救いたい人ー3
それからは時間を見つけては旭に会いに地下研究室へ通った。
首都エアセリタに俺の家はあり、研究室は離島のアルフィード。
決して近い距離では無いので会える回数は少なかったけれど、彼女に対する印象が変わっていく。
言葉の使い方が大人にしては少々軽いので予想はできたが、それ以上に彼女は子供っぽかった。
笑ったり拗ねたり怒ったり、表情もころころと変わり厭きることがない。
俺のどんな話でも自分の事のように親身になって聞いてくれる。
新しい彼女を知るたびに嬉しかった。誰かと笑い合えるのはこんなにも楽しいものかと教えてくれた。母を亡くしてから自然と笑みが零れたのは初めてだった。
次第にもっと彼女の笑顔が見られたらいいと考え始めた自分に驚きもした。
自分の行動指針は"最高司令官の息子として相応しくあれ"という事だけだった筈。
俺は旭の前でだけは年相応の子供になれた。二人の時間は何よりも心地良かった。
幸せな時間は長く続かない。
研究が進むにつれて旭は建物内ですら出歩くことを許されず地下研究室に軟禁された。
辛うじて面会を禁止されることはなかったが、日に日に旭の顔から元気は無くなり不調が目に見えて分かった。
原因が研究だと分かっていながら何も出来ない自分の無力さが歯がゆかった。
忌まわしい事件が起きたのは旭と出会って2年が経とうとした夏の日の事だ。
学校は長期休暇に入り、普段より自由に時間が使えるのを良いことに俺はアルフィードに数日間滞在することにしていた。
この頃には父は俺へ干渉することは一切なかった。
同じ家に暮らしながら顔を合わせる事もなく、手紙やメールなんかでのやり取りもない。伝達事項があれば使用人伝い。それも社交パーティーの案内だとか事務的なものばかりだ。しかも強制ではなかった、気が向けばという程度だった。
進路や教養、交友関係などあらゆる自分に関するものは父に相談することもなく、必要性は全て自分一人で決めた。それに対して否定されることもない。
無関心さがまるで赤の他人にすら思えた。
結局、俺は"最適解の息子"を続けている。
でもそれは自分を守る為じゃない。自分を押し通す為にそれを選んだ。
今では上手く偽りの自分の中に悠真を覗かせることが出来る。
自分は随分と性格が悪いものだと自覚したが、生きている心地がした。
俺にも守りたいものが出来たから。父を否定する為に強さを求めた。
「悠真君、ちょっと背伸びた?」
ひと月ぶりに俺に会うなり旭は驚いていた。
こちらとしては自分の身長よりも細くなった彼女の方が気にかかった。
「まあ伸びるよね、もう今年で12歳だし」
男の成長期はまだ先とはいえ、この頃の子供は短い期間で伸びたりもする。
珍しい事ではない。
「12歳か…早いね」
しみじみと呟く旭は普段見せない大人の顔だった。
「私ね、悠真君よりひとつ下の娘が居るんだ。このくらい大きくなってるんだと思ったら少し寂しくなっちゃった」
娘が居るなど初耳だった。
彼女から弟の話は聞いたが、夫や子供の話は一度も口にしなかったからだ。
「どのくらい娘さんと会えていないの」
旭は殆ど嘘をつかない。けれど自分の負の感情は控えめに表現する。
本当はずっと寂しかったに違いない。
「もう6年かな…はあ…時間感覚狂うね。悠真君に会ったのも昨日の事みたいなのにな」
この研究に関わることになった正確な経緯を聞いたことは無いが、最低でも6年はこの異常な生活が続いているということだろう。
俺の前では大人らしく辛そうな自分を見せない旭が珍しく弱音を吐いた。
相当堪えているんだ。
「娘さんはどんな子?」
「そりゃもうすんごい可愛いの!単純でね、何でもすぐ信じちゃうの。誰もが嘘だと気づける事も信じ切って、嘘だよってからかうと頬っぺた膨らませて拗ねるの。それでもって臆病で泣き虫でね、怖くても痛くても驚いても悲しくても怒っても、とにかく泣くんだ。私にべったりな甘えん坊で、傍を離れただけでも泣いちゃう…私が居なくなって毎日泣いてないかな…親馬鹿なのは分かってるんだけどさ、やっぱり自分の子って可愛いんだよね」
