4 カメ先輩のセッティング


「あはははははははははは」

 その顛末を聞いて腹を抱えて笑ったのは、カメ先輩。

 その日の海賊公園でのことである。


「そりゃいーや。デンドー、おまえ、いっちょう優勝狙ってみろよ」

「いや、優勝なんて無理ですって」

「なんにしろ、おれもその日は観戦に行くよ、コンクールも終わっているしな。サギ高レースはこのあたりじゃ有名で、いつもサギ高のミニ四輪同好会が結構な改造車で参加してきて、盛り上がるんだ。ドライバーのレベルもなかなか高くて、一説によると、地区大会で勝つより、サギ高レースで勝つ方が難しいと言われてるぞ」

「カメ先輩は出たことあるんですか?」

「ある。あそこはコースが特殊で面っ白えぞ。逆に言えば、あそこでそこそこ走れれば、公式戦でもかなりなところまでいけるよ」

「いきなりそんなレースに出て、ぼく、だいじょぶでしょうか?」

「へいきへいき。それより、試合までにスプリングのセッティング決めようぜ。あそこのレースなら、やはりハンドリング優先だな。これはちょっと、面白くなってきた」

 カメ先輩はすごく楽しそうであった。そんなに盛り上がるんなら、自分で出ればいいのに、と正直ぼくは思ったくらいだ。



 その何日か後、カメ先輩はツールボックスを持ってきて、ぼくのエリーゼのタイヤを調整してくれた。

 シャシーのバランスを一通り見てくれて、ネジを締め直したり、注油したり、クリーニングしたり、そのあとでタイヤのトーインだのキャンバーなんとかだのを決めてくれた。


 こういうのって、てっきりぼくは定規を使うのかと思ったら、カメ先輩が使うのは指先の感覚と目視確認だった。

 が、調整の終わったシャシーにボディーをのせて、走らせてみたが、ぼくは首を傾げてしまった。


「これ、なんか変わったんですか?」

「普通に走ってる分には、ちがいはわからねえよ」切れ長の目尻をちょっと下げて、カメ先輩は嬉しそうに笑う。「このちがいが分かるようになったら、デンドーも一人前だな」

「はあ……」

 試合の日まで、ほくは毎日のように海賊公園で練習した。一応ライバルになる中嶋くんは試合までは別の場所で特訓をしているそうで、こちらにはこない。


 なんかすごい超必殺技でも練習してたら怖いなと思いつつ、1人で黙々と周回を続けるのは、すこし寂しかった。




 試合当日。ぼくはアラームをセットした時間よりも、ずいぶん早く目覚めてしまった。

 なんか朝から身体がふわふわして落ち着かない。こういうときは、どっしり構えて試合に集中して挑みたいところだが、ぼくはどうやらそんな大物ではないらしい。


 早起きしたぼくは、忘れ物がないように、荷物を何度もチェックした。

 VRゴーグル。予備のバッテリー。カメ先輩から借りたツールボックスには、一通りの工具(カメ先輩の予備工具である)、パーツ、きっちり調整させてクリーニングされたロータス・エリーゼが収まっている。万が一のための充電器。Wi-Fiはサギ高が用意してくれるからスマートフォンは要らないが、一応持って行く。お母さんが用意してくれたお昼のお弁当。水筒。おかし。


 お母さんは日曜日も朝から仕事だから、ぼくは一人で起きて、1人で朝ご飯を食べて家を出た。

 地下鉄を一駅だけ乗って、階段をのぼるころには、すでにサギ高へ向かう人混みにまぎれていた。

 商店街のあちこちにポスターが貼られ、街角には立て看板が置かれている。

『サギ高祭 →200メートル』といった具合だ。

 もっとも、サギ高祭のチラシを手にした人たちがぞろぞろ歩いているから迷ったりはしないのだが。


 そして、その行列の中には、ぼくと同じようにミニ四輪用のツールボックスを持った奴らが混じっている。やはり小学生の男の子が多い。女の子もいる。少ないけど中学生や高校生。まれに大人も本格的な雰囲気でまじっていた。ぼくはこれから、こんな人たちと戦うのかと、すでにビビってしまい、自分が持っているツールボックスを隠したくなってしまった。もっとも、こんな大きなもの隠しようがないんだけど。



「おーい、デンドーくーん!」

 途中の道で中嶋くんと出会った。

「おはよう、サトシくん」

 最近はぼくも彼のことを下の名前で呼んでいる。

「きょうは頑張ろうね」とにっこり笑われたが、ぼくは「うーん」とちょっと首を傾げてしまった。


 二人して、派手に飾られたサギ高の校門をくぐり、人であふれる受付にいく。いくつもテーブルが並んでいて、ふつうの人は招待券を見せるか、ミニ四輪を見せるだけで中に入れる。が、レースに事前登録しているぼくらは、ここで受付を済ませないとならない。


 ネットで申し込んだ人は、申込用紙に自分の名前とマシンの名前を書き、列を進んで車検を受ける。

 サトシくんの説明によると、車検は公式レースだとシャシーを検閲してもらって違法パーツが使われていないかを確認したのち、ボディーを外せないよう封印シールを貼られるらしいが、サギ高レースは違法パーツの使用が許可されているので検閲はなし。シャシーダイナモというバンビ模型にも置いてあった、箱型計測器の上でミニ四輪のタイヤを回してパワーを計測し、車体重量を計って終了。このパワーと重量によってスタート位置が決まるらしい。

