第86話ステラの秘め事
私の一日は日の出で始まります。
その日の予定については屋敷に滞在しているメンバーの有無で変化します。
まず、起きて最初にするのはメイド服の選択です。
「うーん。今日はどれにしようかなぁ」
目の前には煌びやかな衣装の数々がハンガーにかけられてずらりと並んでいます。
何故こんなに衣装があるのかと言うと、御主人さまが私の為に用意したからです。
普通、館に勤めているメイドにこんな高級な生地を使った衣装を与えません。ましてや、大金を払ったのか簡単な防護魔法も付与されているのです。
「これにしよっかな」
私はその中から一つのメイド服を選びます。紺のノースリーブに白のフリル付きのエプロン。肘から先は袖口をフリルで彩ったアームカバー。そしてこれだけは毎回身に着けているホワイトブリム。
何故これを選んだのかと言うと、これを身に着けた時の御主人様の反応が良かったからです。
私はそれらを手早く身に着けると鏡の前でターンをして見せます。
「うん。今日も可愛い」
笑顔が一番。私は鼻歌を歌いながら部屋をあとにしました。
「うぅ……ただいまぁ……」
「ふう。疲れました」
炊事場で洗濯をしていると、エレーヌさんと亜理紗さんの声がします。私はタオルで手を拭くと二人を出迎えます。
「お帰りなさい。エレーヌさん。亜理紗さん。お疲れ様です」
心なしかげっそりしているエレーヌさん。
「ただいまぁ。今回のダンジョンは鉱山フィールドが広くて大変だったんだよぉ」
「エレーヌが派手な魔法でモンスターを集めるからじゃないですか。静かに活動すれば楽に抜けられたのに」
「仕方ないんだよ。トード君に夜な夜な付き合わされて加減が出来なくなったんだもん」
二人はダンジョンから帰ってくるなり言い争いを始めます。
「文句言わないでください。ずるいですよ自分ばかり直哉君に……。私も魔法覚えたいです」
ダンジョンに行かない間。エレーヌさんは夜な夜な御主人さまに呼ばれて部屋に行くのです。そして御主人さまに何かを頼まれてはご機嫌になっています。
その事でなんらかの報酬を貰っているのは明らかなので、亜理紗さんはそれに不満があるみたいですね。
「それよりも二人はどうされますか? 簡単な食事で良ければ30分頂ければ用意できますけど」
「うん。お願い。その間にお風呂入りたいんだけど……」
「先程掃除をしてお湯を張っておいたので直ぐに入れますよ」
二人がダンジョンに向かった場合、戻るのは大体この時間なので事前に用意しておいたのです。
「さっすが。じゃあアリサっ! 一緒に入ろうよっ!」
「いいですけど……あまり見ないでくださいよ?」
そう言って二人はお風呂に向かいます。私はそんな二人の仲の良さを羨ましく思いながら、食卓の準備に向かうのでした。
「……おはよう。です」
エレーヌさんと亜理紗さんが食事を終えてそれぞれの部屋に戻った後、シンシアさんが起床しました。
「おはようございます。直ぐに朝食の準備しますね」
私は、豆のポタージュスープをマグカップに注ぎ、焼きたてのパンをバスケットごとテーブルに並べます。
「はむ。美味しい。です」
「ありがとうございます」
リスのように頬を膨らませてパンを食べるシンシアさん。彼女の素直な感想を聞いてお礼を言います。
「こっちはサンドイッチです。今日も出掛けられるんですよね?」
「うん」
シンシアさんは毎日朝から出掛けて夜に戻るという規則正しい生活をしています。
この屋敷に越してきた時はどこか思い詰めていた表情をしていましたが、最近は御主人様とデートをしたせいなのか、昔のように穏やかな表情に戻ってます。
「ステラ」
「はい?」
「いつも。ありがとう。です」
いつの間にか食事を終えたシンシアさんは照れ臭そうに私にお礼を言います。
「どういたしまして」
私はそれに笑顔で答えました。
エレーヌさんと亜理紗さんが寝付いて、シンシアさんが出掛けると取り合えず静かになります。
ご主人様は最近一人で夜通しで起きて何かをしているので、昼を過ぎるまでは起きてきません。
私はその時間を利用して、屋敷の掃除をしていきます。
シンシアさんの寝室に入ってシーツを交換して、御主人さまの実験場に散らかっている廃棄物を区分けして。
他にも、装飾の壺やら絵画が痛まない様に布で拭いたり。それなりに広い屋敷なので掃除にしてもやりがいがあります。
「さてと。大体片付いたかな」
集中して掃除をしていたので、結構な時間が経っていました。私はそろそろ御主人様を起こそうと掃除道具を片付けると部屋へと向かいました。
「御主人様。そろそろお昼ですよー。起きてくれないと台所が片付かないんですけど」
ドアをノックするけど反応はありません。御主人さまは宿に泊まっていた時から寝たら起きない人なのです。
私は慣れた様子で部屋に入るとベッドに横たわる御主人様を発見しました。
黒髪黒目の生意気な少年。その印象は出会った時から一切変わりません。
「御主人様。もうお昼ですよ」
私が優しく揺さぶった所で御主人様は起きません。それどころか身を守ってるつもりなのか身体を丸めて拒絶するようです。
「抵抗しないでください。今日はやる事があるから昼に起こせと言ったのは御主人様ですよ」
私は逃げる御主人さまを追いかけるためにベッドに乗り上げると彼の肩を掴みます。
細身の割にはがっしりした肩。お父さんとは違うけど男の子なんだなと妙に意識をしてしまいます。
