リケジョの取扱説明書

山本 風碧

 マンションの前で待ち構えていた人影に島田は目を細めた。暗がりで顔は見えない。だが、その正体はすぐに知れた。

「姉ちゃん?」

「啓介。待ってたわよ」

 声とともに一歩踏み出した人影に外灯の光があたる。姿を現すのは、今風の垢抜けた美人。とてもじゃないが島田より十歳も年上には見えない。

 普段、彼を甘やかし、『けいちゃん』と呼ぶ姉が、名前をフルで呼ぶときはろくなことがない。たいてい保護者モードにスイッチが入っているのだった。

 お説教の理由に心当たりはあるが、おとなしく言うことを聞くほど若くもないし、良い子でもない島田は、踵を返しかけた。

 が、すんでのところで首根っこ――ワイシャツの襟を掴まれた。

「まぁた合コンを抜けてきたって? さっき幹事から電話かかってきたわよ、急に帰ったって。本社の刺客がうざいとか言うから、わざわざセッティングしてやったのに!」

 このままでは首の筋を違えてしまう。島田は諦めて姉を振り向いた。

「最初からすぐ帰るって言ったし、姉ちゃんの顔を立てて一応顔は見せたし。だいたい、本社から送り込まれる見合い相手も嫌だけど、姉ちゃんの選んだ相手もそう変わらない」

「可愛くっていい子ばっかり厳選してるわよ! 話もろくにしないくせに、贅沢言わないでね!」

 島田はむっと顔をしかめる。

 勝手に取り付けられた話だったが、義務として話はした。した直後に逃げ帰ってきたけれど。

「可愛いとか関係ねーし、ってか、姉ちゃんの好みを押し付けられるの、迷惑だし」

 むしろ美人でなくても、ある一つの条件さえ満たせばそれだけで好きになれそうな気さえした。それだけ島田の抱える事情は深刻なのだ。吐き捨てるように言うと、姉の堪忍袋の緒は切れた。

「あーあーあ、どうしてこげんわがままに育ったんかなあ、けいちゃんは!」

 昔はあんなに可愛いかったやろうが! と方言でがなりたてる。怒り心頭。スマホの写真フォルダを漁り始める姉を島田は

「やめろ! いえ、それだけはやめてください!」

と遮った。幼少期に撮られた写真群は島田の弱点なのだ。姉は後生大事にとってあるそれらを、島田がやらかす度にフェイスブックに上げるのだった。今のところ可愛いで済む写真しか上がっていないが、可愛いで済まない写真だってあるから気が気でない。いつか奇襲攻撃でフォルダごと全削除してやると企んでいる。が、今はその時ではない。

「何回も俺の体質について説明しただろ! 診断書も見せたよな!? 俺、だめなんだって!」

「それずっと言ってるけど、嘘でしょ。私や香苗や母さんは大丈夫でしょうが」

「姉ちゃんたちと母さんは女じゃねーし」

「なんですって!?」

「――ってほら」

 診断書が効果なしならと、ネクタイを緩めて首をはだけさせる。そしてさらに腕をまくると、合コンを抜けださずにいられなかった〝理由〟を見せる。肌に広がる蕁麻疹――赤い斑点は少々グロテスクだ。さすがの姉も怯んだが、ここまでしないときっと引き下がらないと思った。

「これ出ると二、三日悲惨な思いすんだよ。そもそも、俺がこんな体質になったのって誰のせいだと思ってる? 姉ちゃんたちが俺に女の恐ろしさを教えたからだろうが!」

 多少は責任を感じているのだろうか。姉は気まずげに目をそらすと遠くを見る。だが、静かに通常モードに戻ると、

「良かれと思ってやったのに、失礼な。あんたが繊細すぎたのよ。責任転嫁しないでね」

 とにっこり笑った。プライドが高い姉は、弟に対してなど、決して謝らない。

「いい大人が責任逃れすんなよ」

 正論をぶつけると、姉は「だけど」とまっすぐに島田に視線を返した。

「あんただって、いつまでもこのまんまでいいとは思ってないよね? もう二十七になるんだし、猶予はそう長くないわよ。私の選んだ子が気に入らないんなら、せめて少しは自分で動いたらどうなの?」

「……言われなくてもわかってる。自分で探すから、放っておいてくれ」

 姉は肩をすくめ、それっきり自宅の扉を閉めた。島田は階段をのろのろと登る。島田の家は同じマンションの上階にある。三階建ての低層マンションは親の不動産で、子供らはその恩恵を享受しているのだ。

 部屋に帰ると、3LDKの空間が彼を迎えた。リビング以外では、一部屋は寝室に使っているが、あとの部屋はまったく使っていない。一人暮らしでは持て余すのだ。

 冷蔵庫からビールを出すと、リビングに向かう。着替えもせずにノートPCを立ち上げる。

 ぽん、と小さな電子音を立ててメールが着く。開いてみるとそこには旧友田中からのメール。

『おまえ水曜、確か定時あがりだろ? 合コンのメンバー足りないんだけど、参加しないか? 啓介に合いそうな女の子が来るらしくって。俺の彼女のイチオシなんだ――』

 内容に驚く。田中とは高校大学と一緒で長い付き合いだが、こんな誘いははじめてだったのだ。

 普通ならば軽く断る誘いだったけれど、頭のなかに残る姉の言葉と、全身に広がる痒みが島田に返信を促していた。

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