明日への鎮魂歌ー2
天より裁きの下る制裁の日まで残り3週間を切った。
原初の有翼人達から魔石を継承された神器の使い手は六人。
遺された祠探しも残す所、最後の一つとなった。備えはいよいよ大詰め。
しかし、こちらの防護壁の開発は完成の目途が立っていない。
いくら優秀な開発者により理論が構築されようとも今回はスピード勝負。
物資も人員も足りない。頼れるものは何にだって頼る気概でいかなければ。
「美奈子さん、きちんと休息を取っていますか」
挨拶もなく佳祐君は真っ先に私の体調を気に掛けた。
礼儀正しい彼が挨拶を抜く程、自分の顔色が優れていない自覚はあるが今はそんな事は気にならない。
「酷い顔でしょ。歳よね、昔は三徹くらいはいけたのに…今は一徹で限界ね。いつのまにか意識が飛ぶの」
「意識を飛ばすのではなく寝てください」
「2時間も意識飛んでるから睡眠と同義よ」
強がってはみるものの今だって壁にもたれて会話をしているし、歩くだけで立ち眩みは起きる。
人間の身体は丈夫には出来ていない。不純な理由で不眠で生きられる有翼人が羨ましいと感じてしまう。
睡眠が足りていないせいかテンションがおかしくて、少し子供じみた口調になっている。まるで学生の時の自分みたい。普段なら気を付ける所だけれどもう正す気力もない。
己を削って過密で無茶なスケジュールと戦っているのは自分だけではない。
それだけで幾分救われる気がする。まだ終わりが見えないのが辛いところではあるけれど。
人の命を守るのに失敗作でしたじゃ済まない。
どこに不備や予測外が潜んでいるか分からない。ギリギリまでトライアンドエラーの繰り返しだ。
「…なるべく徹夜は控えてください」
佳祐君は半ば諦めたようにため息をついた。
経験上、私に強く言っても無駄なことを理解しているのだろう。
思えば彼との付き合いも長くなったものだ。
まだ幼い二人と初めて会ったあの夏の日には、もう二度と会う事もないとすら思っていたのに。
結局、彼も巻き込む形になってしまった。
私が工藤との交渉を取り持たなければ、佳祐君はアルフィード学園への進学などせず、普通の生活を送っていたかもしれない。
「平気よ、今すごい燃えてるから」
体調とは裏腹に気分が高揚しているのは事実だ。勝気な笑みが自然と零れた。
「優秀な科学者達が叡智を振り絞ってどデカイもの作ろうとしてる。こんな機会、二度とないかも」
研究者の性なのだろうか。自身の健康などそっちのけで時間を全て作業に費やす。
疲れを忘れ、熱中し没頭する。時に難題にぶつかるというのにとても胸が高鳴る。
まるで命を燃やすようにのめり込んでしまう。
私が呼び出した二人の少年はこんな大人を目の前にして呆れるかと思ったが、何故だか少し嬉しそうな表情をしていた。
本来ならば二人にとって私は侮蔑の対象なはずだけれど。
二人は態度を変えたりもせず平静に接してくれる。
「それで俺達に用件とは何ですか?」
「二人にお使いを頼みたいのよ」
「お使い、ですか?」
面と向かって話したことがない相手だからだろうか、もう一人の少年、古屋勇太君は遠慮がちに復唱した。
改めて見ても別段特徴のない子で、実力があるとも聞かない。この場に居るのが不思議なくらいだ。
無茶をせず、危険の少ない後方支援にまわったほうが良いのではないかと思ったりもしたが、彼も学生とはいえ軍人だ。
覚悟をした上でこの場にいる筈。私の独断でどうこう言うものでもないだろう。
「ええ。仮説や理論が構築できようともそれを実現できる技術がなければ成り立たない。南条君の組織から優秀な機工技師を派遣してもらえたのは大助かりなのだけど人手不足は否めないし、何より
御影博士を中心に開発されているのは有翼人による強力な攻撃魔法に耐え得る防護障壁の機械。
目標とする完成型は定まり、現在は強度実験の繰り返しや広範囲化する為の試行錯誤を行っている。機械を介するとはいえ人間だけで
けれど今回はエルフ達の協力も取り付けた。
リリアを中心としたティオールの里の民やカルツソッドで捕虜となっていたエルフ達が世界各地のエルフへ協力するよう頼み込んでくれた。
拒絶する者も多かったが、同族による呼びかけが功を奏し、守る為ならばと応じてくれる者も得られた。
賛同してくれたエルフ達の
それでも長年有翼人の研究を続けていた工藤と魔導砲や魔銃を作り上げた御影博士。
人間と
「技師の要請は分かりましたが、俺達で交渉役として適任でしょうか」