 つまり速そうなマシンが前の方で、遅そうなマシンが後ろの方になるというわけだ。ちなみに、計測後のマシン改造はすべてオッケー。なにをやってもいいらしい。


 だけど、ぼくはそれどころではなかった。

 もう緊張しっぱなしで、お腹が痛くなるほどだった。

 この車検に関して、カメ先輩がある作戦を授けてくれたのだが、その作戦がかなりヤバいもので、運営の人に発覚したらどうしよう?とそればっかり心配していたのだ。

 カメ先輩に言わせると、「バレても問題ない」という話だったが、とてもとてもそんなこと信じられなかった。これ絶対失格くらうよ、ぼくはそう思っていたのだが、運よく、その秘密作戦は発覚せずに車検は終了した。

 ぼくはほっとして、身体中から噴き出していた冷や汗を、もってきたハンカチで拭ったのだった。




 レース開始はお昼過ぎの12時。参加者はその1時間前に集まらないといけないらしい。スタート位置はそのときに教えられる。事前申し込みのマシンが前列、飛び込み参加のマシンが後列だと聞かされた。

「すごい人数だよ」

 ぼくが目を丸くすると、サトシくんが「去年は200台ちかく出場したらしいよ」と教えてくれた。

 200台! そんな大勢でレースして、いったいぼくは何位くらいになるんだろう? 想像もつかなかった。



 そのあと、校門近くでのん気に遅れてきたカメ先輩と合流し、ぼくはサトシくんにカメ先輩を紹介した。


「へえ、カウンタックかぁ。いま逆にカウンタック使ってる奴めずらしくね?」

 先輩はサトシくん本人より、彼のマシンに興味津々だった。

「四駆なの? え、MR? 後輪駆動か。じゃ、難しいだろ。いまの小学生はみんな四駆に乗ってるんじゃないのか? ああ、昔買ったのね。そうそう、むかしはスーパーカーが主流で、訳もなくミッド・モーターの後輪駆動でな。スピンしやすいから、みんなコースで立ち往生して、後続車がぶちあたって、壊れてさ。で、泣いたりケンカしたりしちゃうんだよ」


「うちは金持ちじゃないですから、新車をばんばん買ったりできないんですよ」サトシくんも負けじと言い返していた。「うちのクラスのやつも、FRに買い替えちゃったの大勢いて、中には何台も持ってるやつまで。フロント・モーターだとタイヤが滑っちゃったときのコントロールが簡単だって、みんな言ってますよ」

「最近だと、ドリフト競技なんかも増えたからな。おれはああいう曲芸みたいな走りは好かんが」



 校門から校舎へ向かってゆっくり歩く。正面の校舎は、屋上から垂れ幕がさがり、「夢をつかめ」とか「飛翔!」とか、なんかそんな言葉が書かれている。

「デンドー、よく見とけよ」急にカメ先輩が振り返る。「ここがスタートだからな。で、お前は、中の上くらいのスタート位置だから、校舎に入るまえに、なんとしても前に出て先頭集団にくいこめ」

「えー、直線で前に出るのは難しいですよ。モーターだってノーマルだし」

「それがいけるんだなぁ」カメ先輩はにやりと笑う。「あそこがスタートだろ? で、この校舎の入り口の手前が直角に曲がっている。スタートから全開で来て、あのコーナーに減速なしで突っ込めばいい。それでかなり前に出られるはずだ」

「いや、ぼく、今日がはじめてのレースですから、そんな先頭集団とかプレッシャー大きいですって」

「実質このレースは、コースアウトで失格だ。壁はコンクリートだし、階段とかで転がったらマシン大破は必至だからな」

「え! 階段をはしるんですか?」

「学校に階段はつきものだろ。学校の怪談じゃないぞ。なんちって」

「ベニヤ板を渡して、坂道にするんだよ」

 横からサトシくんが教えてくれた。

「で、廊下はどこを走ってもいいんだけど、たまによく知らない通行人が横切ったりするから、注意しろよ。もっとも、このサギ高レースはアクシデントが醍醐味なんだけどよ」



 校舎に入ると、昇降口の段のところに板が何枚も渡されて、ミニ四輪が入っていけるようになっている。床に貼ったテープでコースが示され、右手の階段へと続いている。

 これなら、廊下へ上る板は一番右が一番近い。

「一番左の板をのぼれよ」

 カメ先輩に指示される。

「え、でも」

「一番右が一番ちかいが、登り切ってからすぐに右に曲がらないとならない。一番左は他のマシンも来ないだろうし、登ったら大きな弧を描いて全開加速すれば、まだ速度の乗り切らない一番右の板のやつらをゴボウ抜きにできる。そして勢いをつけて、階段でパス追い越しする。この板の幅なら、3台は並んで走れるから、速度があればまえのやつを抜ける」



 ぼくとサトシくん、カメ先輩の3人は階段を3階まであがった。レースではこんなに上まで登るのかと驚いてしまう。

 制服を着た高校生や、コスプレした看板持ちの人が廊下にあふれていて、ここはとてもミニ四輪が走れる状況ではない。ぼくは段ボールの鎧に身を固めた暗黒騎士にぶつかりそうになってしまった。

 ハッピにハチマキの人が呼び込みをしており、手作りの巨大なゆるキャラがふらふら歩いていて、高校の文化祭ってすごいなと思う。

「レースのときは、みんな脇にどいてくれるからな」カメ先輩は人ごみを避けて進みながら、「ちょっと休憩していこう」とぼくたちをメイド喫茶をやっている教室に引っ張った。


 表の看板にはこう書かれていた。


『メイド喫茶 もふもふニャンニャン』


 もふもふニャンニャンって、なんだろう?




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