水沫の願いを掬い上げるー3


「…ここは?」

  気が付くと自分の周囲が闇に覆われていた。

 水に襲われた筈だが、魔法で自身だけが移動させられたのだろうか。

  地面と呼べる物もなく、身体は宙に浮いているのだが飛んでいる感覚でもない。

 水中を漂っていると言えば近いだろうか。沈んでいくわけでも浮かび上がることもないが身体が重く上手く動かせない。

 異質な空間に警戒しているとどこからともなく声が聞こえてくる。


「お前は人間を酷く憎んでいるのだろう、何故人間と行動を共にする」

  聞き覚えのある声だと振り返ればそこにはディリータさんの姿があった。

 人間を忌み嫌い、人間が主体であるアルセア国からティオールの里の独立を提言していた人物。強硬な態度を取ってはいたが彼なりに里の未来を案じていた。

「憎しみが消えたわけではない。今も自然を食いつぶしていく人間の行為を許そうとは思いません。ですが憎しみに囚われ考えを誤る。それほど愚かなことはない、そう思っただけです」

「そんな甘い考えを持つな、奴らはそこを漬けいって我らエルフを利用するのだ。道具のように扱き使う、先祖が受けた奴隷としての屈辱を忘れるのか?」

「忘れはしません。だからこそ同じ過ちを犯させぬよう行動する」

  かつてはディリータさんの言葉全てを盲信していた。

 けれどそれは違った。誰かの言葉通りに全てを判断してしまえば、自分の意思ではなくなってしまう。

  自分の考えを持つ力が俺には欠けていた。それを彼らは教えてくれた。

 俺は自分の意思で生きていかなくてはならないんだ。


「カルツソッドとの戦争を体験しただろう?エルフの持ちえる魔力マナの凄まじさを人間は知ってしまった。貪欲な奴らは再びエルフを利用する手立てを考えるに決まっている。人間は悪戯に自然を枯渇させていく、今に地上から緑は消え失せる。カルツソッドの大地は未来の地上の姿そのものだ。人間は滅ぼすべき生き物、いや悪だ!」

  以前は俺もディリータさんと同意見であった。いや、そう教え込まれ信じ切っていた。それが正しく、エルフが絶対の正義であると。

 けれど気づいてしまった、それは傲慢ではないのかと。

 彼の言うことが全て間違っているとも思わないが、人間を知りもせず決めつけるのはおかしい。あくまでディリータさんの、過去のエルフの意見だ。

 今までティオールの里から出たこともなく、人間と対話したことなど一度もなかった。俺にはきちんと真実が見えているのか?疑念は自信を失くす。


  ティオールの里にやってきたアルフィードの生徒達はディリータさんの言うような悪には見えなかった。しかし里を一瞬で滅ぼしたのもまた人間だ。

 人間は悪なのか、善なのか。ますますわからなくなった。

 アルセアに敵対する相手にはエルフの姿もあった。何故進んで人間の味方をしている。理解できない、教え込まれた常識と現実には差異が大きかった。

  カルツソッドという国に捕らわれ、魔力マナを吸い取られるという燃料の扱いを受けた。それも人間の仕業。けれど捕らわれの俺達を救ったのもまた人間。

 レナス様が人間達と共に戦い、多くのエルフ達が協力し魔導砲の侵攻を食い止めた。

  俺はその光景を目にするまで気づけなかった。

 エルフが善で人間が悪なのではない。個々が違う。一人一人の精神次第。

 エルフや人間など種族だけで善悪を区別出来たりはしない。

 善悪は生きる物全てに存在する。判断を種族だけに絞るのは浅はかな行いだ。


「佳祐や千沙達はエルフと人間を差別せず同じように接する。将吾や隼人達はカルツソッドに捕らわれていた我々を助けてくれた。これは俺が目にした事実だ。事実を拒絶し判断を間違えるなど可笑しい。人間という人種がエルフを戦争の道具としてしか見ないと決めつけ、人間は自然を消費し魔法が使えぬ寿命の短い劣等種だと我々は見下していた。双方に事実があろうともそれが全てではない。こんな連鎖はここで終わらせたい。人間だから悪意が生まれるのではない。感情が等しくあるように悪意や善意も誰しもが持っている。滅ぼすべきは互いにある偏見や頑なな拒絶だ」

  真実は与えられるものではなく、自ら見極めるものだ。

 俺は自分の感じたものを信じる、そして信じることを恐れずありたい。


「止せ!長い歴史の中でエルフと人間は幾度と対立してきた、分かり合えたことなどない!互いの共存など不可能だ、争いを失くすのであればどちらかを根絶させるしかない!」

「すぐに上手くはいかないでしょう。しかし何度でも訴えましょう、力で説き伏せるのではなく話し合い理解しあえる努力をするようにと。自分の知識が全てではない、拒絶するだけでは世界を狭め、解決には至らぬということを伝えていく!」

