共に歩み出すー1
闇雲に飛び回りどれだけの時が経ったのかも、自分が何処を飛んでいるかも分からなかった。少なくても楽園からは随分と離れてしまっただろう。太陽と月の入れ替わりを数度見たような気もする。
スピカに想いを馳せると涙が滲み出て来る。たった一人の友達を失った辛さは何にも代えられない。この痛みは癒えることを知らないそうだ。
これからどうしよう。楽園に戻るにしたってあれだけお父様に反抗したのだから今更許しては貰えないだろう。
私も生命を終わらせられるのかもしれない。
有翼人は不死の身体なんて言っているが、実際は地上の生物よりは丈夫だが強い魔法で攻撃されれば傷つくし生命も潰える。
もしかしたら”制裁”の時に私も地上の者達と一緒に処理されてしまうのだろうか。どうせ死んでしまうのならば、あの子が愛した地上の景色を、生命達を一目見てみたい。
私は背に生えた翼を制止させる。羽ばたくことを止め、無防備に身を投げ出す形で地へと墜ちて行く。緩やかだった速度もみるみると上がり自分が流れ星にでもなったのかと錯覚する。
空や太陽が遠くなる、私はどこに向かっているのだろう。
深く考えもせずに飛行を止めたばかりか、下がどうなっていたか確認もしていない。人間の集落があるのか、自然溢れる森の中か、はたまた山脈に衝突するか。分からない。
風を裂く音が鼓膜いっぱいに響き渡る。まるで魔法にでも掛けられているみたいだ。全速力で飛ぼうと思えばこれくらいの速さを出す事は可能だろうか。そんな必要性を感じないから試したこともないけれど。
随分と長い時間を生きてきたのに狭い世界で生活していた私には知らないことばかりだった。
こんな速さで墜ちて地にぶつかれば恐らくとても痛い。
今翼を羽ばたかせれば体勢を整えて直ぐにでも飛べる。
それなのに翼どころか身体のどこも動かす気力が湧かない。
いっそこのまま消えてしまってもいいと思っているのかもしれない。
大切な者の死や信じていたものが揺らいで私は生きる気力を失くしてしまった。
抵抗することなく落下に身を任せた私は瞳を閉じる。
とうとう何かにぶつかる衝撃が走った。
でも想像と違う。確かに痛みはあったが、落下が止まりはしない。
速さは緩み、何かに包まれているような感覚だ。
やがて息苦しくなり目を開けるとそこは水の中だった。
こんなに大量の水を楽園で見たことがない。地上はすごい場所だ。
酸素を求める胸の苦しさから逃れるように、無意識に光が差し込む上を目指した。
水面を出ると咳込み、身体が空気を求めた。消えてもいいなどと思いながらも本能は死を恐れている。滑稽な話だ。
魔法を使わなければ有翼人も所詮
「大丈夫ですか!?」
物思いに耽っていた私は何かが近づく気配にまるで気づかなかった。
いつの間にかやって来ていた宙を浮く人型の機械に話しかけられた。
しかしよく見れば頭部は人間の顔だ。この機械は彼らの発明か。
私達と同じように空を飛べる、ますます有翼人に近づいている。
「…ええ、平気よ」
「嘘言わないでください、あなた空からすごい速度で落ちてきたんですよ!生身で無傷な筈ないじゃないですか!」
水と衝突した際に痛みは感じたが、もう痛みは引いていたし怪我も特に無い。
身体は問題なく動く。やはり有翼人は簡単に傷つかないのね。
彼は私を心配してか手を伸ばしてきた。
「触らないで!」
私は反射的にその手を払いのけ身体を宙に浮かす。彼は私の翼を見て目をまん丸とさせていた。
しまった。人間との接触で安易に翼を見せてしまった挙句飛んでしまった。
これでもう私は人間ともエルフだとも言い逃れができない。
すぐさま飛び立てば撒けるだろうか。それとも説得するか。
でも目の前の少年が悪い人間だったら私を利用しようと考えるかもしれない。
「…綺麗」
「なっ!?」
彼の予想外の言葉に私は思考が固まってしまう。容姿を褒められたことなど一度もない。変わり映えのしない身なりの兄様達と長い時間を共に過ごしているので、それが当たり前だからだ。容貌に対して感想などほとんど抱きはしない。
それとも人間と言う生き物は初対面だと、とりあえず褒めるのだろうか。
私はどう対応すればいいか分からなかった。
「本当にどこか痛んだりしていませんか?」
私の翼に触れるよりも怪我を気にかける彼は私の身体を確認していた。
異質な者が目の前に居ると言うのに警戒や好奇心は無いのだろうか。変な人間だ。
「あ!やっぱり怪我してるじゃないですか!」
声を上げて示す先には切り傷があった。血が滲んではいたが痛みはないし、この程度ならば魔法を使えばすぐに治せる。そんな大事でもないのに彼は慌て出した。
「急いで飛び出してきたので応急処置の道具すら持ってなくて…えっと飛べますか?」
「ええ」
「でしたらあそこの岬で待っていてください!僕すぐ取って来るんで!」
「ちょっ、ちょっと!」
私の言葉も聞かずに彼は遠くに見える陸地へと飛んで行ってしまった。別に治療など必要ないのだけど。
彼の指示に従う義理もない。このまま姿を暗まそうか。
そう理性は訴えるのに何故だろう。もう少しだけ彼について知りたい。
曇りない真っすぐな瞳を持つ人間に、私は興味を惹かれてしまった。
