手放した過去ー4

「電話でも忠告したけど、本当に会うのね?」

「分かっています」

「…こっちよ」

  美奈子に促され奥に進むと扉が一つあった。

 扉の横の壁に9つの数字キーが設置されていて美奈子は手慣れた手つきで数字をタッチしていく。

 開錠された電子扉は横にスッと開いた。 

 美奈子は中へ入らず、扉の横に控えた。

  廊下から部屋を見る限りでは人影は見えず、テーブルや椅子しか視認できない。

 こんな地下深くに閉じ込められて生活していたのか。この中に千沙は居る。

  佳祐は久しぶりの再会にどんな顔をしたらいいか分からず立ち尽くしてしまう。

 何の為にここまで来た。約束を果たす為にアルフィードに進学すると決めた。


  佳祐は意を決して部屋へと入る。

 そこにはライトサーベルを真剣に素振りする千沙が居た。

 毎日竹刀で稽古をしていたあの夏に、何度も見た幼い千沙が重なって見えた気がした。

  身長は伸びていたが小柄で長い髪は先端にかけてふわりと曲がる特徴的な髪型はあの頃のままだ。

 相変わらず強そうな体格の良い肉体ではなく、剣術とは無縁な線の細い身体に無垢な瞳も変わらない。

  佳祐に気づいた千沙は剣を下ろし、光の剣をボタン一つで消失させ柄を腰のベルトに収めた。

「…どちら様ですか?」

  少女は首を傾げて見知らぬ人物に見える佳祐に問うてくる。

  6年間一度も会わなければ忘れるのが普通か。

 こちらは一度たりとも忘れたことなどないが、残念な気持ちはあるものの仕方のないことだと佳祐は割り切る。

「えっと…俺は月舘佳祐。6年前に会った事があるんだ、覚えてないか?」

「月舘佳祐、さん?…ごめんなさい、覚えてなくて…」

「そっか…ひと月だが晃司さんの所でお世話になったんだ」

「晃司さん?」

  佳祐の発する言葉に何一つ思い当たる節がないのか少女はずっと困った様子だ。

 ここで佳祐は美奈子の真意を理解するも認めたくない気持ちが勝る。

「そんな、晃司さんまで分からないことないだろ?」

「……ごめんなさい」

  晃司さんは千沙の師匠であり育ての親と言ってもいい人だ。

 短い期間しか会っていない佳祐はともかく、長年共に暮らした家族を忘れているなんてありえない。

 佳祐が困惑していると少女は悲しそうに俯いてしまった。

  剣の素振りをするくらいだ、たしかに千沙の健康状態に異常はないようだ。

 しかし、記憶を失うという実験の副作用は改善されていなかった。

「そうか…いいんだ、覚えていないなら」

「本当にごめんなさい」 

  少女は自分自身の記憶が喪失しているのを自覚している。

 だから佳祐の発言を疑いもしない。  

「気にしないでくれ。もう行くから…悪かったな急に来て」

  これ以上少女を困らせたくない。

 そんな気持ちよりも冷静でいられなくなりそうな心が今すぐにでもこの場から逃げ出したいと叫んだ。


「あの!―――あなたは私にとってどんな人だったんですか?」

  佳祐はその質問に即答できなかった。

  千沙や晃司と過ごした日々は佳祐にとって自分を大きく変えた出来事であった。

 二人と過ごした時間は辛くもあったが楽しく掛け替えのない思い出になっている。

 佳祐にとって二人は師であり恩人であり家族のように大切な人だ。

  けれど千沙にとってはどうだろう。

 たったひと月。共に過ごした同年代の子ぐらいの印象だろうか。

 正直、佳祐には千沙が当時どう思っていてくれたかなど分かりかねる。

  それでも今、目の前にいる少女は過去の自分を知りたいと思ったのだろう。

 彼女が望むのであれば可能な限り伝えてやるべきだ。

 そのうえで佳祐が導き出した答えは――

「…友達だよ」

「友達、ですか」

「ああ。一緒に剣術や体術の稽古をしたり、ご飯を食べたりした。稽古は最初すごくキツかったが、どんどん楽しくなった。それはきっと千沙が一緒だったから、めげずに頑張れたんだと思う。千沙は毎日晃司さんと試合して、俺は二人の試合を見て凄いと憧れてたよ。俺もいつか二人のように強くなりたいって」

