099、悪意は突然に。

 視線を追う、というのはできない。今の時点でも俺はまだ気がついていなかったからだ。場所が行列のできている屋台の奥であるということで視線自体は雑多なものがアチラコチラに向いている。その中で、こちらに集中力が向いているのを把握できるのは、それこそ、狩人の技能か何かなのだろう。

 ともあれ、俺にはわからない、だが、


「今、俺が立っている側から視線が来てる、つまり、俺がどいたら多分、兄ちゃんと視線が合うと思う……いいか?」


 分かる人が伝えてくれればその問題は解消できる。確認に、一つうなずくと、オーリは自然な歩法で体をずらして。

 見えた。行列と雑踏の向こう側に一人の男がいて、こちらを向いているのが。

 だがそれは……。


「あん?」


 思わず漏れた俺の声は不機嫌そうなものだった。


「何? 知り合い?」


 俺の声を聞き取ったオーリが聞いてきた。漏れ出るほどの不機嫌さだったらしい。


「知り合いというか、元仲間、というか……いや、そうか」


 知った顔だが、数年前に別れてそれ以来会っていない。一時期はしつこいくらいに付きまとわれていたのだが、目的ができたと言って旅に出た男だ。

 その目的と時期を考えれば、ここで再開したことに辻褄が合わなくも……ないか。

 頭の中でざっくり、時間を考える。


「あれは、多分、無害だ。面倒な性格をしてはいるけど、そして、善人ではないけれど、積極的に他人に害を与える類の性質じゃない」

「ふうん?」


 じゃあ、良いか、とそんな言葉とともに、オーリは振り向く。

 害のない人間と評したことで、なら視線を合わせても問題ないだろう、と判断したらしい。

 その即決に、ため息まじりながらも俺もそちらを向く。


 ひょろ長い影の柱がそこにいた。

 と、そんなふうに評したい程の黒衣を着た長身。確かふんだんに鉄を用いた染料だったような気もする。光沢のない記事に、黒がよく乗っているようだ。どこに影があるのかすらもわかりにくく、地味な色であるはずなのに、漆黒というのは主張が強い。


 外套は裾が長く、冬の支度として違和感の無いものだ。真っ直ぐに立っている影の柱は、それに沿うような衣装の作りと相まって、生き物らしさを少なく感じさせる。


 そして、折り目も裾も、全身に神経が行き届いて手入れされているようなのがわかる。つまりこれは、よほどの自己愛の発露か、あるいはもっと必要に迫られて……人前に出る機会が多いか、人に値踏みされることが多いかだろう、と思われる。


 衣装のシルエットが着手の体格のせいで非常に独特のものになってしまっているが、ただ本来の安価な染料を用いた黒の服はとある職業を想起させるものである。

 それはつまり、


「神官服?」


 そうだ。今、こちらに向けて軽薄そうにひらひらと手をふる長身は、かつての仲間であり、神官になると言って旅に出た男。レアン・マクギットであった。



「神官さん?」

「あぁ、順調になっていれば、ちょうど神官になるかどうか、くらいじゃないか?」

「……で、この街にいるってことは」

「どういうことだろうな?」


 考えをめぐらそうとしたが、レアンは何か、怪しげな動きをした。

 長身な分、腕も長い。黒衣の前に黒の袖が動いているので少し見えにくい。

 その上、喧騒の人波の向こうというのだから、ほとんど見えないと言って良い。

 しかし、それでも、隙間を縫うようにして見えたのは、


「ばってん?」


 胸の前あたりで、レアンが腕をクロスさせている様子だ。

 バツを作っているように見えるが、


「いや」


 にやにやと、人の悪い笑みを浮かべているレアンがそんな単純なことをしているわけがない。あいつは、何かとんでもないことが起きる前兆を読んでいても、それを教えてはくれず、伝わるか伝わらないか、位の徴だけを示して、気づかなければ嘲笑うというような、たちの悪い男だ。


 あいつ自身が悪いことをするというわけではないのにもかかわらず、嫌われて『不幸の兆し』扱いされるのにはそれなりの理由があるわけだ。

 つまり、総合すると、何か良くないことが起こる。


「あれは、何かを指さしてる?」


 オーリの言葉にレアンの手先を追えば確かに、人差し指が立っていて、あいつから見て、右手で左を、左手で右を指しているのが見える。


――だから、それを追うと……。



「――っ!」


 左手が指していたレアンの右。数メートル以上離れたところに男がいた。

 この男はこれと言って特徴はなかったが、若干見すぼらしい風体をしていた。

 旅をしてきて、旅の着のままという感じ。


 土汚れ、泥汚れ、そんなものがついていて、全身も清潔とは言い難そうで。

 ただ、その目だけが以上にギラギラとしていた。

 そいつが何をしているのか、気付いたものの、それよりも早く走るものがいた。


――オーリだ。


 向かいに立っていたはずの少年は、男が何をしようとしているのか、気がついた瞬間に走り出していて、だから、間に合った。

 男から、若干の山を描いて屋台の方に向かう影。


 それは投擲された石。頭ほど、とはさすがに言い過ぎだが、その四分の一位。速度も相まって十分に人が死にうる暴力が飛ぶ。間に合ったのは割り込みだけではない。


 強い暴力が着弾する前に割り込んだオーリは、それを止めた。行列を越えた先で踏切、飛んで掴むことはできなかったし、手のひらで止められたわけでもないが、腕を振り回し、それに当たることに成功し、はたき落とした。


 マルの視線もオーリに向いているようだ。そして、石がレンガ造りの道に落ちた音でそちらを見て、悲鳴を上げる代わりに一息を飲み込むのが背中から伝わってくる。


(問題……ない、のか?)


 オーリは痛みを堪えるような仕草をするものの大事無い様で、代わりに、周囲の人間に大声を上げている。投げたやつを捕まえろ、と。

 投げた男は、自分の行為が失敗したことと、そして、その後の動きの迅速さに踵を返して逃げようとしたようだが、逃げようとしていた人々の足が止まり、その男に向き直ったことで、気づかれずに逃げることが諦めたらしい。


 男が暴れだす気配がして、オーリがそちらに走り寄っていった。それで、そちらについては一件落着、と行けばよかったのだが。

 一息を吐こうとして、気がついた。


 レアンは何を示していたのか。


 左手で指していたのは、今、オーリに組み伏せられた投擲者だ。


――であれば、右手が指していたものは?

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