指定された海岸に降り立ち、全身に纏わりついていた水分を払い落とす。
水からしょっぱい香りがする、これが海水か。私の落下した場所は海だった。
ポセイドン兄様が司る海には荒々しく恐ろしい印象を抱いていたが、海は生命を育む力もあるという。海に私の命は守られたみたいだ。きっと地面に落下していたらもっと酷い怪我を負っていたに違いない。
それにしても綺麗な海だ。太陽の光を受けて海面は輝き、海底も透けて見える海は吸い込まれそうなほどに魅力的だった。無邪気に泳ぐ魚達や揺れる草は気持ちよさそうに見える。楽園では目に出来ない光景だ。
私達は自然の力を司りながら伝え聞いた情報でしか把握せず、地上の実物を目にしない物が多い。こうして目にしなければ私は海を恐怖の対象としか思わなかっただろう。
やはり自ら得る知識は大切だ。思い込みで判断をしてはいけない。さっき会った人間もそうだ。こちらの一方的な価値観で決めつけてはならない。彼がどんな人物なのか。私自身が見定める。
「よかった。待っててくれたんですね」
少し息を切らした少年が再び私の前に現れた。
そんな姿から悪意は感じない。彼は本当に私を心配してくれているように見える。
「…まあね」
「じゃあ手当てしますね、腕を出してください」
素直に私は怪我をしていた腕を出す。すると彼は手慣れた様子で傷口に液体を塗ったり布を巻いたりして保護を行った。人間はこうして治療行為をするのかと観察する。
「はい、終わりです。他には無いですね?」
少年は私の身体をキョロキョロと見回す。
「心配し過ぎよ」
「しますよ!生身で空から落ちてきてそれだけ元気なのがおかしいんです。本当はすぐにでも検査してもらいに病院へ連れて行きたいくらいです!」
そうなのか。やはり人間は脆い生き物だな。人間の常識をきちんと知らなきゃ。
彼は怒っているのか困っているのか判断しづらい様子で道具を片付けていた。
「どうして助けてくれるの?」
「怪我してる人がいれば誰でも助けますよ」
「だって私は…その、普通じゃない」
背に翼がある時点で彼と同じ人間ではないのだけど、有翼人だと知られたくなくて言葉を濁す。
「関係ないですよ。困っていたり、辛そうな思いをしている人が居れば人間だろうとエルフだろうと助けます。助ける理由なんて放っておけないから。それ以上必要ですか?」
「聞かないの?私が何者だか」
「聞いてほしいですか?」
「いえ、それは…」
「話したくないなら聞きはしません。でも困っているならばあなたの力になりたいとは思います」
不思議な人間だ。得体も知れない生き物相手にどうしてそこまで親身になれるのだろうか。
「あ、でもお名前くらい聞いてもいいですかね?僕は古屋勇太って言います」
「…ヘスティアよ」
「ヘスティアさん、ですね。僕はあなたに危害を加えたりはしません。完全に信用してもらっているとは思いませんが、でも少しは僕を信じてくれたから待っててくれたんですよね?嬉しいです」
べつに喜ばれるようなことはしていないが、勇太と名乗った少年は穏やかに笑った。
「私があなたを利用しようとしているだけかもしれないわよ」
「本当に僕を利用しようと思っているならそんなことは口にしないでしょ?」
あえて嫌な印象を与えて試そうとしたら、彼は気にもせず笑顔を絶やさなかった。やっぱり勇太はお父様の言うような人間とは違って見える。
「お困りでしたら僕でよければ何か力になりますよ」
私が訳アリだと理解してくれているのだろうか、親切の手が差し伸べられている。
こんな簡単に目の前の少年を信じてみてもいいのだろうか。警戒する心がなかったわけではない。けれど一人ぼっちになってしまった心細さからか私は彼に縋りたくなってしまった。
「私の翼のことは秘密にしてほしい」
「もちろん」
「そのうえであなた達について知りたい」
「僕達を?」
「そう、人間達の生活する姿を見てみたいの」
「構わないですけど…その、今僕はあまり普通の生活をしていないんですよ」
「迷惑ならいい」
「迷惑ではありません!ただヘスティアさんが望むものが見られるかどうか…」
「私は真実が見たいだけ」
望む形などない。私はありのままの地上が知りたい。
もう周囲の情報に流されない。確かな知識が欲しい。
「分かりました。僕も任務があるのであまりゆっくりは案内できないかもしれませんが…」
あまり悩まずに勇太は承諾してくれる。彼はお人好しなのかもしれない。
「いいの。あなたの傍で周囲の環境が見られれば充分だから。邪魔だったら言って」
「そうですか…でしたら翼を隠す服を探してきましょう。あと耳も」
「耳?」
勇太に指摘されて自分の耳に手を当て、彼の耳を見る。
私の耳は横に長いが彼の耳は随分と短かく丸みを帯びていて小さい。
「エルフとも特徴が違いますからね…また待っていてください、そこの岩陰に隠れると陸から死角になりますよ」
どうして彼は私が身元を明かしたくない理由を話さずともその意図を汲み取り優しく接してくれるのだろう。人間も分からないが、この少年も全く理解できない。
再び飛び立つ機械の後ろ姿をぼんやりと眺めた。
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