 誰に指図されたわけでもない。これが俺自身の導き出した意思だ。

「愚かだな…それがエルフにとって破滅への道だと何故分からない」

「俺は信じてみたい。人間とエルフが対等に暮らす世界を。種族や外見、能力ではなく心で互いを認め合えるそんな関係を目指したい!」


 俺が断言するとたちまち俺を取り囲むように見知らぬエルフ達が姿を現す。

「私達の愛する故郷を、家族を奪った憎しみは消えはしない」

「世界を蝕む人間たちは悪だ」

「多くのエルフが命を奪われた。道具のように使い捨てられてな!」

「人間の甘言に惑わされるな、滅びの道を辿るぞ!」

「大地や木々を守るのは我々エルフだ。低能な人間は脅かすだけの害だ」

「やつらの過ちを決して許すな」

「人間を殺せ!」

  絶え間なく襲い掛かって来る悲痛の叫びは頭を締め付けてくる。

 呪詛のように絡みつき理性を手放しそうになる。屈してしまえば以前の俺と同じだ。人間との共存を望むならば、これからこのような想いを抱えた者達と相対し続けなくてはならない。

「ただ殺めてしまうのならばあなた方が蔑む人間と同じだ。共に生き、双方が納得する道を探る!もちろん同じ過ちを繰り返させはしない!俺達は新しい未来を生きてみせる!」

 邪念を振り払うよう、決意を新たに彼らと向き合う。 

「愚かな!!」

  対峙していたディリータさんと周囲に立っていたエルフ達がたちまち禍々しい靄へと変わる。形の無い怨念が具現化したらこのようになるのだろうか。

  エルフ達が人間に対して抱いた憎悪はこうして思念となって残り続けているのか。だがいつまでもそれに縛られ続けていたら何も変わらない。いや、好転する未来は決して訪れない。


  怨念は次々に俺に向かって飛んでくる。反撃を躊躇うと纏わりついた。

 体中を絞めつけられ身動きが取れないどころか呼吸もできない。

 抗えぬ力に挫けそうになる。

  駄目だ―――俺は過去を超えて行かなくてはならない。

 手にしていた杖を強く握り直す。

 詠唱がなくとも高位な魔法使いは僅かな威力の魔法は使える。

 ならば俺にも使いこなせてみせよう!

 ここで終わりになどさせない!

「ウォォォォォォオッ!」

  杖が俺の呼応に応えるよう眩く輝き始めると怨念達は苦しみながらも杖の先端にある魔石へと吸い込まれていく。

  俺が泉の守り人の任につく際、受け継いだティオールの里に代々伝わる記憶の杖。彼らはきっとティオールで生きたエルフの祖先。

 深い悲しみを抱え、未来に絶望して生涯を終えてしまった者達の記憶。

「もう一度、機会をください。彼らは皆さんの無念を理解し悲しんでくれる。全てが敵ではありません。彼らとなら…並び歩んでいけます」

  


  たちまち闇が晴れ、俺を囲んでいた水球は水飛沫となって弾け跳び周囲に滴り落ちた。

 視界は眩しいほど明るみ咄嗟に瞼を閉じる。再び開けるとそこは先ほどまでいた祭壇の上だった。共に祠を訪れた面々が安堵の表情を浮かべていた。

 ――戻って来たのか。

 正面には居なくなったと思っていたタナトス神が穏やかに微笑んでいた。

『汝の意志、しかと受け取った。我の魔力マナを託そう』

  目の前に紋章が刻まれた水色の水晶が現れ、緩やかに俺の掌に収まる。

 エルフが作り出す魔石とは比べ物にならない程、輝きを秘めている。

 俺に水晶を託したタナトス神は今度こそ姿を消した。

 水晶は中に水面を映しながらも透き通っていてキラキラと輝いていた。

「クラウス、その水晶を貸して」

  ヘスティアに水晶を差し出すと彼女は水晶を頭上へと浮かべた。

 彼女の細い指先から水晶へと力が集まって行き、やがて水晶は水色の光を放ちながら形を変えていく。細長く伸びていき水晶は長杖へと姿を変えた。

 先端には紋章が刻まれた水晶が埋め込まれている。

 杖は俺の目の前まで飛んできて手に取れと言わんばかりに宙で浮かんでいる。

「これがあなたの神器。水の魔力マナが秘められた杖」

「…俺の神器…」

  神々しい杖をそっと手に取る。手にしただけで力が漲ってくるのが分かる。身体の内からこんな膨大な魔力マナを感じるのは初めてだ。

  神にも等しい有翼人に対抗する魔力マナを秘めた武器。俺はこの強大な力を決して誤った使い方をしない。エルフと人間、そして有翼人とも誰もが争わずに生きていける未来の為に力を振るう。

  神器を手にした俺の姿を自分のことかのように嬉しそうに見守る佳祐、千沙、勇太。恥ずかしいが嬉しい、こそばゆい気持ちだ。大丈夫、彼らならば信じられる。

  人間に対して不安が消え去った訳ではない。だが彼らを理解し、また理解してもらおう。踏み出さなければ何も変わらない。その為にもまず世界の未来を守らなくては、和解も何も始められない。


   「共存する世界の為に尽力する。共に行こう」

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