怒濤の絶叫ー5


  水爆の震源地から翼を広げた有翼人が海中から飛び出してきた。

 再び宙へ姿を現した有翼人は深い青の光を帯びていた。

『お前達全員残さず潰す!!』

 吠えるように怒声を上げた有翼人は全身に殺意を漲らせていた。


『私が注意を引きつけます。皆さんであの人の動きを封じてください』

  千沙はクラウス達に一言残すと飛び出して行った。

 有翼人に付き従うように海からうねりを上げた巨大な水の竜巻が二つ出現する。

『おい!』

『分かっている!だが…!』

  タルジュがどうにかしろと言わんばかりにクラウスへ声をかける。

 クラウスは先ほどと同じように海の魔力マナを借りようとしているが、有翼人の魔力マナが増したのか主導権の拮抗どころか取り返されてしまったようだ。


『海の神を侮辱するのも大概にしろ!』

  彼らの父親は子供達にそれぞれの自然を守護する役割を与える。守護する属性との相性を良く生み出し、得意とするそうだ。

 ヘスティアは焔を司ると言っていた。彼の司る自然属性は海だということだろう。

 ならば海での彼は独壇場だ。

  竜巻は生き物のように動き、爪のような形状へと姿を変えるとディオーネへと突撃してきた。急いでディオーネは光の障壁を出現させ攻撃を防ぐ。

 そして彼女は光の障壁を広げ、再びルイフォーリアムを守ることに専念するので精一杯になる。

 大津波より範囲が狭くなったとはいえ、威力は大幅に増したのであろう。障壁への衝突が抉る様な音を立てる。


『やめてください!私達は決して争いたくはありません!』

『俺に指図するな!』

  男の正面に飛んで来た千沙は必死に訴えるが、怒りが暴発している海の神は一蹴した。

 武器も構えず、無防備な少女に不安が募ってくる。懸命な彼女は自身の危険を顧みず説得を続ける。

『お願いです!争いは何も生み出しません!』

『散々争いで地上を汚しておいて、偉そうに口を開くな!』

  長い歴史の中、地上の民は大小多くの争いを重ね続けた。

 物や命を奪い合い、互いの精神を蝕み、自然を搾取し、地形をも変えた。

 言い逃れのできない事実だ。

 若い学生である彼女もそれは理解しているようで、一瞬怯んだが言葉を続ける。

『それでも!命を奪う行為は見過ごせません!…多くの人の命を奪った私が言うのは烏滸がましいことでしょう。でも…だからこそ!これ以上、誰かの未来が消えてしまうところは見たくない!』

  二年前、カルツソッドが仕掛けた攻撃の大半を制圧したとされる工藤博士が作り上げたNWA。あれに乗っていたのは、たしか彼女だったな。

  …幼い少女に随分と酷なことをさせてしまった。自ら少女に指示したわけではない。だが、原因とも呼べる代物に携わっていた。

 今更ながら自分の残してきた開発物たちの影響の重さを散々思い知らされる。

 俺は罪の意識が芽生えるのが遅すぎた。


『人間無勢が。少し知能が与えられた程度で図に乗るな。地上人は生かされていただけに過ぎない』

『同じです!有翼人の方々の命も私達地上で生きる命も変わりはありません!奪われていい命などありません!』

『神と地べたを這いずるゴミが同じ価値なはずがないだろう!』

『価値なんて誰にも決められません。神様にもです。命に優劣はつけられない!』

『黙れ!!』

  千沙の主張が彼の怒りを増長させ、とうとう海水の攻撃が彼女目がけて飛んでくる。あろうことか千沙は避けることをしなかった。パレットから剣を抜き、斬ろうという構えだ。 

  水を斬るなんて不可能だ。しかし集中を研ぎ澄ませた千沙の持つ剣はたちまち光を帯び、一振りすると水の竜巻を真っ二つに斬り込んだ。

 まさか…身体に埋め込まれた魔石を使いこなしているのか。

 剣に魔法を斬られるなど初めてだっただろう。有翼人の目は大きく見開かれていた。


『黙りません!言葉を交わすのは分かり合いたいからです!あなたは本当に地上の人々を理解していますか?』

  とうとう有翼人は言葉を返せなくなった。

 彼にとって未知の体験が、想像を超えた現象が思考を鈍らせているようだ。

  千沙は剣をしまうとフルフェイスを脱ぎ捨て、もう一度彼に向き直った。

 上からでも下からでもなく、正面から真っすぐに。

『本当に、害をなすだけの生き物ですか?…たしかに弱くて醜いところもあります。だけど、それは全てではありません。美しく、尊いところが誰にもあります。気づけていないだけです。どうか、もう一度私達を見てはもらえないでしょうか』

  ようやく彼女の思いが彼にも響いたのか。初めて神の表情が怒り以外の色を見せた。

『私達は有翼人の皆さんを知りたいです。皆さんが思う不満や怒りをきちんと理解したい。そして私達の思いも知って欲しい。そうして共に尊重して生きていきたい。だから皆さんと話したいと考えています』

  躊躇いが生じたのか男の顔が一気に険しくなる。

 だが、迷いを振り払うかのように大きく首を振ると有翼人は苛立ちを露わにした。


『うるさい!!もう決めたことだ!地上人は一人残らず始末するんだよ!』

  やはり説得は通じない相手なのか。彼の叫びと同時に光の障壁へと攻撃を続ける竜巻の威力が上がる。

 有翼人の海の魔法を鎮めようと集中するクラウスも、障壁で防ぎ続けるディオーネもこれ以上別の魔法は使えそうにない。

  すると千沙は一気に間合いを詰め、有翼人の目の前まで飛んで近づく。

 手を伸ばさなくても届く距離、簡単に致命傷が入る。

  けれど、少女は何もしない。危害を加えることも、自分を守ることも。ただ近づいただけだった。

  少女の理解できない行動に有翼人は動揺しているようだった。少女が攻撃を仕掛けたのならば躊躇わず反撃しただろう。だが、自分の魔法を斬り捨てる力があるにも関わらず、あまりにも無防備な姿で目の前に居る少女が怖かったのかもしれない。


