5 エリーゼ、大地に立つ!


「えっ、フロントガラスつけちゃったの?」

 びっくりした顔の中嶋くんに言われて、ぼくは茫然とした。

 出来上がったボディーをバンビ模型の工房で披露したら、中嶋くんはえっ、という顔をしたのだ。


「ボディー塗らないうちにフロントガラスとかウインドウつけちゃったら、ダメだよ」

「ええーっ」


 そんなこと説明書には書いてなかった。

 なんでも、ボディーの塗装はみんな、バンビ模型のエアブラシという道具を借りてやっているらしいのだが、その塗装のまえにウインドウをとりつけてしまうと、ウインドウに塗料がついてしまうらしい。なので、本来はウインドウをつける前に塗装して、それからウインドウをつけるのが常識らしかった。


 でも、ぼくはそんなこと知らなかったのだ。

「……どうしよう」

「はっはっはっ、だいじょうぶだよ、デンドーくん」

 バンビ模型のおじさんが笑ってぼくの頭をぽんぽんと叩く。すっごく大きい手だった。


「マスキングしよう」

「マスキング? アメリカの外車?」

「そりゃムスタング」おじさんは笑い、抽斗から紙テープを取り出した。「ウインドウのうえにこのテープを貼って塗料がかからないようにして、塗装する。あとでこのテープをはがせば、ウインドウは透明のままだよ」

「え、そんな方法があるの?」

 物知りの中嶋くんも知らなかったらしい。


「マスキングはモデラーの常識だよ」おじさんは笑った。「でも、ミニ四輪のボディーはウインドウをつけるまえに塗装すれば、マスキングの必要がないから、みんなしないだけさ。じゃあ、マスキングはおじさんがやってあげるから。でも塗装は自分でしなよ。エアブラシで塗るのは簡単で楽しいしね。で、塗料は有料だから」


 エアブラシというから、てっきり刷毛みたいなものを想像したら、ちっちゃいペンみたいなスプレーだった。このスプレーのタンクに塗料をいれて、ボタンを押すとスプレーから噴き出した塗料が綺麗に塗れるという仕組みだ。


 ぼくはいらない段ボールに、練習で一、二度吹いてみて、感じを掴んだ上でロータス・エリーゼのボディーの塗装にとりかかった。

 まず最初にサーフェイサーという透明塗料をスプレーして、ボディーの下地をつくる。

 そのあとでボディーカラーの塗装に入る。

 ボディーカラーは、もとの色を変えずにイエロー。全体を鮮やかに黄色に塗った後、乾燥を待ってマスキングテープを剥がし、さいごにウインドウをコンパウンドというクリームで磨いて終了。ウインドウは、カメラで中から外の景色を眺めることになるので、透明度が命だ。裏表きれいに磨いてぴかぴかにする必要がある。


 塗装が終わったあとで、リアウィングをつけた。

 ウイングはなくてもいいらしいが、格好いいからぼくはつける。おじさんの話だと、普通に走るだけなら、ウイングの効果はほぼないらしい。


「でも、レースみたいにスピードの乗る場面では、これが勝敗をわけることもあるんだけど、まあデンドーくんは初心者だから気にしなくていいよ」

「ウイングは絶対あった方が格好いいよね」

 中嶋くんの意見はぼくとおんなじだ。やっぱりリアウイングなしじゃあ、スーパーカーというイメージじゃない。普通の乗用車になってしまう。

 あとは、ガンメタルに塗ったグリッドを空気取り入れ口エアインテイクにハメて完成。


 流線形の、速そうで強そうなボディーを、精密なメカのかたまりであるシャシーにのせて、ロックピンで固定する。


「ボディーはしっかり固定しないと、あとで泣きを見るよ」おじさんがにやりと笑う。「走行中に外れると、レースでは失格だし、内部メカが砂や水をかぶるとオシャカになるから」

