未来への懸け橋-3
ここは多くの命が生まれ、取り留められ、消えゆく場所。
清潔に保たれた綺麗な施設がどんな悪も許さないように思えた。
時折香る慣れない薬品の匂いが私の恐怖を煽る。
友達は未だ目を覚まさない。
医師は一命は取り留めたと言っていたが、もう一日が経過したが意識を取り戻していない。このまま瞳が開くことがなかったら。鼓動が止まってしまったら。
身体に管が繋がれたまま横たわる彼の姿は痛々しく、不安ばかりが募る。
どうして向けられた敵意に気づけなかった。あの時の自分の不甲斐なさが胸を締め付け、溢れ出す鮮血の瞬間が脳にこびりついて離れない。
私は、何をしていた。何が有翼人だ。儚い命の前には自分も無力な
呼吸を乱した女性が沈黙を突き破るように病室の扉を開いた。
女性はベッド横に居る私など目もくれず、横たわる彼に駆け寄る。
「勇太!」
必死な呼び声にも微動だにしない勇太の手を女性は取った。
祈るように握った手、慈愛に満ちた視線。私は初めて見る光景に息が止まるかと思った。
「…あの」
女性の勢いに押され私は何と声を掛けたらよいか戸惑ってしまう。
間違いなくこの人にとって勇太は大切な人だ。私には悲しませてしまった責任がある。
「香澄」
後から病室に入ってきた中年の男性に肩をそっと叩かれると顔を上げた女性はようやく私を見た。呼吸を整えながら凛とした立ち姿で私へ頭を下げた。
「取り乱してしまいごめんなさい。私は勇太の母です」
「勇太のお母様…!」
ならば隣の男性は勇太のお父様なのだろう。
詫びなくてはならないのは私のほうだ。すぐさま私も頭を深く下げる。
「申し訳ございません!…私の責任です…私が軽率だったばかりに…大切な息子さんに酷い怪我を負わせてしまいました…」
ご両親への謝罪は丁重に行わなくてはならないのに急に頭が真っ白になってしまい言葉が上手く出なかった。
取り返しのつかない怪我になる可能性が高い。私は一人の一生を大きく捻じ曲げてしまった。
「…顔を上げてください」
そう言われても私は頭を上げるのを躊躇った。
努めて平静な語気であったが様々な感情を押し込んでいるのが分かったからだ。
恐る恐る顔を上げると香澄さんは眉を顰め自身の衣服を強く握っていた。
自身に向けられる感情が痛いほど伝わる。
「あなたが大義を成そうとしていることは理解しています…ですが息子を巻き込むのはもう辞めてください」
彼女の抑えた声音が鋭く胸を刺す。感情任せに私を責めようとはしていない。
いっそ激昂されたほうが楽になれたかもしれない。
香澄さんは私を尊重しようとしてくれている。その優しさすら…今は酷く苦しい。
「息子はあなたとは違います。あなたの掲げる理想はこの子の身には余る。とても抱えきれるものではありません。優しいこの子は頼られれば必ず応えようとします。例え己の力量を超えようとも懸命に、無理を平気でします。ですからこれ以上息子に夢を強いないでください」
彼女の言うことは間違っていないのだろう。ずっと子を想い続けた親だ、息子のことをよく理解している。それでも私達は同じ理想に向かってずっと共に歩いていた、私から見た彼は違う。
「…私は、そうは思いません。息子さんは…勇太はとても優しくて強い。あらゆる困難にも直向きに頑張り続ける芯の強さがあり、どんな想いにも寄り添える優しさと弱さを乗り越える勇気を分け与えてくれる。彼のような人こそ仲間と共に夢を叶えられるのだと私は信じています」
「っ…あなたに息子の何が分かるって言うの!?」
「香澄!」
今にも私に殴りかかりそうなほどの気迫を出した香澄さんを男性が止めた。
荒ぶる呼吸を整えるように深呼吸をすると絞り出すように言葉を続ける。
「…二度と息子を連れ出さないでください…お願いします」
「…分かりました」
私は言い争いをしたいわけではない。
勇太の命を奪いかけたのは事実だ。私はもう勇太と危険が伴う場所へは共に行けない。