「それがね…南条君に交渉をお願いしてたんだけど…拒否されちゃった挙句、人様に頼むなら直接来い!って怒られちゃったって。まーた、顔色も変えずに微笑みながら報告されたわ」
「えっと、それなら尚更南条さんが直接お願いしたほうが…」
一度断られた相手を説得するのは難しい。それも向こうは南条君本人に直接来てほしいはずだ。
だけど、南条家は貴族の中でも特に権威のある一族。その当主は容易に私情で動けやしない。
ただでさえ、南条という大きな集団を束ねるだけで忙しいだろうに、どうせ結論を出せやしない国防軍会議が連日立て込んでおり出席を強制させられているに違いない。
圧倒的な統率力で過激派を言い聞かせていた元最高司令官、鳥羽悠一が不在となった今、ここぞとばかりに貴族中心の政治に戻そうと過激派が政治を乱し、国防軍は最高司令官の代理すら立てられていない現状だと聞いた。
元最高司令官に頼り切っていた革新派のお偉い方は過激派を抑え込めやしない。
もとより現在の混乱の原因が共和を提唱した鳥羽悠一が発端だと指摘されてしまえば革新派は強く出られない。
実父であり、アルフィード学園理事長である榊は権威ある席を頂いておきながらどうせ傍観だ。会議も形だけ出席して飛び交う意見を聞くだけに違いない。
あの人はいつだって有力な側に付き、甘い汁を啜るだけの人。
そんなアルセアの政治状況が容易に想像できてしまい身の毛がよだった。
足並みの揃わない自国が悲しくもあり愚かだと嘆きたくなる。
向き合うべき問題が他にもあるはずだ。眼前の利益がそれほどまでに大事だろうか。
「相手さんが首都や交通の便が良い町に住んでいてくれれば、合間を見て南条君を行かせる所だけど、残念ながら山奥に隠居しちゃってね。だから二人に直接交渉へ行って来てほしいの」
「行く事自体は構いませんが…交渉の面はご期待に副えるか保証できませんよ」
「大丈夫、あの人は熱意ある若者は拒めないタイプだから」
隠居される前に何度か拝見する機会があったが、彼は典型的な頑固者ではあるが人情に熱い人だ。
直向きかつ良い子の典型な二人を向かわせれば交渉が縺れ込んでも必ず忍耐勝負に持ち込める。
特に佳祐君は目的を蔑ろに出来ない、まさに教育の行き届いた子だ。
交渉は不得手でも成果無しに帰りはしない。…ちょっと意地悪みたいで申し訳ないけど。
少年二人へお使いを頼み終え、自分の持ち場に戻ろうとしたが痛々しい背中が視界に移りこむ。疲れ切った顔色で、止まることを忘れてしまったかのように機械的に動き続ける。
「御影博士、少し休まれたほうが」
彼は一度も休んでいない。作業に没頭すれば現実と向き合わずに済むからだろうか。誰とも言葉を交わさずに黙々と手を動かす。
「博士」
再び呼んでみるが私の声も届いていないのかこちらを見向きもしない。
この開発グループで御影博士に対して堂々と物を言える人物など工藤くらいだろう。だが、彼はこちらがどんな言葉を掛けようと空返事しかない魂の抜け殻になっていた。以前のような狂気じみた執着も嘘みたいになくなり、負けず嫌いな強気も消え失せた。
結局のところ彼を動かしていたのは異常なまでの承認欲求だ。最も認めて欲しかった相手を亡くした今、彼は生きる目的すら見出せないのだろう。それでも彼女の死を理解している。あとは受け入れ乗り越えてくれるのを信じるしかない。
御影博士は感情を露わにすることはない。誰に強気を見せつけるでも、誰かに弱さを吐露するでもない。この場に精神的に頼れる相手がいないのは分かる。
でも"何もないこと"にして独りの世界に逃げ込んでいるように見えてそれが辛かった。
そんな頑なな彼の心に寄り添える人なんて…私は一人しか知らない。
こんな時、あなたならどうしますか。もう答えを聞くことのできない彼女に問いたくなってしまう。
防護壁開発グループの中心である二人がこんな状態では他のメンバーの士気にも関わる。この空気を誰かが変えなくてはならない。
虚勢を張って強がる自分は作り物だ。でもここで立ち竦んでしまえば託されたものを無に帰してしまう。もう私は断ち切ることはしない。自分ではなく他人を守ると決めた。
震える手に力を入れて、御影博士の背を遠慮がちに叩く。
ゆっくりと向けられた博士の視線の先にようやく私が割り込んだ。
「お話があります」
私達は揃って覚束ない足取りで研究施設のテラスへと出る。
