孤独な少年のアイした記憶-4


  俺と旭はアルフィードの地下研究施設を抜け出すことを決めた。 

 表舞台を去ったことになっている工藤博士が地下研究室を離れる機会はそう多くない。予め逃亡の計画を立て、彼が長時間外出するタイミングを見計らい一気に行動に移す。

 飛行鎧の次世代機やエルフ、魔法についてなど有翼人計画における重要な研究を全て、難解なパスワードや血を用いて鍵をした。

  工藤や榊達に気づかれる前に堂々とアルフィードの島を定期船で出る。

 そこからは隠れるように隣国であるルイフォーリアムに逃亡する予定でいた。

 ところが船でアルセア本土に辿り着く頃には旭の顔は真っ青になった。

「…大丈夫だから、急ご…」

「無理するな」

  もうずっと体調が優れない旭は俺よりも体力が落ちていた。

 度重なる負荷実験のせいで嘔吐や発熱もよく起こしていた。

 真夏の焼けるような日差しはより健康を害す。

 変に隠れると逆に際立ってしまうので、至って普通に目立たぬよう休み休み進んで行く。


  工藤博士は俺達が地下研究施設から居なくなったことに気づけば血眼で探すに決まっている。かといって表沙汰に出来ない研究の当事者を犯罪者だと言って軍人全員を使って捕まえようとするのは不可能だろう。