許しを貰えずとも、どれだけ恨まれようとも、これ以上ご両親の心を乱す行いはしたくない。もう一度頭を下げると私は病室を後にした。
「ヘスティアさん!」
院内の廊下を歩いていると一人の女性が追いかけてきた。
たしか彼女とは勇太の病室を出て行く際にすれ違った。勇太のご家族の人だろうか。
立ち止まり振り返ると物腰柔らかそうな女性が少し控えめに微笑んだ。表情がどことなく勇太に似ている。
「私、勇太の姉で
…ああ、思い出した。シーツール村の避難地で会った勇太のお姉様だ。
顔を合わせた程度ではあったが雰囲気の近い姉弟であったことを記憶している。
「…何か、御用でしょうか」
まだ罵りが足りなかったのだろうか。当然か、大切な家族を危うく死なすところだったのだから。逃げるつもりもない、私は彼女の言葉を待った。
「少しだけお話させてもらえませんか」
彼女の瞳は穏やかで私を案じてくれている、嘘のない真っすぐな瞳…勇太と同じ瞳だ。それだけで涙が込み上げてきそうになった。
勇太のお姉様、佳香に連れられて病院の敷地内にある屋外の庭園を歩く。
日差しが妙に眩しく感じる。そういえば最後に眠りについたのはいつだっただろうか。
限られた時間を余すことなく共存の為に費やそうと決めていたのに。結局私は躓いている。全てが上手くいくわけがない、そう分かってはいてもやはり過ちは精神を抉る。
行き交うのは皆、患者かその親族や看護師達。
人間は脆い。容易に傷つき、常に痛みや辛さを抱えている。
それでも知識と努力と絆で抗い、苦しみも乗り越えて明日を目指している。
人間は可能性を秘め、懸命に
私がここで傷ついて立ち止まるわけにはいかない。
佳香は「ここなら落ち着いて話せるかな」と木や生垣に視線が隠されるような場所のベンチに腰掛けた。
そんなに人目を気にして、私は今からどうされるのだろうか。
「…あ!面会室とか借りたほうが良かったですかね。ヘスティアさんは有名人ですし…」
私は気遣われていたのか。むしろ警戒すべきは彼女のほうなのに。
念の為移動中も周囲に不審者が居ないか気を張ってはいたけれど。
佳香まで勇太と同じ目に遭わせるわけにはいかない。そういう意味では個室が良かったのかもしれない。少なくても私が彼女の望む場所を拒絶する理由はない。
「どこでも構わないわ。私は逃げも隠れもしない」
「…分かりました。さ、座ってくださいな」
私がそう答えると佳香は少しだけ悲しそうに微笑んでから自分の隣をポンポンと叩いた。促されたので素直に従ったが佳香の隣は緊張するのでなるべく距離を取るようベンチの隅に座った。
「母がきつく当たってしまいごめんなさい。私のほうから謝らさせてください。ヘスティアさんが悪いわけではないことは母も分かっているのです。けれど、息子が行方を眩ませたと思ったら国から指名手配までされて、有翼人であるあなたと共に行動しているという事実。そのうえ今回の件で母は限界だったのだと思います。ヘスティアさんが全ての責任を感じる必要はありません。どうか思い詰めないでください」
「…いえ、私が悪いです。私の軽率な行動が大切な息子さんを危険な目に遭わせてしまった」
理想にばかり目を向けて近くに居た彼らの安全を蔑ろにしていたのは私だ。
皆の強さと優しさに頼り切った結果、仲間を守るという意識が薄れていた。
人間は脆く儚い命だと分かっていたのに、自分の愚かさが悔やんでも悔やみきれない。
「私は母親というものを知りません。ですが、勇太のお母様からは親としての確かな愛情を感じました。母の愛とは…深いものなのですね。私は近くに居ながら大切な友達を守れなかった。責められて当然です」
私を殺そうとした男はエルフだった。有翼人である私に悟られぬよう魔法ではなく銃を使用していたが、エルフならば個体に魔力が備わっている。アルフィード学園の敷地という人間ばかりが集まっていたあの場で私はその違和感を見落としていた。
