怒濤の絶叫ー6
強い痛みと酸素を求める息苦しさで手放していた意識を取り戻す。
息を吐くと水泡が上へと浮かんで行く。そうだ、私は海に落とされたんだ。
薄っすらと開いた目で見た海面は光が差し込み綺麗だった。太陽の光ではなく、きっと魔法による鮮烈な輝き。戦いにおける光だというのに、その煌きは美しく目を惹きつけ、胸に深く刻まれる。こんな時に何を呑気なことを思っているのだろう。
アークを着た身体は重くて沈んでいく。
海の中は暗くて、冷たくて、苦しくて、怖い。けれど神秘的で、どこか落ち着く。
そっと受け入れて包み込んでくれるような、そんな気がする。
…初めて知ったな。私の知らないことは世界にはもっと沢山あるのだろう。
ああ、自分はなんてちっぽけな存在だろうか。
大いなる力を前にして、どれだけ無謀なことをしていたのか。抗うだけ無駄なのかもしれない。
このまま海に身を委ねてしまえば、これ以上苦しまなくて済むのかもしれない。
それでも、私は…皆に生きていてほしい。
自分だけ苦しさから解放されるのは楽だ。でも大切な人達は生きることを諦めていない。まだだ…まだ、終われない!
胸元の魔石が海と同じ色を放ち、光が揺らめている。私より魔石はずっと生存意欲が高いみたいだ。
ごめんなさい。少しだけ借りますね。
飛び出す意志を持つと海中だというのにアークは懸命に動き出した。さらに海の
勢いよく海面を飛び出し、目にした光景を一目で理解できずに思考が停止する。
ラクレスアの町を守っていた海岸沿いの光の障壁が消え失せていた。すぐに町を見渡したが、どうやら町は水害に遭っていない。
ならば有翼人の海の魔法を止められたのか。
襲い掛かっていた海水の竜巻の轟音も無く、辺りは静まり返っている。
海岸を見れば町を守ってくれていた有翼人の女性もクラウスさんもタルジュ君も無事だ。
安堵したのも束の間、三人は険しい表情で空を見上げている。私も同じように空を見上げた。
するとそこには海を操る白い翼を持つ男性ともう一人。光の粒子で出来た翼を背に持った人が相対していた。
「…どう、して」
理解が追いつかない。呼吸が出来なくなる。
一体何が起きたの?私は夢でも見ているのだろうか。
さっきまで居なかったNWAが宙に居る。それも機体を損傷するほどに真っ黒に焦げている。
嘘だと言って。NWAを扱える人物は限られている。理解したくない。
――――ねえ、どうしてここにいるの?
光の翼はボロボロと崩れていき、翼として形成していた光の粒子は砂のように風に飛ばされていく。
滞空できなくなった機体は真っ逆さまに落下する。
私は考えもせず反射的に飛び出し落ちてくる機体を受け止めた。そのまま海岸に着陸し、そっと機体を下す。
NWAの正面は粉々になっていて、辛うじて形状を維持していた。
火傷と衝撃で傷ついた身体を私は直視できない。そして搭乗者の顔を見れば嫌でも現実として受け入れなくてはならない。
「…いやだよ…どうして…」
一気に溢れ出した涙は搭乗者の女性の頬へと滑り落ちた。それでも女性の表情はぴくりとも動かない。抑えきれない感情を吐き出すように私の涙は零れ続ける。
弱々しく動き出し宙を彷徨っていた女性の手に気づき、私は慌ててその手を握る。手から温もりを感じない。作り物みたいに固く冷たい。
「また、泣かせちゃったね…ごめんね」
否定したいのに目から溢れ出る涙を止められず、言葉も出てこない。
せめてもと力いっぱい首を横に振る。
泣くのは私が弱く泣き虫だからだ。あなたが悪いのではない。
いつも笑うあなたのようになりたいくて、ずっと追いかけてきたのに。
やっぱり私は成長できていない。
笑わなきゃ。そう自分の表情を意識してようやく気づく。横たわる女性の瞳が開くことがない。もう、あなたの瞳に私の姿が映ることはない。
精一杯の作り笑顔をまるで見えているかのように女性は困ったように笑った。
安心させたい一心で必死に握る手に力を込める。
大好きな微笑みに亀裂が入る。
やめて、私のたった一人のお母さんを連れて行かないで。
「…友達といっぱい遊んで、いつかは恋人もできて、家族になって…子供と一緒に沢山笑うの…そんなありきたりで、でも…奇跡みたいに幸せな生活を…送って…」
優しい声は掠れるように消え、身体が硝子みたいに砕け、欠片となり宙を飛散していく。
「―――いやああああああああ!!」
腕の中にあった僅かな温もりが跡形もなく消え、風に溶けてしまう。
行き場のない感情に飲まれ、動き出せない。
悲しい。辛い。苦しい。痛い。未だに受け入れ切れず拒む思考。
こんなに沢山の感情を抱えたのは初めてだ。
胸が張り裂けそうで、とても冷静でいられない。
「やはり脆いな」
地上を見下ろす白い翼を持つ神は淡白に消えゆく光を眺めていた。
失われた命ではなく、壊れてしまった物を見るように。
駄目。今、感情的になってはいけない。
私の意志に反して胸の鼓動が破裂してしまいそうなほど大きく鳴る。
「力もないゴミが単身で神に盾突こうとは、実に愚かだ」
違う。お母さんは守る為に戦った。決して愚かではない。
叫んでしまうのを堪え、握り締める手が痛い。
空を見上げてしまえば、私は必ず憎しみをぶつけてしまう。皆の積み上げた努力を私一人が台無しにしてしまう。それだけは、絶対に駄目。
「分かっただろう。神に抗うなど無意味な行為はやめろ。無様な死に様を晒すだけだ」
私こそが愚かな人間だった。あんなに渦巻いていた様々な感情が一気に塗り潰されていく。糸みたいな理性は千切れ、怒りで染め上げられる。
「うああああああああああ!」
私の泣き叫ぶ声に応えるように胸元の魔石は強烈な光を放ち、全身に力が漲ってくる。溢れ出る強い
抱いてはいけない感情が、明確な意志を持ってしまった。
相容れない膨大な力による激痛が走ろうと私は理性を取り戻せなかった。
――――― 殺してやる ―――――
胸元に埋め込まれた人工魔石の周囲がパキパキと無機質な音を立てる。
私の胸から背にかけて皮膚の表面を鱗のように結晶が広がっていく。
衝撃に耐え切れないのか装着しているアークが砕けてしまう。
身体を結晶化させることで人間の肉体では収まらない
「全身が結晶化すれば絶命する」竜の谷の長老様の言葉が過る。
ここではまだ死ねない!