 なら形振り構わず急ぐよりも多少遅くとも要所要所をミスせず進むことが重要だ。

  すぐに手を打つならば、まずは国外と繋がる船や飛行船の発着所だ。問題は海を渡る方法か。

 金は今までの研究、開発のおかげか口座に膨大な額があったが榊あたりが差し押さえるだろう。財の力で言い聞かせる法はとれない。

 数少ない知人を頼る手もあるが、迷惑はかけたくない。

 下手をすればあらぬ罪を相手にかけてしまう可能性がある。自分の力で逃げ切る。



  太陽が沈むのはこんなにも早かっただろうか。

 久々の外での長時間行動に自分の体感時間が狂ってしまった気さえする。

 移動するだけで日は暮れ暗闇の中、人目を避けるようにアルセアの東部まで来た。

 あともう少し。東端の港に辿り着き、朝一の船にさえ乗り込めばアルセアから離れられる。逃れてみせる。

  姿を隠す為に森の中の移動を選んだ。息を忍ばせながら少しずつ進んで行く。

 立ち止まりながらとはいえ、一日中歩き続けた。疲れが体を重くさせるが、眠って夜明けを待つ余裕はない。

  森を抜けるまであと少し、そんな所で背後から控えめな草を踏みしめる音が聞こえた。呼吸が止まり胸が張り詰める。

 こんな明け方に歩き回る一般人はそうはいない。慎重に音の主を確認する。


「美奈子ちゃん」

 旭が呼びかけた先には旺史郎や晃司の同級生、榊美奈子の姿があった。

「旭さん、御影博士」

  俺達を視界で捉えると美奈子は苦悶の表情で俯いてしまった。

 心配して旭が歩み寄ろうとした瞬間、美奈子は腰のホルダーから片手銃を抜き出し構えた。咄嗟に旭を引っ張り距離を取らせる。

「…見逃しては、もらえない?」

  分かり切った答えを美奈子は頷いて示す。

 銃を持つ両の手は音を立てて震えている。そんな状態ではまともに銃口が定まらない。

「ごめんね、辛い思いさせて」

 旭の言葉に美奈子の耐えていた涙が一筋頬を伝う。

「私、私…明るくて優しい旭さんが好きです…御影博士の研究データも見て、その素晴らしさに尊敬していました…なのに…どうして、私は二人に銃を向けなきゃいけないの…」

  恐らく父親である榊の命令だ。彼女は姉のように旭を慕っていた。好意を寄せた相手に銃を向けるなど初めてだろう。

 それでも銃を使わねばならない。彼女にとって父親の圧は上司からの命令以上の、何者よりも重い命なのか。


「…ごめんなさい」

  美奈子はそう言って銃弾を放つ。しかし銃口は向きを変えていた。

 高らかに鳴り響いた銃撃は美奈子の太ももを貫通していた。

「美奈子ちゃん!」

「逃げて、ください」

  痛みで膝をついた美奈子は声を絞り出した。

 貫通した穴からみるみる血が溢れ出る。

 早く止血しなくてはと俺達二人は駆け寄ろうとするが、美奈子は叫ぶ。

「すぐに追手が来ます!ここから離れてください!」

 美奈子を傷つけてしまった己の無力さに苛立ちながらも躊躇う旭の手を引き走り出す。

「待って!美奈子ちゃんが!」

「美奈子の思いを無駄にする気か!?」

  あいつは悩み苦しんだ末に俺達を逃がすのと仲間に俺達の居場所を知らせるという折衷策を選んだ。銃声を鳴らすだけで充分なところを自傷した。

 それは責任感の強い彼女なりの謝罪の意味があるように思えた。

 だから俺達は彼女を責めは出来ないし、助けてもならない。

  前に進むしかない。後戻りは出来ない。

 有翼人計画から逃げ出すと決めた時から分かっていたことではないか。

 それでも自分達の身勝手が無関係の少女を苦しめ傷つけた。

 こんな悔しさや申し訳なさを味わうことになるとは想定していなかった。

 手を引かれて付いてくる旭も唇を噛みしめ、黙ってついてきた。


  必死に走ったが体調不良の旭はすぐに呼吸が整わなくなる。

 急いで岩陰に身を隠し息を潜める。

 追手を撒くのはおろか走り続けて逃げるのは厳しい。

 すぐに美奈子が言っていた追手の足音が耳に届く。

「…ルイフォーリアムにどんな人間でも受け入れてくれる修道院がある」

  微かな声量でも伝わるように旭の耳元で伝える。

 突然の発言に理解が追いついていないのか旭は目を丸くした。

「そこで偽名を名乗って隠れて生きろ。匿ってもらえれば軍と言えど他国であるアルセアは容易に手出しできない」

  旭は首を横に振って抗議するが俺はこうなるだろうと想定していた。

 勿論、二人で逃げきるのが最高の結果だ。けれどその結果に至る確率は極めて低い。

 今まで希望を持たせる為に旭にはあえて口に出さなかったが彼女を修道院へ送り届けるのが逃亡の成功だと俺は考えている。

 弱っている旭を思えば、せめてルイフォーリアムに入国するまでは傍に居てやりたかったが贅沢は言えない。


  指示を言い残して岩陰を出ようとした俺の服を旭は力いっぱい掴んだ。

 服を掴む旭の手の薬指がうっすらと光る。

「どうしてよ…一緒に生きようって言ってくれたじゃない」 

  それは俺が旭に指輪を贈った時に伝えた言葉だ。

 嘘ではない。俺のたしかな望みだ。本当は一生の誓いだと言い張りたい。

 だけど俺には…やはり人並の幸せは無理だった。

「千彰君が傍に居てくれなきゃ、生きてる意味がないよ!」 

  思えば俺は人を不幸にしてばかりだった。

 俺が御影の家を出なければ、もしかしたら旭は工藤博士と上手く行っていたのかもしれない。

 旺史郎がW3Aの開発に関わることも美奈子が自分を責めることもなく、楽しい学園生活を送れていただろうか。

 俺に最初の愛情を注いでくれた松山ですら人知れず死なずに済んだのかもしれない。

 最も幸せにしたい人まで泣かせてばかりだ。そもそも異端の俺に普通は出来過ぎた幸福だったんだ。普通に成り損ねた俺にはその言葉だけで充分過ぎた。

「…ごめん」

  旭の手をそっと払い俺は岩陰を飛び出した。

 俺の名を呼ぶ悲痛にも似た声が聞こえたが振り返りはしない。


  歩くことも苦しい旭が逃げ延びるのは厳しい。

 静かに、かつ追手に行方を分からせるよう、急ぎつつ距離をかせぐ。

 注意をこちらに向かせる。もう旭を生かすこと以外にこの命の使い道はない。

 持っていたナイフで腕を切りつけ赤い目印を落としながら森の中を進む。

  たしかな終わりの足音がこちらに近づいてくる。逃げ延びる目的地など決めてはいなかった。赤い雫を流しながらただひたすらに足を動かし続けた。

  追い込まれた先は海に面した崖だった。アルフィードに住んでいながら潮風の香りを感じたのは初めてな気がした。瀕死状態の俺を見てか苛立った様子で追手は銃口を向けるのを躊躇っている。命令は生け捕りか、ならば好都合だ。終わる方法はこちらが好きに選べる。

  大量の出血で意識が朦朧としてきた。「動くな」と言われるが残念ながらじっとしていられる力も出ない。ここで気を失うわけにも捕まるわけにもいかない。

 俺が抵抗しないことを見計らいながらジリジリと近寄って来る。追手との距離だけに神経を集中させる。

  空が白み始めた。終わりを恐れてはいない。陽はいつも頭上で輝いてくれる。これが俺の最期に望んだものだから。


  追手の手が届かない最終ライン。そこへ足を踏み入れた時、俺は宙に身を投げ出す。背から落ちれば淡く光る星々が視界いっぱいに広がる。

  神々は死後、星座となる。そんな神話があったな。空に瞬く星を見てふと自分はどうなるのだろうか。など考えた。そんなこと考えずともすぐに答えは分かるな。

 瞳を閉じてすぐ、海に全身が強く打ち付けられる。激痛で意識は飛んだ。




  目を覚ますと異世界に迷い込んでしまったかのように殺伐とした地にいた。

 建物などの人工物はおろか草木のひとつもない。人もエルフも動物も、生き物が居ない。見渡す先は闇が広がるばかり。

  伝わってくるのは湿り気のある土の感触と自分の煩い心音だけ。

 どうしようもない焦燥で心臓がバクバクと鳴るのに、その理由が分からない。

 命を懸けても守りたく、放したくなかった掛け替えのない…あれは何だった?

 そもそも自分は何者だ?どうしてこんな場所に居る?

  真っ暗な世界で俺は全てを忘れていた。ここは暗く、冷たく、寂しい。

 独り、見上げた先にはゴツゴツとした岩の天井しか見えない。

  ―――ああ、ここには太陽がないんだな。

 何も思い出せなかったのに、その感想が俺の心を酷く空しくさせた。

 当たり前のようにあった澄み渡った空も、眩しくも温かい太陽も。この世界には存在しない。その事実が俺にとって生きる意味を失くした瞬間に思えた。

 空っぽで暗いこの大地が今の心情を映しているのだろうか。これから俺はこの虚空を彷徨い続けるのか。


  どうであろうと関係ない、もう俺には何もないのだから―――

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