り皆で簡単な自己紹介をすることとなる。

 まずミサちゃんのフルネームは青山美砂あおやまみさというらしい。さすが女子大一の就職率の英文学科だけあって、損保会社の総合職に就職が決まったということ。あとは卒論を残すのみで、卒論のテーマは不思議の国のアリスだそうだ。キラキラとした別世界に純粋に感動しながらも、さくらは黙々とサラダを頬張った。

 ミサちゃんの目の前のチャラいイケメンは水野拓巳みずのたくみといって、輸入品を扱う総合商社――さくらも知っている有名企業――に勤めているそう。いわゆるエリートだ。金持ちそうだというさくらの予測はどうやら外れていなかった。

 田中と藤沢の紹介は幹事ということで簡単に済まされ、さくらの番になる。さくらは皿の上のカルパッチョから目と心を離すと口を開いた。

「え、ええと……博多女子大学、生物科学科四年の片桐さくらです」

「ふうん、さくらってことは、春生まれなんだー?」

 話題作りなのだろうか。奥から水野の問いが飛んできて、さくらはギクリとする。

 小さな声で否定する。

「いいえ、ええと十二月生まれで」

「さくらなのに冬生まれなの?」

 イケメン水野は軽いノリで聞いてくるが、

(聞いてくれるな)

 心の中で涙を呑みながら、由来を話そうかどうか悩んだ。

「ええと、さくらのように強く美しくという由来らしいデスケド……」

 それも十分恥ずかしい由来。だがそれ以上に真の由来は恥ずかしい。

 さくらの名は彼女のじいちゃんが付けた名だ。彼はかの有名な日本映画『男はつらいよ』の大ファンだった。そして主人公フーテンの寅さんの妹『さくら』に恋をしたあげく、孫娘にその名を付けたのだ。家族の大反対を押し切って。

 物心つく頃に知って割としっかり傷ついたが、ばあちゃんの言葉「さくらのように美しく~」の由来を被せてなんとか克服した。そして育つにつれて笑いを取ることでコンプレックスを払拭することを覚えたのだ。

 いつもなら笑い話にできるが、合コンで披露するようなネタではない。学内の飲み会ではないのだ。ネタを披露して道化になるのはなんだか間違っている気がする。

 モヤモヤとした想いにとらわれて口が動かない。唯一真相を知っている藤沢が隣で何か言いたげな目をしている。気まずい沈黙に頭が真っ白になりかけたところで、突如前にいたペアルック男が口を開いた。

「生物科学科ってどんなことするの」

 沈黙が消え去り、さくらは助かったと顔を上げる。

「えっと、光合成の研究でミドリムシを育てています。ミドリムシっていうのは葉緑体を持つ単細胞生物で、……」

 卒論のテーマをかいつまんで話すはずだったのに、男は「ミドリムシ?」と興味深そうに相槌を打ってくれた。

(え、〝みどりん〟の可愛さを語っていいの!?)

 熱がこもりそうになったさくらだったが、特性を知る藤沢に、「長くなるからまた後でね」と途中で遮られる。

 最後になった彼は「島田啓介です」と名前を名乗った後、「実家の仕事を継いでます」とだけ言った。

「お店か何かやってるんですかー?」藤沢の向こうから美沙ちゃんが可愛らしく問うけれど、

「まぁ、そんな感じ」

 島田の冷ややかな返答にさくらは違和感を覚える。

(やっぱりミサちゃんにも興味持ってないみたい……変な人)

 空になった大皿を前にさくらは首を傾げた。



 フレッシュトマト、バジルとカマンベールチーズのたっぷり載ったマルゲリータに、削ったばかりのゴーダチーズがたっぷりのカルボナーラ。どちらもホカホカと湯気が立っている。待ちに待った炭水化物がようやく届き、サラダやカルパッチョでは満たされなかったさくらの胃は、さくらに早く料理を届けろと命じる。

 周囲ではミサちゃんを中心に世間話に花が咲いているけれど、耳半分でさくらは料理に集中だ。藤沢が肘で脇腹を小突いてくるが気づかないふりを貫いた。だが、

「そういえば、さっきの卒業研究そつけんの話だけど、ミドリムシで何を研究してるわけ?」

 ふと島田が問い、さくらは皿から顔を上げた。普通の世間話なら、流してしまうところだったが、ミドリムシが話題ならむしろ張り切ってしまう。しかし、引き続き興味を持たれたのは意外だった。

「え、それ聞いちゃいます? 長いですよ? 終わりませんよ?」

 藤沢が焦るが、島田は「だってまだ話し足りなそうだったし」と頷いてさくらを促す。

「えーと、研究室全体で光合成の研究をしてるんです。で、私は、ミドリムシの中にある葉緑体を取り出すのをテーマにしていて」

「取り出す研究?」

 さくらは頭をひねる。カルボナーラをくるくるとフォークで巻きながら、目を天井に泳がせた。

 どう話せば分かりやすいかを組み立てて、ゆっくりと説明した。

「ええと、葉緑体の活性って季節ごとに変わるんです。でもそうなると実験結果に大きな誤差が生まれて困るんで、年中同じ環境で、しかもいつでも大量に栽培できるミドリムシを使おうとしてるんですよ。その方法を確立するっていうのが狙いで――ね、藤沢?」

 話を振ると彼女は頷くが、やれやれと呆れた様子だった。

 藤沢と広瀬はほうれん草を使った研究をしている。ほうれん草の活性が一番高いのは冬で、その時期のものがずっと手に入れば最高なのだが、冬まで待っていたら卒業研究など終わらないのだ。

 と、そこまで一気に話し終え、さらにどうやって葉緑体を取り出すのかというメソッドの説明に移ろうとした時、

「すみません、島田さん。さくらって、研究のことになるとついつい熱が入っちゃって」

 藤沢が密かにフォローを入れ、さくらは熱心に語ってしまったことに気づいて後悔した。

(しまった、そうだった、今は合コン中……!)

 こうやって語って何度もドン引きされたのに。今度もきっとそうだろう、そう思っていたが、

「いいや? 面白かったけど。つまり補助的な研究ってわけね?」

 島田は不思議そうに首を傾げる。的を射た言葉に驚いてさくらは尋ねた。

「話、分かりました? ええと、経済学部って文系じゃなかったですか?」

「まあそうだけど……。でも、活性がなんなのかはさすがによく分かんないけど、光合成、葉緑体くらい誰でも知ってるだろ?」

 頷く面々だったが、

「えーあたし知らないですー! 皆さん、さすがぁ。すごいですねえ!」

 奥の席でミサちゃんが感嘆の声を上げる。だが、アピールが少々わざとらしい。しかも目が笑っていない。話の中心にさくらが居るのが気に食わないという気持ちがにじみ出ている。

(いやいや、知らないって――光化学反応とかカルビン回路とかマニアックなこと言ってるわけじゃないんだから)

 さくらの大学の英文学科は結構な難関だ。まずセンター試験の勉強をしていたら知らないはずは無い。それどころか光合成は中学校の理科で習うことだ。あざといなあと苦笑いしてぬるいビールを飲みほしたとき、

「うそつけ」

 どこからか同意の声が聞こえた気がして、顔を上げるが、目の前では島田がひょうひょうとビールを飲んでいる。空耳だろうかと思っていると、「ちょっと――失礼」と島田は顔をしかめ、首のあたりを押さえながら席を立った。

 トイレだろうか。飲むと近くなるけど早いな。そう思っているところに次の料理がやって来て、さくらの意識は瞬く間に逸れた。

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