そんな、事を考えていると一瞬の隙が生まれてしまいました。
「うぅーん。むにゃむにゃ」
「えっ?」
御主人様の腕が伸びてきて私を引っ張ったのです。
気が付けば私は御主人様に抱きしめられて硬直していました。
「やっ。ちょっと……駄目ですって」
これには流石に焦り声がでます。起きてるときは私の方からからかう事もあるのですが、すげなく返されてばかり。
こういった行動をされるのは魅了のスキルを使った時に抱きしめられて以来だからです。
「もう離さないぞぉ」
寝ぼけているわりにがっちり抱きしめられていて抜け出せません。耳元で呟かれたせいで顔が熱いです。……仕方ないですよね。
「ふぁーあ。気持ち良い夢を見た」
それから暫くして御主人様が目を覚まします。私は乱れた衣装を整えると。
「おはようございます。御主人様」
「うん。おはよう。顔赤いけど風邪でも引いた?」
誰のせいだと思っているのですか。
あれから、起きる前兆なのか抱きしめる力が緩んだタイミングで私は御主人様の腕の中から脱出しました。
「それよりも、もうお昼過ぎてます。用事と言うのはなんだったんですか?」
「ああ。それね。それじゃあ早速やろうか」
軽快にベッドから降りた御主人様は私を促すと部屋をでました。
「よし。ここで最後だな」
あれから、私と御主人様は屋敷の外周を巡りあるアイテムを設置していきました。
「じゃあ、ステラ。暗唱言葉を設定して」
そのアイテムとは屋敷を覆う防護結界を担う結界石です。
なんでも、御主人様が持つ中でも強力なアイテムを組み合わせたらしく、無限に魔力を供給する上、最上級モンスターでもびくともしない結界を張れるとか。
「……じゃあ。『ナオヤ』で」
「何故に僕の名前っ!?」
深い意味はありません。皆さんのように名前で呼んでみたいと思ったとかそういう下心はありません。
「さあ? 頭を空っぽにして最初に出てきたのがその言葉だったので」
「君も何気に酷いよね」
御主人様が不満そうな顔で私を見ます。
「そういえばどうして結界を強化したんですか? もうすぐ御主人様は神界に赴くんですよね? ここの守りを強固にしても神界にいるのなら関係ないじゃないですか」
先日、見覚えのない封筒が二通届いており、御主人様に届けた所、中身は神界からの招待状だったようです。
御主人様と亜理紗さんは神候補として一年に一度は神界に集まる必要があるらしく近日中に屋敷から出掛ける予定だったはず。
ならば防護結界も戻ってからでも良いのでは?
私のそんな疑問に御主人様は……。
「えっ。だって僕らが居ない間にステラに危害を加える転生者が来るかもしれないじゃん」
予測していなかった返事をしました。
「これ……私の為だったんですか?」
「感謝してくれよ? 無限の魔法力には心当たりあったけど、結界を敷くための魔法陣を作るのに凄い苦労したんだから」
先日からずっとやっていた作業はどうやら私の為だったようです。御主人様は欠伸をすると目に涙を浮かべています。
「……どうして……そこまでしてくれたんですか?」
私は胸が熱くなり思わず御主人様に縋るような視線を送ってしまいました。御主人様は私から目を離すと頬を掻き。
「やっ。だって……君ってそれなりに有能だからね。使える部下を厚遇するのは当たり前だし。それにこの屋敷を切り盛りしてくれて助かってる訳だから……」
しどろもどろになり顔を真っ赤にする御主人様。そんな御主人様を見てると妙に切なくなる私でしたが……。
「つまり私の事が大事で大事で仕方ないからこの屋敷に閉じ込めて仕舞おうと? 流石御主人様ですね。私にデレるのは良いですけど、真剣に引きます」
「真顔で言うの止めてくれないっ!?」
先程の雰囲気は霧散するといつものやり取りになりました。
私は御主人様に顔を見られないように一歩前に出ると。
「……何が食べたいですか?」
「えっ?」
私は振り向くと。
「神界に行く前と戻ってきた時。待ってますからね。以前の時は置いていかれたけど、今度は絶対に戻ってきてください」
エレーヌさんとシンシアさんが御主人様を連れ戻しに出て行った時、私の中にくすぶる感情がありました。今まではそれを勘違いと決めつけていたけど、もう誤魔化せません。
「あっ、ああ。そうだな……戻ってきたらパンが食べたいかな」
「なんですかそれっ! 簡単すぎてやりがいが無いなぁ」
私は多分ずっと前から御主人様に惹かれていた。だから魅了のスキルを使わなかった。
「仕方ないだろっ!」
好きな人には小細工無しで自分を好きになってほしい。そんな女としてのプライドがあったのです。
「僕はどの店でもない、ステラが焼くパンが一番好きなんだからね」
「ななな、なんなんですか急に好きとかっ! こっちの世界じゃ一生のプロポーズですよっ!」
「いや。そんな意味じゃないからっ!」
だからこそ、気持ちは胸にしまっておきます。一度敵対してしまった私を拾ってくれたエレーヌさんやシンシアさん。
私に目を掛けてくれる亜理紗さん。
何より、私を守ると約束してくれた御主人様を困らせたくありませんから。
「そですか。今日のパンの出来はいつもより良かったんですけどね。御主人様がそんな態度するなら私が処分しておきます」
追いかけてくる御主人様を背中に感じながら私は残る家事を片付けに屋敷に戻るのでした。
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