饒舌に話す旭が娘をとても愛しているのが充分に伝わった。
そんなに愛している娘と離れて暮らさなければならない理由なんてない筈なのに。
強要しているのは自分の父だ。息子である俺は彼女に恨まれても不思議でないのに。
旭は一度も俺に対して怒りをぶつけてはこない。
俺には信じ難い聖人だが、彼女は本当に人を恨まないんだ。
ふと亡くなった母の笑顔が過る。母はよく褒めてくれる人だった。
どんな些細な事でも出来るようなった事や前より上手くなった事は必ず笑顔で称えてくれた。
今思えば少し大袈裟だったかもしれない。
それでも自分を認めて貰えている気がして安心していた。
親からの愛情なんて忘れかけていたが、それがとても嬉しかったのを思い出した。
「いつか会えるといいな、旭の娘さんと」
「それは考えた事なかったな…そっか、二人が会えたらいいね!人見知りだけど優しくていい子だから、悠真君と仲良くなれると思う!」
楽しそうな未来を語る旭はここ最近で一番の笑顔を見せた。
それなのに急に笑顔は消え、真っすぐな瞳が俺を見据える。
「お願い、もう私に会いに来ないで」
「…え?」
「こんな所には二度と来ないで、そう言ったの」
「どうして。俺と会うのが嫌になった?」
彼女からの初めての拒絶に俺は困惑し冷静さを欠いた。
「悠真君との時間は楽しいよ。だから来ないでほしい」
「理解できない。そんなの会わない理由にならないじゃないか」
「もう駄目なんだよ。私は私じゃなくなるから」
「それってどういう意味…」
もう終わりだと無慈悲に告げるように自動扉が開かれる。
工藤博士は待ちきれないと言った様子でそわそわしていた。
「旭、もういいかい?」
「大丈夫…悠真君はもう帰って」
「嫌だ」
「お願い」
「嫌だ!」
「どうしてこんな時に我儘言うの!」
「旭がそんな辛そうな顔するからだろ!」
自分がどんなに我儘だろうと邪魔だろうと離れたくなかった。
最も遠ざけてきた駄々をこねる聞き分けの無い子供に成り下がっている。
それでも、ここで離れたら一生会えないようなそんな嫌な不安が頭をいっぱいにした。
「せっかくだから悠真君も見て行けばいい。人類が偉大な一歩を刻む瞬間に立ち会えるよ」
「昌弥君!子供に見せるようなものじゃないでしょ!」
「だって彼は僕の研究に興味があるんだろう?だったら見たい筈さ。ね?」
確かにそのような口実で地下研究室を出入りしていた。
けれど研究に興味を惹かれたことなど一度も無かった。
今のまま旭と別れたくない一心で残る事を選択した。
俺の肩に手を乗せた工藤博士は俺に味方しているようで、実はそうではなかった。
工藤博士は俺と旭を逃がしたくなかっただけだった。旭を実験から逃がさない為に。
そして秘密を知ってしまう俺に研究を口外させない為に脅す目論みだった。
実験室に移動した旭は改良を重ねたW3A2を着用した。
透明のガラス越しに映る彼女から明るい笑顔はまったくない。
今から行う実験はそれだけ恐ろしいのだろうか。
心配になりガラスに張り付くように俺は旭を見守った。
そんな俺の様子に気づいたのか旭はフルフェイスを被る前にこちらを見て笑った。
「……あのね、悠真君との時間は今の私にとって唯一の楽しみだった。私にまた笑い方を思い出させてくれた。本当にありがとう。悠真君にはこれからも笑っていてほしいな」
何だよ、それ。まるでこれが最後になるみたいじゃないか。
やはり実験を止めて欲しい。
そう思ったのだけど、旭がフルフェイスを被り準備が整うと工藤博士はすぐに実験を始めた。
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