  嘘なく、飾らない。あの時も今も変わらない正直な佳祐の気持ちだった。

 強く、そして楽しそうな二人は佳祐の強さの憧れだ。

「そうなんですね――きっと、千沙も楽しかったと思います」

「…よく笑っていたよ」

「そっか、私笑ってたんだ…ありがとうございます。話してくださって」

 少女は笑って見せたが、瞳からは涙が零れ頬を伝った。 

「あれ、どうして…私…変だな、覚えてないのに…話を聞いても何にも思い出せないのに…なのに…どうして、こんなに胸が苦しいの…?」

 涙が止まらず少女は両手で顔を覆ってしまった。

「ごめん、俺が余計な話をしたから…」

「違います、佳祐さんは何も悪くないんです。ごめんなさい、嫌な思いさせて…」

  本当は泣き虫なのに我慢したり、自分よりも相手を思いやり決して相手を責めない。

 やはり記憶を失くそうが千沙は千沙だ。

 佳祐は気が付いたら千沙を抱き寄せていた。驚いていた千沙も身を委ねた。

「…不思議ですね…とても安心します…ずっと誰かにこうして欲しかった、そんな気がします」

  それはきっと母親だろう。

 二人はこんなに近くにいても互いを認識できない。

 もしかしたら、もう二度と本当の意味で再会できないのかもしれない。

 それでも佳祐は二人に共に生きて欲しかった。


  突然、静かに涙を流していた千沙が頭を抱えて苦しみ始めた。

「千沙!?」

「っ…私は…会いたかった…もう…一人は嫌…っ!!」

「お前は一人なんかじゃない、もう一人にしないから!」

「いやああああああ!!」

  痛みに耐えきれない千沙は大きな悲鳴を上げる。

 異常に気付いた美奈子が部屋へと駆け込んできた。

 直ぐ様、注射器を取り出し首筋に注すと千沙は気を失った。

「鎮静剤よ…記憶を取り戻しそうになるとこうなるの。何か思い出せそうになると警鐘のように頭痛がくるみたい。いつもなら強い痛みになる前に自発的に詮索を止めるんだけど…本人が思い出そうとすると頭痛が激しくなって止められなくなるみたい。これほど苦しんだのは今回で2度目ね」

「それじゃあ…千沙はいつまでも記憶を取り戻せないんですか?」

「…絶対とは言い切れない。けれど絶望的ではあるわね」

「そんな…」

 それでは母親との再会を願った千沙の望みは一生叶わないというのか。

「実験を重ねる度に千沙ちゃんの記憶は部分的に消失していった。それでも最初の1年は私の出来る限り思い出の話を聞かせたり、品を見せたりすれば記憶を思い出していたようだったけど、次第にそれも出来なくなった。やがて千沙ちゃんは記憶を思い出せないことが怖くなり人格を保てなくなったの。時折自分が何者なのかも、どうしてここに居るかも分らなくなる。記憶はせいぜいこの研究施設に着た頃を思い出すのがやっとだったみたい。10年の記憶が一切思い出せず、すっぽりとなくなってしまい苦しむ千沙ちゃんは見るに堪えられなかった」

「だからって実験を続けたんですか?全て忘れてしまう程に!」

「彼女自身が望んだのよ。もう何も思い出したくない、苦しむくらいなら記憶なんか要らないって。そう決めた千沙ちゃんは実験にすごく協力的になったわ。まるで実験をすることだけが自分の存在意義だと主張するみたいに。記憶を失くすのは辛いことではない。必要なんだと割り切って」

  美奈子の言葉を信じたくはなかった。

 自らの記憶を手放す選択を千沙自身がしたなど認めたくない。

 けれど、美奈子の悲痛な表情を見ると佳祐は強く否定できなかった。

「そのおかげか"WingAngel"は更に改良されて"NeoWingAngel"として製造された。千沙ちゃんは五体満足、健康状態も問題は一切ない。けれどそこに至るまでの実験で記憶をほぼ全て失くしてしまった。もう彼女も…あなたの知る彼女ではないの」

  佳祐の腕の中で気を失う少女は儚く壊れそうに見えた。


  昔、離れていく千沙の未来を晃司が「幸せにはなれないだろうな」と言った言葉が佳祐の頭を過る。

 確かに晃司の強い反対を押し切って千沙はこの場所へやって来た。

  けれど本来の目的である母親との再会を一切果たせずに自分を失うなんて。

 これが千沙のとった行動の結末だと言うのか。

 佳祐はそんな結末を決して認めたくはなかった。

「もう…千沙を実験に使わないでください」

「ええ。そういう取引ですものね…工藤も食いついていたから、期待に応えられるうちは彼も約束は守るはずよ」

  研究の概要を全て話してもらう。千沙の安全を保障してもらう。

 この二つを条件に佳祐はまだ見ぬ工藤博士とひとつの取引をしていた。

  ハーフエルフである佳祐自身が実験の被験者になる。

 それが"人工の有翼人"を作る為だとは思いもよらなかったが、人間の千沙よりもハーフエルフのほうが可能性があると見たか。通りで取引に応じてくれたわけだ。 


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