『どうして拒むのですか?相手の主張に耳も傾けず、相手をよく知りもしない。それなのに何故、力で命を奪おうとするのですか?』

『違う!奪ってなどいない!世界を正しき未来へ導いているだけだ!』

『一方的な破壊が導き?私は自分が知らないせいで破壊を繰り返し、多くの過ちを犯しました。でも今ならはっきりと分かる。一方的な破壊は正しいとは思いません』

『破壊ではない!…俺は世界を救っている…お父様のご意思で俺達は清浄な大地を取り戻そうとしているだけだ!』

『悪戯に自然環境を変え、地上人の命を消し去ることがですか?』

『強欲で愚かで脆い。勝手に湧き出てくる。それが人間だ…お父様はそう言っていた…消えたところで問題など…』 

  千沙のそっと語り掛けるような言葉に対して有翼人はしどろもどろになっていく。見据える彼女の目を有翼人は直視できない。

 まるで彼の混乱した心情を映すように光の障壁を叩きつける竜巻が荒々しさを増す。


『もっと知ってください私達のことも、あなた自身のことも。考えてください、誰かの教えではなくあなた自身が!』

『…うるさい!うるさい!目障りだ!』

  有翼人が大きな叫び声を上げ、翼を羽ばたかせると強い衝撃波が生じ、千沙は海へと吹き飛ばされた。

 アークは飛行速度が速いとはいえ、あくまでW3Aの改良型。筋力増強や出力はW3Aと大差ない。有翼人と対抗するには圧倒的に力が足りない。

 それもあんな至近距離で受けた攻撃、受けた痛みは尋常じゃないはずだ。

『終わらせてやる!!』

  千沙の安否を気遣う暇もなく、有翼人は攻撃に集中した。

 神の怒りに応じるかのように海が震え上がる。そして大地も怯えるように揺れる。

 強い揺れはこの小島にまで及ぶ。終わりの足音は着実に忍び寄ってきている。



  ―――足りない。海の神を止める手立てが。

 だが、ルイフォーリアムの聖騎士団は国民の避難誘導で手一杯だ。

 未だにヘスティア達と連絡も取れない。これ以上の助けを求められない。 

 他国もこの異常事態に自国よりもルイフォーリアムを優先するはずがない。

 このままでは…ルイフォーリアムは海に飲み込まれてしまう。

『私が出る』

  寝込んでいた筈の人物の声が通信で研究室内に響く。

 俺は言葉も発せず、考えるよりも先に部屋を飛び出していた。責任者としてあるまじき行為だ。

  開発のリーダーなど任せられていても、結局のところ俺はただの人間だった。

 どうしようもない衝動は理性で抑えられなかった。

  運動を怠っていたせいで走ってすぐに息が切れてくる。

 苦しい。呼吸が上手くできない。足が痛い。

 久しぶりに全力で走るとこんなにも辛いのか。度重なる徹夜をしているから余計か。

  違う。この胸を締め付ける痛さはそれだけではない。分かっている。

 分かってはいても認めたくない。認めてしまえば、それは…失うことを理解してしまうことになる。


「行くな!!」

  思った通り彼女は発着場に居た、それもNWAを着用して。

 魔導砲を食い止めた後、あの孤島に居た者達は精霊達の加護により奇跡的に一命を取り留めた。だが、彼女の身体は元々弱っており筋力も子供並に低下している。そんな人間に戦わせるわけにはいかない。こんなことならNWAなど壊してしまえばよかった。

  まさに飛び出そうとしていた彼女はフルフェイスを脱ぎ、振り返った。

 少しでも話を聞く気になってくれたのか。そんな期待は彼女の表情を見ただけで違うと分かる。

  コイツは頑固で、一度決めたことは曲げない。どこまでも真っすぐな女だ。

 穏やかで全てを受け入れたような。そんな顔、見たくない。


「困ったな。千彰君の顔を見たら怖くなってきちゃった」

 腑抜けた笑みを浮かべてる。そうやっていつまでも笑っていればいい。

「なら行かなければいい。お前の身体はとっくに限界を越えている」

「だからこそ戦えるよ」

  そっと胸元に手を当てた。たしかに戦えはするだろう。埋め込まれている魔石を使えば、だ。しかしそれは自身の命を利用すると同義だ。

「お前が犠牲になる必要はない!あの子はお前の子供なんだろう。だったら母親として共に生きろ!」

「大切な家族は守らなくちゃ」

「行くな」

「それに私の身体はもう長く持たない」

「頼むから…!行くな、旭!」

  まるで子供の駄々だ。情けなくて、見苦しい。それでも構わない。

 旭が明日を生きてくれるというなら。どうだっていい。


「私、千彰君に会えて幸せだったよ」

「そんな言葉は今聞きたくない!」

「私達の娘の未来は、親である私達が守ってあげなくちゃね」

 弱音を全て押し込んで笑って見せた旭の顔はくしゃくしゃなのに、言葉を失うほどにとても綺麗だった。

 


  世界が破壊されてしまうよりも旭を失くすことのほうが嫌だ。

 今の俺ならば簡単に天秤を傾ける、そのはずなのに。

  俺は飛び立つ旭を止められなかった。

 旭の笑顔はいつも陽だまりのように温かく、時に眩しくて直視できなくなる。

 どこまでも続く青い空へと飛んで行く姿は本当に美しかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る