注意を払っていれば気づけた、それなのに伝える事ばかりに集中して危険などないと思い込んでいた。
地上を守りたいと宣言しておきながら大切な人一人守れないなんて滑稽な話だ。
「ヘスティアさんの直向きな努力や意志の強さを知るからこそ勇太はあなたの役に立ち、守りたいと行動した筈です。だからあなたが気に病んで全てを負う必要はありません。弟はそんなこと望まないです」
佳香と勇太の姉弟は本当に似ている。相手の心情や立場を慮り、想いを共にしてくれる。彼はご家族から沢山の愛を貰って、そうして優しくなったのだとよく分かる。
今、優しくされてしまうと私は崩れてしまいそうだ。
私は挫けていられない。己の未熟さをいくら思い知ろうと制裁の日を乗り越えるまではまだ止まれない。自分を律しようと震える手に力を籠める。
「私は勇太の優しさに甘えてしまいました。彼一人くらいご家族の元に帰すタイミングなんていくらでもありました。それなのに私は目標に精一杯で彼を巻き込み、離脱するという選択肢を提示してあげられなかった。本当にこのまま危険が隣り合う環境の中、行動を共にすることでいいのか確認を怠りました。…だから私の責任です」
「…勇太は昔から堂々としている人に憧れを抱いていたようでした」
佳香は遠い空を眺めてから思い返すように瞳を閉じた。
この時、私は自分が久しぶりに空を見たことに気がついた。
ずっと前や下ばかり見ていた、自分は随分と余裕を失くしていた。
「意見をハッキリと言い、意思を貫く人が恰好良く映ったんでしょうね。アルフィード学園に進学してからの勇太は電話越しに聞く声からも活き活きしているように思えました。体育祭の時も家族ですら知らない頼もしい男性の顔をするようになっていました。天才でも優秀でもない弟は躓くことがいっぱいあったと思います。それでも諦めることだけは絶対にしなかった。きっと憧れのような人達と時間を共にし、傍に居られることが誇らしかったんだと思います」
そう語る佳香の慈愛に満ちた瞳を見て懐かしさが過った。私は知っている、この温かさを。
脳裏に浮かんだのはお父様とウラノス兄様だった。
私の役目や世界について説くお父様はいつだって優しかった。
短い日々ではあったけど、傍で微笑み見守ってくださったお父様の愛はずっと心に残っている。
お父様が長い眠りについた後、私を育て導いてくださったのは長兄のウラノス兄様だった。兄様は我の強い私達兄妹を否定しない、皆の考えを尊重してくださる。
自分の感じたことを大切にするよう教えてくれた。
ちぐはぐな兄妹の中でも浮いている末の私を「大丈夫」だと安心させてくれたのもウラノス兄様だった。
「ヘスティアさんもそうです。映像越しですが、あなたの傍に居た勇太はすっかり大人に見えました。勇太はあなたに必要とされて嬉しかったと思います。ですからどうか、これからも勇太の友達でいてあげてください」
「…そんな…私のほうこそ…」
地上に降り立った頃、私の味方は勇太しかいなかった。
無謀に思える目標も否定せず寄り添い、無知な私と共に歩んでくれた。彼が大きな支えだった。
勇太が居なければ私は間違いなく挫けていた。他人と分かり合う努力なんてしなかった。家族と向き合い、種族を超えた共存なんて大義をやり通そうと思えなかった。
私が勇太に友達になってもらっていた。かけがえのない、大切な友達なのに。
自分の大切な人ほど私は相手に何もしてあげられていない。
感謝を伝えたい、幸せになってもらいたいのに。
思うより私は脆かった。佳香に背を擦られると身体から力が抜け、目から涙が溢れた。声を押し殺して泣き続ける私の傍を佳香は静かに寄り添ってくれる。受け入れてもらえたという安心感からか私は涙が止まらなかった。
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