こっちも発覚
夏も終わりだというのに、太陽はまだ燦々としていて王都を照らしている。
(もうすぐ昼。今日は暑くなりそうね)
エマは馬車の中で、箱を大事に抱えていた。
その箱は、ヴァーランス土産として婚約者となった男に渡す予定のものだ。中はエバン石鹸と花瓶だ。
肌が乾燥して痛いと言っていたので、保湿性が高いと評判のエバン石鹸、花を鑑賞するのが好き、と言っていたのでヴァーランス焼きの花瓶を選んで買ってきたのだ。
(喜んでくれるといいのだけど)
エマの婚約者は、ジュータ伯爵の長男、セリウス・ジュータ。政略結婚だが、セリウスがエマを強く求めていたので、この婚約は成立した。
婚約の申し出があったのは、クルトの婚約が決まったと聞かされてから、数日後のことだった。
クルトの婚約に衝撃を受けて、まだ立ち直っていなかった頃なので、お断りしようと思った。だが、父親に会うだけ会ってみたらどうだ、と勧められ、渋々と会いに行った。
彼は誠実そうだったが、瞳の奥が仄暗かった。だが、寒々しいというほどでもなく、まあこれくらい貴族の世界では当たり前か、と受け入れた。
エマがクルトのことが好きなのは、有名な話だった。当然、セリウスもその事は知っていて、未だにクルトのことが好きなことは承知の上で婚約の話を持ち込んだという。
だからエマは、申し出を受けた。
クルトは、敵国の王を討ち取り、その時に助けた行方不明になっていた、先王の隠し子に一目惚れして、褒美としてその隠し子を婚約者にしてもらったと、いう話は、社交場の話題になった。
なんて運命的な出逢いなのでしょう、と若い令嬢が頬を赤く染めながらうっとりしていたのを思い出す。
エマも運命的は出逢いだと思った。同時に疑問に思った。
クルトには忘れられない人がいる。本人から聞いたことはないが、エマが愛の告白をするたびに、申し訳なさそうに、すまない、と返すその瞳には、エマではない他の誰かを思い描いていたように見えたのだ。
クルトがグレーウェンベルク家の養子になる前の経歴は、誰も知らない。だからその忘れられない人は、養子になる前に出逢い、そして別れたのだろうとは思っていた。
一目惚れしたというのが本当なら、その王女はクルトの忘れられない人とそっくりな容姿なのだろう。
どんな容姿なのか、どんな人なのか、という三割の興味と、想いを断ち切るための下準備をしたいという気持ちが七割を占めて、居ても経ってもいられなくなり、その婚約者と面会するため、ヴァーランスに訪れた。
婚約者には、そのことを伝えた。自分がヴァーランスに行ったと噂が出れば、真実とはかけ離れた噂話が広がっていくだろう。
せめて、婚約者には真実を知って欲しいので、どうしてヴァーランスに行くのか説明した。セリウスは、いいよ行っておいで、と言いながら不安そうだった。
それが気掛かりだったが、さっさと片付けるべく説明した後すぐに出発した。
(それにしても、アンジェリカ様はどこか別次元の人のような、雰囲気を醸し出していましたわね)
クルトの婚約者、アンジェリカ。彼女に対する第一印象は、浮き世離れした雰囲気だった。見た目は可愛らしい人だが、表情も空気もとても大人びていて、遠くを見ている目だと思った。
瞳には周りを映しているように見えて、何も映していない。透明とも不透明ともいえる、不思議な感じがした。
まるで、自分達と違う世界の人のような、平民とも王族とも違う、雰囲気だったように思える。
(監禁されていたと仰っていたし、だからなのかしら)
だったら納得できるような気がする。特殊な環境の中で生きてきたのだから、他の人達とは違うわけだと。
(なんだか遠い人だけど、悪い人ではないのよね)
彼女のことを思い返していると、彼の屋敷に着いたようで馬車が止まった。
「お嬢様。着きましたよ」
「分かったわ」
御者に支えて貰いながら、馬車に降りる。先触れはしておいたので、いるだろう。
だが、玄関前にいたのはジュータ家の年若い執事で、彼は困った風な笑みを浮かべ、恭しく一礼した。
「トリューゼ嬢。ようこそいらっしゃいませ」
「ご機嫌よう。セリウス様はいらっしゃる? 先触れは出したのだけれど」
先触れを出したのは昨日。この国では、王都内に居るときは先触れが来たその日に返事を書くのが普通だ。断りの文ではなかったら、別に出さなくても良いのが暗黙の了解となっている。返事がなかったので、承諾されたと思って来てみたのだが、何やら様子がおかしい。
「まさか、いらっしゃらないの?」
「実は……坊ちゃんは四日ほど前にヴァーランスに行くと、仰って発たれてしまったのです」
「ヴァーランスに?」
エマは首を傾げる。その頃はエマもヴァーランスを観光していた。
「トリューゼ嬢が件の人と面会すると聞いて、心配だから行くと、止めても聞かなかったもので」
「つまり、わたくしと会うつもりで?」
「はい」
エマはさらに首を捻らせた。
「おかしいですわね。わたくし、セリウス様とお会いになっておりませんわよ」
「そんなはずは」
執事が狼狽える。
エマも混乱した。エマが泊まっていたのは貴族向けの宿で、セリウスもあの宿に泊まれるくらいには、財力があるはずだ。
まさか、途中で盗賊に襲われたのでは。それだと、途中で噂を耳にするやら襲われたような痕がある。帰りの道の途中でそんなものはなかったと記憶している。
では、やはりセリウスもヴァーランスにいたのか。それなら何故、会わなかったのだろうか。
「……ティーナ」
「はい」
お付きの侍女に声を掛ける。
「急ぎ、ヴァーランスへ向かいますわよ」
「い、今すぐですか?」
「セリウス様が無事であるのか、確認するだけですわ」
「せめて、御当主様に窺わないと」
侍女がおろおろとしながら、エマを止めようとするが、エマは行く気満々で、今でも馬車を使ってヴァーランスに向かいそうだ。
執事は青ざめた顔で、考え込んでいる。
「あの、せめて護衛を」
「あの、トリューゼ嬢」
侍女の言葉を執事が遮る。エマは首を傾げながら、執事に視線を向けた。
「私も、急いでヴァーランスに向かわれたほうがいいと思います」
「なにか心当たりでも?」
執事は青ざめた顔のまま、視線を泳がせる。周りに誰もいないことを確認すると、意を決したのか、エマと視線を合わせた。
「実は……」
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