周囲の人目を気にしたのもあるが、ここなら空が一望できる。少しでも彼女の力を貸してもらえる、そんな気がした。
夏は終わりだと言われても昼間の屋外はまだ暑い。久しぶりの日差しの眩しさに御影博士は苦しそうに目を細めた。
「堪えますね」
「……そうだな」
「辛いですね」
「何が言いたい」
近しい意味合いの同意を求めたからだろう、問いが返された。
御影博士は合理的な考え方の
私だってその類は物語や歌のようなロマンを感じる時くらいで充分だと思う。
何事も直球に行動できればいいのに、何度もそう願った。
でも
本当は誰にだってその素質はあるはずなのに手放してしまう。恐れを知ってしまうから。向けられる脅威と立ち向かう力を持てていないから。
散々逃げ続けた私にはもう勇者に足り得る能力はないのかもしれない。
けれど、誰かの想いを伝える為に僅かでも勇者でありたいと願う。
「旭さんのこと、送ってあげませんか」
私が震えながら口にした名前を聞くと御影博士は視線を逸らした。
反応を示したのに御影博士は何も答えない。私の言葉など感情を逆撫でするだけでしかないと思われてしまっただろうか。
私は人を不幸や不快にばかりしてきた。素直になれない性格のせいで若い頃は喧嘩ばかりしていたし、弱さを理由に自分を守る為に犠牲まで出した。他者の幸せを奪う狡い大人になった。
旭さんとは正反対だ。あの人の周りはいつも笑顔が溢れていた。彼女が居るだけで場の雰囲気が穏やかになる。元気で無邪気な明るさが固く閉ざされた壁も解いて心に温もりが沁み込んでいく。私にはそんな力はない。でも、彼女の想いを途絶えさせてはならない。
「…旭さんは亡くなったんです」
「分かっている」
「だからきちんとお別れをしましょう。ただ悲しんでいるだけでは大切な旭さんを困らせてしまいます」
「うるさい!お前に何が分かる!」
たった1日で大切な人の死を受け入れろなんて酷な事を言っている。
長い時間をかけてゆっくりと受け入れて、一生報われることのない悲しみを抱えなければならない。
でも、私達にはただ悲しむだけの時間はない。それに、悲しみに暮れる事を彼女は望んでいない筈だから。
昔の彼は最高司令官お抱えの天才博士として特別な扱いであったが、少し前までは国に存在を抹消されていた男。今では地位も年齢も私が上だ。
それでも年齢や身分なんかは人を判断するうえで些細な物差しだと思っているし、私は彼の研究理念を尊敬し、能力を高く買っていた。性格は捻くれていたが根は優しい人なのだと旭さんを通してよく分かった。だから昔から変わらず敬意を持って接していた。
海に面した静かなテラスに乾いた音が響いた。
睡眠不足で頭が上手く回らなかったのだろうか。私は、御影博士の頬を叩いていた。
周囲の目を気にしてしまう普段の自分なら決して他者に手を上げるなどしないのに。それでも理性を壊して込み上げてくる感情が止まらなかった。
「分かりませんよ!私は旭さんでも御影博士でもありません、本当の心は本人にしか分かりません…ですが、どんなに願っても、拒んで逃げたって旭さんは戻って来ません。だから旭さんから託された想いを繋げてあげなきゃ。他の誰でもない、御影博士と千沙ちゃんに旭さんは遺したんです!そうやって託された想いまで拒絶しないでください!」
どれだけ辛くてもいつも笑っていた旭さん。私は何度も彼女を追い詰め、幸せを奪ってしまったというのに。一度だって私を責めたりはしなかった。私は彼女の優しさと強さに甘えてしまった。
弱さを言い訳にして、彼女の幸福を犠牲にした。それでも私は願う、彼女の愛した人達の幸せを。愚かで罪深い私が今を生きる人々の未来を望んでいる。
「受け入れて悼んであげてください。そして、想いを明日へ繋げてください」
目から涙がみっともない位に溢れていた。私に泣く資格なんてないのに。
申し訳なくて、悔しくて、張り裂けそうなほどに悲しくて。
行き場のない感情をどうしようもない自分は制御できなかった。
私ばかり感情をぶつけて狡いことをした。それなのに彼は儚げな笑みを浮かべていた。歪んだ視界の先で白衣の男は眩しい陽の光に溶けてしまいそう。
手の届かない遠い場所へ行ってしまうような錯覚を感じたが、空をそっと見上げた瞳からようやく一筋の雫が頬を伝っていた。
「……ああ、そうだな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます