2 先輩とぼく


 オイルダンパーつきサスペンション・セット。

 4本入って1200円。


 たったこれだけのマッチ棒みたいなパーツが1200円。これを買えば、ツールボックスと新しいVRゴーグルを手に入れる日が遠くなる。が、しかし……。


 ぼくはポケットからお財布を取り出して中身を確認した。2000円くらいはありそうだ。一応1000円札1枚と、500円玉がひとつあるから……。

「買います」

 力なく言った。

「うん、じゃあ、組み立てがちょっと難しいから、そこは手伝ってあげるよ。中にオイルを入れるのは、ちょっとコツがあるかね」


 おじさんはビニール袋をあけて4本のサスペンションを取り出した。

 くるくる回して中を開け、オイルを注ぎ込むやり方を教えてくれる。


 ぼくはピカピカの新品パーツに、教えられた通りの方法でオイルを入れ、それを4本完成させる。さいごにおじさんがアルコールを吹いてくれて、ぼくの手とパーツのオイルを拭き取ってくれた。

 晩御飯の時間があるので、そこで家に帰ることにして、シャシーへの組み込みはご飯のあと、家でやる。


 新品のカスタム・パーツを組み込んだシャシーは、もうすでにノーマルではない。これはぼのエリーゼの初めての改造だ。ミニ四輪の楽しみは、改造パーツを買ってきて、マシンをカスタマイズし、自分だけのマシンを作れるところにある。


 たとえボディーがノーマルでも、足回りにカスタム・パーツが入っていれば、これはもうノーマル車ではないのだ。ぼくはちょっと嬉しくなって、その夜はボディーを乗せずにそのまま寝てしまった。

 あとで思ったのだが、ボディーを乗せないでおくと、シャシーの機械部分にホコリがたまって良くないな、と。


 だからというわけでもないけど、翌日、学校から帰って、いつものようにエリーゼをもって海賊公園に行き、コースに出て走り始めたあとも、ぼくはパーツが新しくなっていることをすっかり忘れていたのだ。


 え?と思ったのは、最初のコーナーだった。

 いつものようにトリガーをもどし、急減速からの旋回に入ったとき、エリーゼがキュッ!と鋭角に曲がって、気持ちいいくらいにコーナーの奥へ切れ込んで行ったのだ。ざっと音をたてて、両肘のあたりに鳥肌がたった。


「全然ちがう……」

 ぼくは思わずつぶやいた。


 そこからはもう、楽しくて楽しくてしょうがなかった。

 直線でぶおーって加速させるのは、もちろんいつも通り楽しい。だけど、このときはもう、くぅーっと曲がるのがこれ以上なく楽しかったのだ。


 減速してコーナーに飛び込み、ホイラーのステアリングを切ると、エリーゼが曲がる。きゅぅんって感じで、行きたい方に爽快に曲がるのだ。曲がるのがこんなに楽しいなんて、ぼくはいままで経験したことがなかった。ミニ四輪を初めて走らせたあの日からはもちろん、そのずっと前、ゲーム機でゲームのマシンを走らせていたときも、曲がるのが楽しいなんて感じたことはなかった。レースゲームにおいて、旋回は苦痛だった。難しい部分だったのだ。



 もちろんミニ四輪だって、旋回は難しい。きちんとスピードを落とさないと曲がり切らずにコースアウトするし、最悪タイヤが滑ってスピンしたりする。

 だが、いまはちがう。

 今の、このエリーゼは、曲ろうとすると思ったところに鮮やかに旋回してゆき、もうその感覚が楽しくてしょうがない。快感なのである。


 ぼくは夢中で、それこそ時の経つのも忘れて走りに熱中していた。

「オイルダンパー入れたか」

 ふいに耳元で声がして、ぼくはマシンを止めた。最後の直線を走っていたエリーゼを止め、運転席視点からホイラーを持った自分の姿を探す。VRゴーグルをかけてコース脇に立つ自分の隣りに、あの中学生が立っているのを発見した。ゆっくりと自分の足元までエリーゼを走らせて、コース脇に寄せて停車させてから、ほくはゴーグルを外して隣を振り返った。


「こんにちは」

 挨拶してみる。

 相手の中学生は軽く頭を下げただけで、ぼくの足元のエリーゼを指さす。

「見せてみろよ」

 ぼくはしゃがみ込むと、エリーゼを丁寧に取り上げ、慎重に中学生に渡す。彼はミニ四輪を受け取ると、慣れた手つきでエリーゼの4つのタイヤのサスペンションの動きを確認した。


「スプリングの調整は? バンビの親父か?」

 ぼくは首を横に振る。

「してません。何も」

「まあ、いいさ。バネはあとだ。MRはダンパーが先だからな。いまの乗り味に慣れたら前輪のバネを弱くする。そうすると、剃刀のように鋭く曲がるマシンになるぞ。ま、それまでにお前がそれ相応の腕になってなきゃならないがな。おまえ、名前は?」

「デンドーです。抹羽まっは伝堂でんどう

「おれは亀山かめやま邦江くにえ。邦江なんて、女みたいな名前だろ?」

「あ、いえ」ぼくは慌てて首を横に振った。変な名前だと思ったのがバレたのかも知れない。でも、変な名前はぼくも一緒だった。いや、そこはぼくが勝っているか。


「乗り味はどうだよ?」

 亀山さんがきいてきた。

「すごくいいです」ぼくは思わず声に力が入った。「めちゃくちゃ綺麗に曲るんですよ。亀山さんのおかげです」

「カメでいいよ」

「じゃあカメさん」

「なんか変だな。カメ先輩にしてくれない」

「じゃあ、カメ先輩。先輩もミニ四輪やるんですか?」

「中学になって卒業したよ。あんなの子供の遊びだ」

「あ、……そうですか」

 ぼくはしゅんとしてしまった。


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