エマ・トリューゼ③
「……」
「トリューゼ様? お飲みにならないのですか?」
イーワイトに着いて、一行は好きな席を選んで着席した。店員の目が付く見晴らしの良い、窓際の席だ。
着席しているのは、アンジェリカとエマ・トリューゼ、二人だけだ。他は二人の傍らで立っている。
アンジェリカはエバンの花茶と店お薦めの菓子を、エマ・トリューゼはコウラン茶とパルソ(クッキーとビスケットの真ん中のような菓子)を頼んだ。
飲み物はすぐに来た。それがそれぞれの前に置かれ、アンジェリカは一口飲んだ。こういった場面では、身分が高い者が先に飲み物を口にする。アンジェリカは、この世界の高貴な身分の血を引いていないが、表向きの身分は、王族で、侯爵家長男の婚約者だ。だから、自分が先に飲む。
一口、二口、と飲んでいくが、エマ・トリューゼは一口も飲まず、硬い表情のまま、アンジェリカを窺っている。
アンジェリカは一息吐いて、カップを置いた。
「わたしを疑いますか?」
「え……」
「毒が入っていると思っているのでは?」
「いえ、そう思ってはいませんわ。わたくしを殺したところで、貴女に利益はありませんから」
「それもそうですね。なら、お飲みになっては? 話し合う前に、喉を潤わさないと」
「そう、ですわね」
エマ・トリューゼがコウラン茶を飲む。迷いがなかった。
「お聞きしてもよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「貴女こそ、わたくしを疑っていますか?」
エマ・トリューゼが真っ直ぐ、アンジェリカを射貫く。
アンジェリカは仄かに笑む。
「強いて言うのなら、それほどでも、といったところでしょうか」
「つまり、少し疑っているってことですか」
「だって、わたしはあなたのことを、あまり知らないので。知らないのに、完全に疑われないでしょう?」
「そういうもの、なのですか?」
「わたしにとっては、そうですね。知ったかぶりで物事を語るのは、わたし嫌いですから」
そう言いながら、アンジェリカは一口飲む。
「だから、あなたを疑うか疑わないか、あなたを知ってからにしようと思います」
エマ・トリューゼは一瞬目を見張ったが、瞳を閉じた。そして、やや吊り気味な目をゆっくりと開けて、今度は落ち着いた様子でアンジェリカを見つめた。
「いいですわ。わたくしも、貴女のことが知りたくて、来たのですから」
アンジェリカは、僅かに目を丸くした。
「あら? 最初から、わたしが目的だったのですか?」
「たしかに、クルト様と会えたらいいのですが、接近禁止が出されている以上、諦めるしかありませんわ」
「真面目ですね」
「お父様に、ご迷惑をお掛けするわけにはいかないですから」
接近禁止されるほど突撃訪問したというのに、今更。
と、思ったが、追及はしなかった。
「どうして、わたしを知りたいのですか? あなたからすれば、わたしは恋敵のはずですが?」
「クルト様の婚約者だから、知っておきたいのですわ」
コウラン茶の入ったカップを置いて、エマ・トリューゼは窓の外に目を向けた。
「わたくし、婚約が決まりましたの」
「それは、それは……」
おめでとう、とは言わない方がいいだろう。彼女の横目が哀愁に満ちているから。
「お相手は誰なのですか?」
「セリウス・ジュータ様ですわ」
「ジュータ……たしか、伯爵家の」
「ええ。ジュータ家の長男ですわ。歳もわたくしと同じですわ」
「どんな方ですか?」
「顔は平凡ですが、笑顔を絶やさない人です。わたしくしのことは、大事にしてくれていますわ」
そう言いながら、エマ・トリューゼは、護衛の男に視線を移す。
「そこにいる護衛は、わたくしが旅行に行くことを、彼が心配して、遣わしてくださったの」
「あら。良い方ではありませんか」
「表面上は、そうですわね」
含みのある言葉に、アンジェリカは首を傾げた。
「あら。裏はそうではないのですか?」
「わたくしを心配してくれているのは、本当のことなんでしょうけど。笑顔の裏に何かありそうで、侮れませんわね」
「腹黒いのですか?」
「どちらかというと、暗い、ですわね」
「暗い?」
「仄暗い感じですわ。なんとなく、ですけれど」
「それはそれは……気が抜けなさそうな相手ですね」
そう言いながら、アンジェリカは昔読んでいた物語を思い出す。
クルトと同じ名前の少年が主人公の小説だ。その中にも、笑顔を絶やさないが、仄暗い狂気を孕んでいたキャラがいたのだ。
結局、あのキャラの過去が明らかになる前に、この世界に転移してしまった。シリーズ物だったから、最期まで読めないかもしれないと思っていたのだが、まさかあんな形で読めないことになるとは思ってもみなかった。
思い出したら、続きが読みたくなってきた。無理な話だが。
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