 ちなみに、大会ルールでは、ボディーは実車をモデルにしたもので、過度の改造は禁止。フルカウルが決まりで、四輪がひとつでも露出しているものは受け付けないらしい。



「ふうー」

 ぼくは大きく息をついて、完成したロータス・エリーゼを作業台の上にのせた。

 イエローの平べったいボディー。流線形で、吊り目のカエルみたいなフロント。眼の上の眉毛を思わせるグリッドはきりりと引き締まっている。


 張り出したリアタイヤの前を覆うフェンダーにも、裂いたような三日月型のエアインテイク。元の車がオープンカーなので、屋根は黒。

 リアはアヒルのお尻みたいにきゅっと上向き。テールランプは丸型が4つ、等間隔にならんでいた。


 眺めているだけでも格好いいのだが、こいつはミニ四輪。ホイラーの操縦により、猛烈な速度で地上を走る。いまも、バッテリーを挿入され、Wi-Fiのつながったエリーゼは、ぼくがアクセル・トリガーを引けば、猛烈な加速で飛び出していくはずである。

 このマシンを走らせないなんて、もったいないことはできない。


「なんとか日暮れに間に合ったね」おじさんが隣に立って腕組みする。「うん。いいできだ。早速公園で走らせてきなよ」

「うん」

 ぼくはどきどきしながらうなずく。とうとうこの時が来たのだ。

「道で走らせちゃだめだぞ。ミニ四輪はどこを走ることもできるが、交通マナーを忘れちゃあいけない。人の通る道は走らせないこと。公園もちっちゃい子がいる場所では、ゆっくり走るようにな。それがミニ四ドライバーのマナーだ」

「はい」

 ぼくはそっと台上のエリーゼを取り上げると、紙箱に丁寧にしまった。つぎのお小遣いで、早くツールボックスを買わなきゃ。そして、もう片方の手に箱詰めしたホイラーを抱えた。

「よし、行こうぜ」

 中嶋んくんも準備完了して待っていてくれた。ぼくはうなずき、二人して店を出る。

「車に気をつけろよ」

 おじさんの声が背中にかかり、ぼくたちは「はーい」と叫んで道を走り出していた。




 陽が傾いていた。

 空はオレンジ色。端の方は紺色になってきている。でもまだ明るい。

 ぼくらは海賊公園のサイクリング・コースにミニ四輪をならべた。コンクリートの上、スタートラインの手前にフロントを合わせて置く。


 中嶋くんの真っ赤なカウンタックと、ぼくの黄色いエリーゼ。カウンタックに比べて、ぼくのエリーゼは一回りちいさい。


 ホイラーの電源を入れ、スマフォのアプリを開く。

 Wi-Fiが繋がったのを確認して、ぼくらは息を合わせたようにVRゴーグルを顔にかけた。中嶋くんのに比べて、ぼくのゴーグルはゲーム用だからでっかくて格好悪い。が、いまは新しいゴーグルを買っている場合じゃない。ゴーグルより、ツールボックスをの方が欲しいかな。


 光を放つゴーグルを目に当てると、周囲の景色がはっきりと見えた。デジタル補正で、夕方でも周囲が明るくくっきり見える。


 いまぼくの視点はミニ四輪の運転席の高さ。地上数センチ。

 サイクリング・コースは自転車2台分の幅しかないのに、ミニ四輪のカメラを通してみると、まるで幅50メートルくらいある広大なサーキット・コースのように見えた。

 海賊公園も、まるで荒野のよう。コンクリートの海賊船は、天を突く巨大なモニュメントだ。


「先に出ていいよ」

 となりで声がして振り返ると、カウンタックが見えた。

 中嶋くんはあの車の中にいるわけではない。ぼくと並んでVRゴーグルをかけてコースの脇に立っているのだ。反対側を振り返ると、顔にゴーグルをかけたぼくたち二人の姿が見えた。小学生なのに、巨人のように大きく見えて、ちょっと怖い。