私を守るように別の光が輝き出す。リリアちゃんから託されていた魔石だ。
純粋な魔石から放たれる清らかな光に包み込まれると結晶化は止まった。
肉体の結晶化は首、肩と上半身周りで留まった。馴染まない強い
異様な光景に神は驚いていたが、やがて目を細め冷たい眼差しを向けてきた。
「まるで化け物だな…!」
化け物、か。何だって構わない。
飛行鎧のアークは壊れてしまった。だけど、私が空を飛びたいと意志を持つと背から光の翼が生えた。
一直線に空の有翼人へと向かって飛んで行く。
膨大な
殺意ひとつで身体は動く。自分の意思を越えて、速く、力強く。
制御することを忘れ、ありったけの出力で攻撃を繰り出す。
一撃、一撃。異様な速さに神は対応しきれていない。
切傷から滲む血の色は同じ赤色だった。何が神様だ。同じじゃない。同じなのに、どうして…!!
とうとう動きを止めた男目がけて止めを刺そうとした。
瞬間、彼は溜め込んでいた膨大な
怒りで歪む神の顔は実に醜い。だけど化け物の私は彼以上に醜いことだろう。
「仮初の
神から発せられる尋常ではない
自分が勝っている自信や防ぎきる確信からではない。既に私の感情が壊れてしまっていたからだ。
関係ない、壊すだけだ。私は
砕けない壁に留まる剣を強引に振り下ろそうと力を込める。
「馬鹿め!お前も同じ道を辿れ!」
突如、壁となっていた光が無数の鋭い刃と化し一斉にこちらを向いた。
網のように広がった先端は、私に目がけて突撃してくる。
私に防ぐ術はない、全部叩き斬ってやる。
どこからともなく歌が耳に届く。一人じゃない、とても多くの澄んだ声が沁み広がっていく。すると私を攻撃する寸前だった無数の光の刃は分解される。
歌が響き渡ると相対する有翼人は狼狽えた。
「力が使えない…!?」
大勢の歌声がひとつに纏まり、美しい調べとなって一帯を包み込んだ。
詠唱の詩、魔法だ。だけど、こんなに多く誰が…。
ふと地上を見れば、海岸に立つ有翼人もクラウスさんも。
そして二人の後ろにはルイフォーリアムの国民達が共に歌っていた。
人間は魔法が使えないはずじゃ…それでも祈りのような歌は斉唱される。
皆の思いが重なり、心が通い合っているのが伝わってくる。
理由は分からないけど、この歌で目の前の有翼人は魔法が使えていない。
今なら、必ず…この人を殺せる。目前の好機に微かに戻った理性では暴走してしまった憎悪を制御しきれはしなかった。
私はそっと剣を振り上げる。あとは振り下ろすだけだ。
たったそれだけで、この人にも同じ苦痛を与えられる。私の一振りだけで命は消え失せてしまう。一瞬の迷いを振り払うかのように、思い切り剣を振り下ろす。
これで終われる―――!
「やめろ!千沙!!」
懐かしい声に感情を無視して身体が固まった。剣は有翼人に当たる寸前で止まる。
この醜い姿を見ても私を千沙として扱ってくれるのか。
外見も、行動も。私はもう私ではなくなってしまった。
してはいけないことをしてしまった。それなのに。
「あなたは決して憎しみに屈する人ではありません!他者に寄り添える心優しく強い人です!」
強くなんてない。今だって涙を流し続け、己の弱さに負けている。
それなのに、月舘先輩とクラウディアさんの想いがあまりにも綺麗で真っすぐだから。
自分の愚かさが急に申し訳なくなり、支配されていた感情に揺らぎが生まれる。
こんな私でもまだ信じてくれている。
だけど、二人を裏切ろうとも私は目の前のこの人を絶対に許せない。生かすなんてしたくない。憎しみが薄れたりはしない。…でも…私だって本当は…。
躊躇っていると急に辺りが暗くなる。塗り潰されるように空の色が変わってしまった。陽は隠れ、空には星たちが瞬いている。だけど、月だけが見つからない。
音は消え去り、まるで密封された空間に放り込まれたみたいだ。
そんな空を見上げただけで強い眠気に襲われるように頭がぼやけてくる。
意識が保てなくなり、痛みも憎しみも遠のいていく。
全ての感覚を失くしてしまうみたいに深い闇に落ちてしまう。
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