 ぼくは真正面に顔をもどすと、ホイラーのトリガーをゆっくりと引いた。

 エリーゼがすうーっと走り出すのを運転席視点で体感できる。


 すごい。ちょっと目を落とすと、エリーゼのボンネットが見える。眉毛のようなグリッドがはっきり見えた。エリーゼは加速し、だんだんとスピードをあげる。


 VR映像の右下に、スケールスピードとアクセル開度がグラフで表示されている。あっという間にエリーゼは、スケールスピード60キロに到達した。

 自転車をどんなに速く漕いでも、30キロがいいところ。これはもう、ぼく自身未体験ゾーンの速度だ。は、速い……。


 でも、そのとき、視界のすみに何かが入り込み、さっとぼくのエリーゼを抜いて行く。中嶋くんのカウンタックだ。あっという間にぼくを抜き去った赤いランボルギーニはテールランプの反射板を夕日に光らせて、ぼくをぶっちぎってゆく。


「いつまでローで走っているのさ」

 すぐ隣で声がする。

 そうだ。中嶋くんは、そしてぼくも、ミニ四輪の運転席にいるわけではない。サイクリング・コースの脇に立っているのだ。中嶋くんはいまぼくのすぐ横に立っているのだ。


 ぼくは親指でホイラーの変速レバーを探った。

 ミニ四輪のギアは三段。ロー、ハイ、トップの3つだ。いまぼくのエリーゼはローで走っている。

「よしっ」

 ほくは意を決して変速レバーを操作する。パチンとして硬質な感触が指にきて、ギアがあがった。


 とたん、びゅーんと、ケツをぶっ叩かれたみたいにマシンが急加速した。

「わっ、わっ、わっ、わ、わ、わ、わ、わ、わ、わ、わわわわわわわわわわわわわぁーー!」

 ぞっとするほどの速度に、あわててトリガーをもどす。スピードが落ちてほっとする間もなく、眼前にせまる第一コーナー。

「うわっ」

 ぼくはステアリング・ホイールを慌てて切り、とたん、エリーゼはびゅん!とスピンしてしまった。


「どうしたの?」

 先に行ってしまった中嶋くんがたずねる。

「ごめん、スピンした」

「ああー、別に珍しい事じゃないよ」中嶋くんは軽い調子で答える。「最初はみんなスピンするから。上手く操縦するには、練習あるのみ。ミニ四ドライバーはみんな、練習して速くなるんだ。最初から早い奴なんていないから」

「うん」


 ぼくはトリガーを、ニュートラル位置から反対側へ指の背で押して、エリーゼをバックさせると、すぐにコースに復帰した。


 初めてのミニ四輪の操縦。

 とにかく速い。そしてマシン・コントロールが難しい。ぼくはレースゲームが好きでよくやるし、かなり上手いと思っていた。

 が、ミニ四輪はゲームとは全然ちがう。これは小さいながらも、実際に地上を走る四輪のマシンなのだ。

 きっちりと組み上げらせたパーツで構成され、強力な電動エンジンと、緻密な設計のサスアームによって支えられた四輪を持つマシン。サイズこそ小さいが、そのメカニズムは本物のレーシングカーと大差ない。

 本物のスーパーマシンなのだ。



 ぼくは初めてミニ四輪を操縦したこの日、ふたつの強い感情を味わった。

 強烈な興奮と苦い落胆だ。


 初めて操縦したミニ四輪は驚異的に速く、そしてこんなにも自由に地上を疾駆する、ぼくにとってはまさに空を飛ぶ翼だった。広く果てしない世界の向こうへ、どこまでもどこまでも駆けてゆける。そんな夢を叶えてくれる希望のマシンだった。


 一方でぼくは、前を走る中嶋くんに全っ然追いつくことができなかった。もう少しいい勝負になるんじゃないかと勝手に思っていたが、現実は厳しかった。ぼくのエリーゼは、直線でもコーナーでも、まったくもう、完膚なきまでに中嶋くんのカウンッタクに打ちのめされたのだ。


 ……ぼくは、遅かった。ぼくは下手っくそなミニ四ドライバーであり、エリーゼはのろまなカメだった。それが現実だったのだ。

 ぼくは初めて手に入れたミニ四輪から、希望と絶望を教えられた。


 そう、あのときから、ぼくはミニ四輪に、本当の意味で、夢中になっていたのだ。


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